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    親子チョコ💗(500冊以上の良質な書籍のご紹介)

    子どもたちの教育のため、また、その親である私たち自身が学ぶための、読まれるべき良質な書籍のみをご紹介させていただきます。

     >  ユダヤ >  「プロピナツィアの権利」 とウクライナのユダヤ人アレンダール

    「プロピナツィアの権利」 とウクライナのユダヤ人アレンダール

    A storm is coming 435

    本日のキーワード : ガリツィア、ウクライナ、ポーランド、ユダヤ人、プロピナツィアの権利、アレンダール、ユダヤ教、キリスト教、シュトラウス派、ネオコン



    Russia declares war on the Straussians
    ロシア、シュトラウス派に宣戦布告 ③

    Russia is not waging war on the Ukrainian people, but on a small group of people within the US power that has transformed Ukraine without its knowledge, the Straussians. It formed half a century ago and has already committed an incredible amount of crimes in Latin America and the Middle East without the knowledge of the United States. This is their story.
    ロシアが戦争を仕掛けているのはウクライナ国民ではなく、ウクライナを知らぬ間に変質させてきたアメリカ権力内の小集団シュトラウス派である。半世紀前に結成され、すでにアメリカ合衆国が知らないうちにラテンアメリカや中東で信じられないほどの数の犯罪を犯している。これは彼らの物語である。

    レオ・シュトラウス
    レオ・シュトラウス

    A BRIEF HISTORY OF THE STRAUSSUIANS
    シュトラウス派の略史

    …The Straussians and the New York intellectuals, all of whom were on the left, put themselves at the service of the right-wing president Ronald Reagan. It is important to understand that these groups are neither truly left nor right wing. Some members have switched five times from the Democratic Party to the Republican Party and back again. What is important to them is to infiltrate power, whatever the ideology. Elliott Abrams became an assistant to the Secretary of State. He led an operation in Guatemala where he put a dictator in power and experimented with Israeli Mossad officers on how to create reserves for the Mayan Indians in order to eventually do the same thing in Israel with the Palestinian Arabs (the Mayan Resistance earned Rigoberta Menchú her Nobel Peace Prize). Then Elliott Abrams continued his exactions in El Salvador and finally in Nicaragua against the Sandinistas with the Iran-Contra affair. For their part, the New York intellectuals, now called “Neoconservatives”, created the National Endowment for Democracy (NED) and the U.S. Institute of Peace, a mechanism that organized many colored revolutions, starting with China with the attempted coup d’état of Prime Minister Zhao Ziyang and the subsequent repression in Tiananmen Square.
    左翼であったシュトラウス派ニューヨークの知識人たちは、右翼であるロナルド・レーガン大統領のもとに自らを奉じましたこれらのグループは真の意味での左翼でも右翼でもないことを理解することが重要であるメンバーの中には民主党から共和党に移籍して、また戻ってくるということを 5 回も繰り返した者もいる彼らにとって重要なのはそれがいかなるイデオロギーであろうと権力に潜り込むことであるエリオット・アブラムズは国務長官補佐官になった。彼はグアテマラでの作戦を指揮し、独裁者を政権に就かせ、イスラエルでパレスチナ・アラブ人に対して同じことをするために、マヤ・インディアンのための保護区を作る方法についてイスラエルのモサド幹部と実験した (マヤの抵抗でリゴベルタ・メンチュウがノーベル平和賞を受賞した)。その後、エリオット・アブラムズはエルサルバドルで、そして最後はニカラグアで、サンディニスタに対してイラン・コントラ事件を起こし、その搾取を続けた。ニューヨークの知識人たちは、今では 「新保守主義者 (ネオコンサバティブ) 」 と呼ばれ、全米民主化基金 (NED)米国平和研究所を設立した。平和研究所という機構は、中国における趙紫陽首相のクーデター未遂とその後の天安門事件の弾圧を皮切りに、多くの有色人種の革命を組織した。

    エリオット・アブラムズ
    エリオット・アブラムズ

    リゴベルタ・メンチュウ
    リゴベルタ・メンチュウ

    At the end of George H. Bush’s (the father’s) term of office, Paul Wolfowitz, then number 3 in the Defense Department, drew up a document based on a strong idea: after the decomposition of the USSR, the United States had to prevent the emergence of new rivals, starting with the European Union. He concluded by advocating the possibility of taking unilateral action, i.e. to put an end to the concerted action of the United Nations. Wolfowitz was undoubtedly the designer of “Desert Storm”, the operation to destroy Iraq that allowed the United States to change the rules of the game and organize a unilateral world. It was during this time that Straussians valued the concepts of “regime change” and “democracy promotion.”
    ジョージ・H・ブッシュ (父) の任期が終わる頃、当時国防省のナンバー 3 だったポール・ウォルフォウィッツが、ある強い考えに基づいて文書を作成した : ソ連が崩壊した後、米国はEUをはじめとする新たなライバルの出現を防がなければならない。そして、最後に単独行動の可能性を提唱した。つまり国連の協調行動に終止符を打つことである。間違いなくウォルフォウィッツは、イラクを破壊する 「砂漠の嵐」 作戦を立案し、米国がゲームのルールを変え一方的な世界を構築することを可能にした人物である。シュトラウス派「レジーム・チェンジ」 と 「民主化促進」 という概念を重んじたのもこの時期である。

    ポール・ウォルフォウィッツ
    ポール・ウォルフォウィッツ

    Gary Schmitt, Abram Shulsky and Paul Wolfowitz entered the US intelligence community through the Consortium for the Study of Intelligence’s Working Group on Intelligence Reform. They criticized the assumption that other governments think the same way as the US government. Then they criticized the lack of political leadership in intelligence, leaving it to wander into unimportant issues instead of focusing on the essential ones. Politicizing intelligence is what Wolfowitz had already done with the B-team and what he would do again in 2002 with the Office of Special Plans, inventing arguments for new wars against Iraq and Iran (Leo Strauss’ “noble lie”).
    ゲイリー・シュミットアブラム・シュルスキーポール・ウォルフォウィッツは、情報研究コンソーシアムの 「情報改革に関するワーキンググループ」 を通じて米国の情報機関に入った。彼らは、他の政府もアメリカ政府と同じように考えているという前提を批判した。そして、インテリジェンスに政治的リーダーシップが欠如しているため、本質的な問題に焦点を当てることなく、重要でない問題に流されてしまっていることを批判した。インテリジェンスを政治化することは、ウォルフォウィッツが B チームですでにやっていたことであり、2002 年に特別計画局で再びやることでイラクとイランに対する新しい戦争のための論拠をでっち上げる (レオ・シュトラウスの 「高貴な嘘」 ) ことであった。

    ゲイリー・シュミット
    ゲイリー・シュミット

    アブラム・シュルスキー
    アブラム・シュルスキー

    Is Zelensky a Cousin of George Soros?

    Hitler.jpg 習近平思想の着想者であり、中国的特徴を持つ社会主義の提唱者である習近平総書記

    Russia declares war on the Straussians



    本日の書物 : 『ガリツィアのユダヤ人 (新装版) : ポーランド人とウクライナ人のはざまで』 野村 真理 人文書院



    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 【穀物輸出の不振で現金収入を減少させた貴族領主が着目した収入源、それが、彼らが独占する酒の製造・販売権、すなわちプロピナツィアの権利である】。重労働に従事する【農民にとって、酒はほとんど唯一の慰めであった】が、【彼らが買うことができるのは、領主が製造し、領主が販売する酒のみ】であった。そこで【領主は、停滞する輸出用の穀物を酒の原料にまわし、領内で製造された酒を、ときには強制的に農民に売りつけることで農民の乏しい所得を残らず吸い上げ、それによってみずからの現金収入を確保しようとした】この転換が【とりわけ顕著に見られたのがウクライナである】。というのも、西ヨーロッパへの穀物輸出はバルト海を介して行われたが、ウクライナはバルト海に注ぐ河川から遠いため、穀物を輸出港まで運搬するコストがかさみ穀物価格が下落すれば穀物輸出の利益はますます薄くなったからである。ポーランドの領主の所得のなかで酒の製造・販売から得られる収入が占める割合】は一七世紀半ばまで一割に満たなかったのに対し一八世紀になるとその割合は大幅に上昇し、【三割から、多い場合には七割にも達した】すなわち一七世紀まで主要な収入源ではなかった【プロピナツィアの権利による収入が、一八世紀には領地経営の重要な収入となった】のであるそして【この悪名高い領主の酒の製造と酒場の経営において、最も重要な役割を果たしたのがユダヤ人のアレンダールだった】。』

    日の丸

    トビトの祈りとサラの祈り


    いかがでしょうか?

    今回ご紹介させていただく書物は、ユダヤ人オリガルヒの手によって戦争を引き起こし国内が荒廃する一方のウクライナで、その南西部を中心 (ポーランド南部も含む) とした 「ガリツィア」 という地域におけるポーランド人・ユダヤ人・ウクライナ人の非常に複雑な関係を、歴史的事実に基づいて解説がなされている良書で、本書を御覧になれば、「なぜ、ユダヤ人が嫌われるのか」 が理解でき、現在のウクライナにおける戦争をもたらしたユダヤ人オリガルヒらの戦争目的も正しく推測することができるようになる当ブログお薦めの書物となります。少なくとも、「ユダヤ人は一方的な被害者である」 とか、「ウクライナがかわいそう」 という的外れな考え方が、本書一冊だけで消し去れること間違いなしで、ユダヤ・キリスト教的善悪二元論でしか物事を思考できなくなっている多くの日本国民広く読まれるべきだと考えます。

    読書 女性 4-40

    それでは本日も、いつものように、直近の「致死率」を確認しておきましょう。

    (死亡症例数)÷(感染症例数)=(致死率)

    ※(  )内は前回の数値

    slpprabd.jpg
    Coronavirus COVID-19 Global Cases by Johns Hopkins CSSE

    アメリカ : 1,030,962(1,030,082)÷91,585,521(91,371,497)=0.0112・・・(0.0112) 「1.12%(1.12%)」
    slpprabd1.jpg

    イタリア : 172,397(172,207)÷21,124,644(21,059,545)=0.0081・・・(0.0081) 「0.81%(0.81%)」
    slpprabd2.jpg

    日本 : 32,846(32,703)÷13,129,678(12,918,780)=0.0025・・・(0.0025) 「0.25%(0.25%)」
    slpprabd3.jpg









    さて、これまでの流れを、簡単に確認しておきますと、まず、出発点として、カール・マルクス (1818 - 1883) が生まれる約 200 年ほど前の時代 (日本で言えば、戦国時代から江戸時代初期にかけての時代) に、ドイツの神秘主義者であるヤーコプ・ベーメ (ヤコブ・ベーメ、1575 - 1624) という名の人物がいて、その後の 「ドイツ思想」 に決定的な影響を与えた 「キリスト教神智学 (Christian theosophy) 」「ベーメ神智学 (Boehmian theosophy) 」 なるものが世に生まれることになります。(詳しくはこちらから💓

    ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)
    ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)

    そのベーメの言っていたことというのは、次のようなものでした。

    世界は本来壊れているものであり、それを直すことができるのは正しい者だけである詳しくはこちらから💓

    そして、その影響を受けたのがプロイセン (ドイツ) の哲学者イマヌエル・カント (1724 - 1804) で、彼が言っていたことは、次のようなものでした。

    イマヌエル・カント
    イマヌエル・カント

    たとえ世界を直すことができなくても、私たちは常に世界を直すことができると仮定して行動しなければならない詳しくはこちらから💓

    また、ドイツ観念論を代表する思想家ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル (1770 - 1831) も影響を受けていて、そんな彼が言っていたことは、次のようなものでした。

    ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル
    ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル

    世界が固定されていたとしても、私たちは無意識のうちに分裂を起こし、世界が再び崩壊し始めることになる詳しくはこちらから💓

    で、この流れを受け継いでいるのがカール・マルクスであり、ウラジミール・レーニン (1870 - 1924) で、彼らが言っているのは次のようなことです。

    カール・マルクス
    カール・マルクス

    私たちには、世界を壊したいという衝動はない。もし私たちが世界を壊すとすれば、それは私たちが社会とその主人たちからそうすることを学んだからである

    ウラジーミル・イリイチ・レーニン 1
    ウラジーミル・イリイチ・レーニン

    われわれは、世界を固定するために、意識の統一を強行しよう詳しくはこちらから💓

    このように、ドイツで生まれた 「キリスト教神智学 (Christian theosophy) 」 ・ 「ベーメ神智学 (Boehmian theosophy) 」 を出発点として、その後、人為的に造り出された “幻想” であるところのマルクス主義・共産主義・社会主義という類の妄想が生み出されることとなります。ここで重要な点は、そもそも全知全能なる神が創り賜うた世界にあって、なぜ悪が存在するのか、という疑問から生じた 「ベーメ神智学 (Boehmian theosophy) 」 が、ユダヤ・キリスト教的 “善悪二元論” をより一層強化し、世界を完全に良くするために 「悪なるもの」 を消し去らねばならない、といった浅はかな思考へと陥る人々を生じさせたことです。多くの一般的な人々も陥りやすい誤った思考ですが、特に 「極左おパヨク」 と呼ばれる連中はその影響をもろに受けてしまうほどの 「おバカ」 で、さまざまな “アイデンティティ” を次から次へと粗製濫造することで、ユダヤ・キリスト教的な 「贖罪(しょくざい)」 の対象物として “罪” を創り出し、その罪に対する償 (つぐな) い・贖 (あがな) いを果たねばならない、と妄信させることによって、「寡頭制 (oligarchy/オリガルキー)」 の下で人々に対して自己抑圧的な態度の徹底を促し ( ← これが、ポリコレw)人々の “自由” を奪う極めて 「権威主義的な統制社会の再構築」 を目指す連中の思う壺となっていて、それはまさに現在私たちが普通に目にすることができる状況にあります。つまり、もはや隠そうともしていないという状況にあるということです。

    Hunter Biden Soros Linked to Biolabs in Ukraine





    その 「寡頭制 (oligarchy/オリガルキー)」 については、ドイツ出身の社会学者・歴史学者かつマルクス主義者であり、エリート理論の信奉者で、さらにはファシズム (全体主義者) でもあったロベルト・ミヒェルス (ロベルト・ミヘルス) が提唱した仮説である 『寡頭制の鉄則』 (iron law of oligarchy) を確認をしてきましたが、そこにもやはり 「キリスト教神智学 (Christian theosophy) 」 ・ 「ベーメ神智学 (Boehmian theosophy) 」 の影響を見ることができます。(詳しくはこちらから💓

    ロベルト・ミヒェルス(ロベルト・ミヘルス)
    ロベルト・ミヒェルス(ロベルト・ミヘルス)

    また、「寡頭制 (oligarchy/オリガルキー) 」 と同根の言葉である 「オリガルヒ (oligarch) 」 につきましても、ロシア詳しくはこちらから💓) やウクライナ詳しくはこちらから💓) の事例から、そこには少なからぬ 「ユダヤ人 ( = ユダヤ教徒)」こちらもご参照💓) が存在していることも判明しました。

    A storm is coming 245





    さらには、ウクライナとユダヤ人 ( = ユダヤ教徒) と特異な関係を、ウマン (ウーマニ) 巡礼の形成の歴史を通じて確認しました。 (詳しくはこちらから💓

    ウーマニ

    そこで、現在 “ユダヤ人” (民族としては定義され得ない、単なる宗教信者のグループ) という存在に着目し、より一層理解を進めるために様々な論文を見ているところとなります。

    fhdeusid.jpg
    『初期ユダヤ教と原始キリスト教団における解釈と受容 : 「霊」と「天使」の概念の変遷を辿る』大澤 香

    それでは早速、続きを見て参りましょう。

    『 2 章 初期ユダヤ教
     「初期ユダヤ教」 という時代区分は、狭くは前 2 ~ 後 2 世紀広くは前 6 ~ 後 1、2 世紀など研究者によって様々に定義されるが (69)、ここでは捕囚後の第二神殿時代に再建した神殿とモーセ五書 (トーラー) を柱とする改革が行われトーラーの絶対的な重要性のもとに特徴的でしかし多様な聖書解釈がなされていった時期を指してこの用語を用いたい (70)。TovTov (71) は 「逆説的だがモーセ五書への関心の高まりが紀元前最後の数世紀間に多種多様な本文形式の創出に寄与した」 と指摘する (72)。本章では聖典としての聖書テキストの解釈が著しく発達した初期ユダヤ教の時代状況の中での具体的な読者・解釈者の視点に焦点を当てつつテキストと彼らとの間に成立した特徴的で多様な解釈を分析する。解釈者の視点を想定することによって、特にこの時期に発達した 「霊 (聖霊) 」 「天使」 の概念がいかに重要かつ特徴的な形象であったのかを示すことができるだろう。

    2 - 4 初期ユダヤ教における文学技法

     ここでは初期ユダヤ教の時代特徴的な文学技法を確認することで、この時代の聖書解釈の特徴を検討する。


    2 - 4 - 3 実例 ‐ トビト記における読みの層 ‐
     ここでは実際に、クムランからもその写本断片が見つかっているこの時代の外典文学の一つであるトビト記の分析を通してトビト記に想定される内包された読者がトビト記の物語を通してその向こうにどのような allusion を読み取っていたと想定することができるのか考察をする。ここでの方法論は、従来のような歴史批評か文芸批評かという二分法的 ( dichotomic ) な議論を避けるため、歴史批評と文芸批評とをそれぞれが対象とする事項に正しく適用する 「折衷主義 ( eclecticism ) 」 を取ることを試みる。具体的には、テキストの書かれた時代背景および内包された読者を想定するために歴史的研究を適用し、その次の段階としてテキストの内的世界を分析するために 「物語批評」 を用いる。「読者」 に焦点を当てた 「読みの層」 を想定することによって初期ユダヤ教時代の聖書解釈をより立体的に捉えることができるだろうトビ ト記の物語は 「天使」 が物語の重要な登場人物として生き生きと描かれた第二神殿時代の文学である


    (2) トビト物語を読む (204)

     物語の歴史的状況に思いを馳せつつ、物語そのものを味わい読むことへと進みたい。というのも、この物語を語り継いできた人々の思いは、「物語の中」 にこそ息づいているはずだからである。トビト記のあらすじは、ナフタリ族アシエルの家系に属するトビトという人物がアッシリアの支配の下で捕囚となり同族の人々に慈善の業を続ける中で失明する死を願って祈られたトビトの祈りによって神から天使ラファエルが遣わされラファエルに導かれてトビトの息子トビアは旅をし旅において同族のサラとの結婚が成立するそして旅から帰還したトビアによってトビトの視力も回復される物語であるトビアは死の前にニネベの滅亡を知らされ神を賛美しながら物語は終わる


    『トビアとサラの結婚初夜』 ピーテル・ラストマン
    『トビアとサラの結婚初夜』 ピーテル・ラストマン

    光の喪失 ‐ 民族の 「隔絶」 の中で

     [ ( 5:10 ) わたしにまだ何か喜ぶことがありますか? わたしは自分の目で (見ることが) できない者なのです。天の光を見ることができないのです。だから、もはや光を見ることのない死人たちのように、わたしは暗闇の中に横たわっているのです。わたしは生きていても死人たちの中にいるのです。… ]

     これは、天使ラファエルに出会った時のトビトの言葉である。視力を失った状態をトビトは 「天の光を見ることができない状態」 と言い表す。捕囚となった後もトビトは、日常的に同族の者たちへの慈善の業を続け ( 1:17 )、理不尽に殺された同胞の遺体を埋葬していた。その遺体は明日のトビト自身かもしれないような状況下においてである。ニネベの城壁 (205) はトビトたちの捕囚の状況を象徴するものとしてもそこに存在していただろう。城壁の向こう側は殺された死体が投げ捨てられる場所 (死の世界) であったが、一方城壁の内側も、生の世界とは言えないものであった。「捕囚の状況は生きていても死んでいるような状態だ」 との思いが、先ほどのトビトの言葉 ( 5:10 ) によって述べられている。
     そのような日々の中でトビトは失明する (= 光を失う)。場所は 「中庭」 であった。塀で囲まれた 「中庭 ( αύλή ) (206) 」 という場所は、物語において、城壁で囲まれたニネベの町の姿と重なる。人に憐れみを施すことも、人からの憐れみを受けることもできない状態 ( 2:14 )、すなわち親しい者との交わりが絶たれた状態 (= 捕囚で散らされた状態) が、まさに失明したトビトの状態であった。この絶望と悲しみの中で、トビトは涙を流しつつ、うめきながら神に祈り始める ( 3:1 )。祈りの中でトビトは、まず何よりも 「あなた (主) とあなた (主) の業が正しいこと」 「あなた (主) の道が憐れみと真実であること」 ( 3:2 )、「主によって見られること」 ( 3:3 ) を祈った (207)。トビトの祈りは、捕囚で散らされたイスラエルの民の祈りでもあった ( 3:4 )。このトビトの祈りは、別の捕囚の地で祈られたサラの祈り (208) と共に 「一つの祈り」 (209) として神に聞かれる。トビトとサラの 「二人」 を表す άμΦότεροι (210) には民族の隔絶の象徴としての 「北イスラエル」 と 「南ユダ」 が重ねられていることが考えられるこの 「二者」 を癒すために神から天使ラファエル (211) が送られるのである


    (204) (1) で歴史批評を含めたこれまでの研究成果から、トビト記が読み継がれたであろう第二神殿時代におけるディアスポラの状況を想定することが可能となった。それらの人々の視点を想定しつつ、 (2) では更に 「物語を物語として読む」 ことへと進む。これは、テキストが由来するところの資料のみにではなく、物語のレトリック ( Rhetoric )、状況設定 ( Setting )、登場人物 ( Character )、視点 ( Point of View )、筋 ( Plot) などの 「物語の要素」 に光を当てることで、新しい視点が与えられる 「物語批評」 の方法論に依っている。物語批評の分野は、聖書学においてまだ十分に開拓されているとは言えない状況であるが、テキストの歴史性を踏まえつつ、より十分にテキストを理解するために、重要な分野であると考える。

    (205) 文化を超えて 「門」 には 「生の世界と死の世界の境界」 の意味があったと言われる (井本英一 『境界 ・ 祭祀空間』、平河出版社 、1985 年、 94 -134 頁)。城壁の向こう側に投げ捨てられた遺体を埋葬しに行くトビトはこの境界をこっそり越え出ていたということか。

    (206) 場所は異なるが、中庭の 「戸口」 のところに座るサラの父ラグエルの姿 ( 7:1 ) も、捕囚・離散の民の姿を表しているようである。それに対して 「家」 は 「中庭」 の中にありながらも、安らぎの場として描かれているようである。

    (207) 2:14 の妻の言葉 「あなたの憐れみ」 「あなたの正義」 に対応している。トビトの神への正しい回帰であっただろう。

    (208) 3:11 でサラが両手を 広げて 「窓の方に」 向かって祈ったのは、「エルサレムの方角に向かって」 祈ったことを表していると考えられる ( Moore, op.cit., p.150 )。このサラの姿にも捕囚・離散の民の姿が窺えるだろう。なお神殿から離れたディアスポラにおいて神殿犠牲に代わって 「祈り」 が重要視された可能性については、2 - 2 - 3 (2) を参照。

    (209) 「二人の祈り」 ( 3:16 )は単数形である。

    (210) トビアとサラの結婚において言及されるアダムとエバの 「二人」 ( 8:6 ) も同語が使われている。

    (211) 「御使い」 נזלאך、άγγελος 。Zimmermann によると、「ラファエルの名は רפא (癒す) に関連するだけでなく、明らかに רפאים (陰府の世界の亡霊) と関連している」 (Frank Zimmermann, The Book of Tobit Tobit, New York: HarperHarper, 1958, p. 150) 。 רפאים の語源である רפת に 「日が沈む」 の意味があることも興味深い (士 19:9 など)。トビトが同族を埋葬したのは、律法に従い日没後 ( 2:4 、2:7 ) であった。』


    ということで、本日はここまでとさせて頂きます。











    続きは次回に♥




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