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    親子チョコ💗(500冊以上の良質な書籍のご紹介)

    子どもたちの教育のため、また、その親である私たち自身が学ぶための、読まれるべき良質な書籍のみをご紹介させていただきます。

     >  経済学 >  現代の “脱炭素”とか “ESG” とかも同じもの ~ ナチスやファシストも活用した、社会主義者の “大衆教化手法” 

    現代の “脱炭素”とか “ESG” とかも同じもの ~ ナチスやファシストも活用した、社会主義者の “大衆教化手法” 

    A storm is coming 268

    本日のキーワード : 隷従への道、ハイエク、自由主義、社会主義、大衆教化、計画経済、全体主義、ナチス、ファシスト、岸田文雄



    Breaking the Spell
    呪縛を解く ⑮

    The Holocaust: Myth and Reality, Overview of the book by Dr. Nicholas Kollerstrom
    ホロコースト : ニコラス・コラーストロム博士の著書 「神話と現実」 の概要

    Breaking the Spell

    Fairy Tales From Hell
    地獄からのおとぎ話 (三)

    Likely the most prominent ‘eyewitness’ account is that of Elie Wiesel whose 1958 book, Night, has sold more than ten million copies, and which eventually led to his being awarded the Nobel Peace Prize in 1986. The problem with the book, apart from its patently hyperbolic narrative, is that it is almost certainly a completely fraudulent account. Thus, in 2009, a fellow Hungarian Jew, Nickolaus Gruner, after twenty years of researching the topic, issued this press release:
    最も有名な “目撃者” の証言はエリ・ヴィーゼルのもので、彼の 1958 年の著書 『夜』 は 1,000 万部以上売れ、最終的には 1986 年のノーベル平和賞受賞につながった。同書の問題はその明らかに誇張されたストーリーを別にすればほぼ間違いなく完全に虚偽の証言であるということである。そのため、同じハンガリーのユダヤ人であるニコラウス・グリューナー氏が、20 年にわたる調査の末、2009 年にこんなプレスリリースを出した。

    エリ・ヴィーゼル
    エリ・ヴィーゼル

    “Elie Wiesel A-7713 has never existed, and the man claiming himself to be ‘Elie Wiesel’ with the concentration camp number A-7713, knowing full well that this number belonged to someone else, is an imposter of the worst kind. For this statement, I, Nikolaus Gruner A-11104, have certified and written knowledge of.”
    エリ・ヴィーゼル A-7713 は存在しないA-7713 という強制収容所番号で “エリ・ヴィーゼル” と名乗る男はこの番号が他人のものであることを十分知っていて最悪の種類のペテン師である。 この声明に対して、私、ニコラウス・グルーナーA-11104は、認定され、書面でその事実を知っている。」

    Gruner then went on to publish a book, ‘Stolen Identity A7713’, in which he provided detailed documentation obtained from the Auschwitz Museum archives which show that Lazar Wiesel, and whom Gruner knew, was the real bearer of that number. The former, according to Kollerstrom, was “born September 4, 1913, received the number and tattoo A-7713; as likewise his brother, Abraham, born Oct. 10, 1900, was given the adjacent number A-7712. That latter number is the one that Elie Wiesel claims belonged to his father Shlomo…..No such registration records exist for Elie and his father: they are not there.”
    グリュナー氏はその後「盗まれたID A7713」 という本を出版しアウシュビッツ博物館のアーカイブから得た詳細な資料を提供しグリュナー氏が知っているラザール・ヴィーゼル氏がその番号の本当の持ち主であることを示した。コラーストロム氏によれば、ラザール・ヴィーゼル氏は1913 年 9 月 4 日に生まれA-7713 という番号とタトゥーを与えられた弟のアブラハムも 1900 年 10 月 10 日生まれで隣接する A-7712 という番号を与えられているこの番号はエリ・ヴィーゼルが父親シュロモのものだと主張しているものであるエリー・ヴィーゼルとその父親の登録記録は存在しない。」

    Is Zelensky a Cousin of George Soros?

    Elie Wiesel refused to respond to a formal challenge by Gruner to appear before a Budapest court to combat these charges, just as he always refused to show anyone the alleged tattoo on his arms. But, then, one need only peruse some of the utterly fantastic claims in ‘Night’ to realize that something is seriously askew. As Kollerstrom relates,
    エリ・ヴィーゼルブダペストの裁判所に出頭してこの告発に反論するというグリュナー氏からの正式な挑戦に応じなかったちょうど腕にある疑惑のタトゥーを誰かに見せることを常に拒否していたのと同じであるしかし『夜』 の中にある全く空想的な主張のいくつかを吟味するだけで何かが深刻に狂っていることに気がつくのである。コラーストロム氏が言うように、

    “Having been written as early as 1958, Night does not feature any gas chambers! Instead of Zyklon, it has huge Moloch-type pits of burning babies….The wicked Nazis were unloading truckloads of little babies into the huge burning pits and the bodies were flammable. Human bodies are 70% water. They really don’t burn by themselves.”
    1958年という早い時期に書かれた 『夜』 にはガス室が登場しないツィクロンの代わりに赤ん坊を燃やすモレク型の巨大な穴が登場する邪悪なナチスはトラック一杯の小さな赤ん坊を巨大な焼却炉に降ろしていたがその死体は燃えやすかった人間の体は 70 %が水分だ実際にはそれだけで燃えることはない。」

    モレクへの捧げ物
    モレクへの捧げ物

    Here it is worth quoting from Night itself just to experience the tenor of the narrative:
    ここで、『夜』 そのものを引用して、その語り口の特徴を実感していただきたい。

    “Later, I learn from a witness that, for month after month, the ground never stopped trembling; and that, from time to time, geysers of blood spurted from it.”
    「その後、目撃者から、毎月、毎月、地面の震えが止まらないことを聞かされたておった。そして、時折、地面から血が噴き出したのじゃ」

    226A storm is coming 225

    It is worth reminding the reader at this point that it is these sorts of utterly fantastic statements that characterize much of the ‘eyewitness’ testimonials, but whose uncritical acceptance by generations of readers is, rather, mere testimony to the credulity of the true-believer. Let us move on to our next witness.
    この時点で読者に思い起こして欲しいのは、“目撃者” の証言の多くがこの種のまったく空想的な記述であり何世代もの読み手に無批判に受け入れられてきたのはむしろ真の信者の信憑性を証明するものでしかない (※宗教はいずれも信憑性がない。そのため、本当の信者であれば信憑性を議論 (→不信仰に直結する) することは無意味で、ただただひたすらに信じ込むのみである。従って、ここで言っているのは、「単なるホロコースト信仰でしょ!」ということw ) のである。次の証言に移ろう。

    Hitler.jpg 習近平思想の着想者であり、中国的特徴を持つ社会主義の提唱者である習近平総書記

    パペット岸田・林

    『Breaking the Spell』 The Unz Review • An Alternative Media Selection

    投資家サーベイ結果発表 「岸田政権、支持しますか?」



    本日の書物 : 『隷従への道』 フリードリヒ・ハイエク 日経BP



    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 社会主義が少数の同質な集団内の願望にとどまる限りは、これらの問題は必ずしも表面化しない。【問題が浮上するのは、社会主義政策が国民の過半数の支持を得て実際に施行されようとするときだ】過半数と言ってもそれを形成するのは【多種多様ないくつもの集団】であるここでにわかにどの理想や目標を国民に強要し、国家が保有する資源をそれに充当するかということが大きな問題として浮上する計画経済をうまくやるには、基本的な価値判断について国民の合意を形成しなければならない】かくして【物質面での自由の問題は、結局は精神面の自由の問題に直結することになる】

    岸田の社会主義

     全体主義を生んだ元凶である社会主義の信奉者】たちは【この問題を教育で解決しようとしてきた】だが彼らの言う教育とは何を意味するのだろう。知識を得たからと言って新たな倫理観や価値観がつくわけではないことは、誰でも知っている。つまり【いくら勉強したところで】、あらゆる人の社会的位置付けを意図的に命じようとするときに持ち上がる【価値判断に関して、万人が同じ考えを持つようになるはずがない】ある計画を正しいと思わせるために必要なのは合理的な説得ではなく【信じ込ませること】だ。そして【自分たちの仕事は共通の世界観を受け入れることだと最初に気づいたのは、どの国でも、まさに社会主義者だったのである】単一の世界観に基づく大衆運動を主導しようとした社会主義者たちこそ、のちにナチスやファシストが活用した大衆教化手法最初に編み出した張本人である】

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    IPCC報告の論点㉙:縄文時代の北極海に氷はあったのか

    肝心の大国が不参加だったCOP26「地球を救う国際宣言」

    【エネルギー危機】無責任な「脱炭素」にしっぺ返し 光熱費の急上昇が企業収益・家計を圧迫 すでに世帯あたり「毎年6万円」負担、さらなる“炭素税”計画も

    女性 ポイント これ

     ナチスやファシストは新しく発明する必要はほとんどなかった】。ドイツでもイタリアでも、社会主義者新しい政治運動を導入し、それが生活のあらゆる面に浸透していたからだ】ゆりかごから墓場まで個人のあらゆる活動を支援する政党何事につけ個人の考えを指導することを謳う政党あらゆる問題を党の世界観に帰着させる政党…。こうした政党の概念を最初に実行に移したのは誰あろう社会主義者なのである。オーストリアのある社会主義者は、自国の社会主義運動について、誇らしげに次のように書いている。「その際立った特徴は、【労働者と被用者のどの活動領域にも専用の組織を設けた】ことである」。たしかにオーストリアの社会主義はこの点で他国より多少進んでいたのかもしれないが、状況はどこも似たり寄ったりだった。【子供を小さいうちから政治組織に入れてプロレタリアに育てることを始めたのは、ファシストではなく社会主義者】だった。【党のクラブとしてサッカーやハイキングなどスポーツや娯楽の組織を発足させ、党員が他の思想に染まらないようにしようと考えついたのも、ファシストではなく社会主義者】だった。【党員は互いに特別な挨拶や呼び名を使って一般人と区別することを最初に言い出したのも、社会主義者】である。【 「細胞」 と呼ばれる組織をつくって個人の私生活を常時監視し、全体主義の原型を用意したのも、社会主義者】である。【バッリラ (イタリアファシスト党の青年活動組織)、ヒトラーユーゲント (ナチス党の青少年教化組織)、ドーポラボーロ (イタリアの全国余暇事業団)、歓喜力行団 (ドイツの国民余暇組織) といった組織や制服や軍隊風の規律はどれも、すでにあった社会主義組織の物まねにすぎない】。』

    日の丸

    ガリツィアの油田地帯


    いかがでしょうか?

    今回ご紹介させていただく書物は、資本主義を研究する学問である経済学において、偉大なる経済学者の一人であるフリードリヒ・ハイエクが、ナチズム (あるいはファシズム) と社会主義・共産主義の類似性を明らかにしつつ、 それらの集産主義体制が必然的に全体主義へと至ってしまう危険性について警鐘を鳴らした非常に有名な書物で、本書を通じて『 「法の支配」 に基づく自由民主主義』 がいかに大切なものであるのかを改めて理解することができ財務官僚如きにコントロールされ「法の支配」 を無視した勝手な決定を次々と行っている (例 : ウクライナへの軍事物資支援 = 戦争行為)トコトン無能な “岸田政権” も、実はハイエクが警鐘を鳴らしたものにまさしく繋がっているという現状が良く分かるようになる当ブログお薦めの良書になります無能で危険極まりない岸田一派は、政権のみならず政界そのものから抹消することが私たち日本国民の喫緊の課題となりますので、是非広く日本国民の皆様にお読みいただきたいと思います。

    読書 10-002

    それでは本日も、いつものように、直近の「致死率」を確認しておきましょう。

    (死亡症例数)÷(感染症例数)=(致死率)

    ※(  )内は前回の数値

    downqqqsp.jpg
    Coronavirus COVID-19 Global Cases by Johns Hopkins CSSE

    アメリカ : 1,001,433(1,007,186)÷83,005,877(83,477,730)=0.0120・・・(0.0120) 「1.20%(1.20%)」
    downqqqsp1.jpg

    イタリア : 165,738(165,630)÷17,178,199(17,147,477)=0.0096・・・(0.0096) 「0.96%(0.96%)」
    downqqqsp2.jpg

    日本 : 30,212(30,176)÷8,509,857(8,470,287)=0.0035・・・(0.0035) 「0.35%(0.35%)」
    downqqqsp3.jpg











    さて、これまでの流れを、簡単に確認しておきますと、まず、出発点として、カール・マルクス (1818 - 1883) が生まれる約 200 年ほど前の時代 (日本で言えば、戦国時代から江戸時代初期にかけての時代) に、ドイツの神秘主義者であるヤーコプ・ベーメ (ヤコブ・ベーメ、1575 - 1624) という名の人物がいて、その後の 「ドイツ思想」 に決定的な影響を与えた 「キリスト教神智学 (Christian theosophy) 」「ベーメ神智学 (Boehmian theosophy) 」 なるものが世に生まれることになります。(詳しくはこちらから💓

    ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)
    ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)

    そのベーメの言っていたことというのは、次のようなものでした。

    世界は本来壊れているものであり、それを直すことができるのは正しい者だけである詳しくはこちらから💓

    そして、その影響を受けたのがプロイセン (ドイツ) の哲学者イマヌエル・カント (1724 - 1804) で、彼が言っていたことは、次のようなものでした。

    イマヌエル・カント
    イマヌエル・カント

    たとえ世界を直すことができなくても、私たちは常に世界を直すことができると仮定して行動しなければならない詳しくはこちらから💓

    また、ドイツ観念論を代表する思想家ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル (1770 - 1831) も影響を受けていて、そんな彼が言っていたことは、次のようなものでした。

    ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル
    ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル

    世界が固定されていたとしても、私たちは無意識のうちに分裂を起こし、世界が再び崩壊し始めることになる詳しくはこちらから💓

    で、この流れを受け継いでいるのがカール・マルクスであり、ウラジミール・レーニン (1870 - 1924) で、彼らが言っているのは次のようなことです。

    カール・マルクス
    カール・マルクス

    私たちには、世界を壊したいという衝動はない。もし私たちが世界を壊すとすれば、それは私たちが社会とその主人たちからそうすることを学んだからである

    ウラジーミル・イリイチ・レーニン 1
    ウラジーミル・イリイチ・レーニン

    われわれは、世界を固定するために、意識の統一を強行しよう詳しくはこちらから💓

    このように、ドイツで生まれた 「キリスト教神智学 (Christian theosophy) 」 ・ 「ベーメ神智学 (Boehmian theosophy) 」 を出発点として、その後、人為的に造り出された “幻想” であるところのマルクス主義・共産主義・社会主義という類の妄想が生み出されることとなります。ここで重要な点は、そもそも全知全能なる神が創り賜うた世界にあって、なぜ悪が存在するのか、という疑問から生じた 「ベーメ神智学 (Boehmian theosophy) 」 が、ユダヤ・キリスト教的 “善悪二元論” をより一層強化し、世界を完全に良くするために 「悪なるもの」 を消し去らねばならない、といった浅はかな思考へと陥る人々を生じさせたことです。多くの一般的な人々も陥りやすい誤った思考ですが、特に 「極左おパヨク」 と呼ばれる連中はその影響をもろに受けてしまうほどの 「おバカ」 で、さまざまな “アイデンティティ” を次から次へと粗製濫造することで、ユダヤ・キリスト教的な 「贖罪(しょくざい)」 の対象物として “罪” を創り出し、その罪に対する償 (つぐな) い・贖 (あがな) いを果たねばならない、と妄信させることによって、「寡頭制 (oligarchy/オリガルキー)」 の下で人々に対して自己抑圧的な態度の徹底を促し ( ← これが、ポリコレw)人々の “自由” を奪う極めて 「権威主義的な統制社会の再構築」 を目指す連中の思う壺となっていて、それはまさに現在私たちが普通に目にすることができる状況にあります。つまり、もはや隠そうともしていないという状況にあるということです。

    Hunter Biden Soros Linked to Biolabs in Ukraine





    その 「寡頭制 (oligarchy/オリガルキー)」 については、ドイツ出身の社会学者・歴史学者かつマルクス主義者であり、エリート理論の信奉者で、さらにはファシズム (全体主義者) でもあったロベルト・ミヒェルス (ロベルト・ミヘルス) が提唱した仮説である 『寡頭制の鉄則』 (iron law of oligarchy) を確認をしてきましたが、そこにもやはり 「キリスト教神智学 (Christian theosophy) 」 ・ 「ベーメ神智学 (Boehmian theosophy) 」 の影響を見ることができます。(詳しくはこちらから💓

    ロベルト・ミヒェルス(ロベルト・ミヘルス)
    ロベルト・ミヒェルス(ロベルト・ミヘルス)

    また、「寡頭制 (oligarchy/オリガルキー) 」 と同根の言葉である 「オリガルヒ (oligarch) 」 につきましても、ロシア詳しくはこちらから💓) やウクライナ詳しくはこちらから💓) の事例から、そこには少なからぬ 「ユダヤ人 ( = ユダヤ教徒)」こちらもご参照💓) が存在していることも判明しました。

    A storm is coming 245





    さらには、ウクライナとユダヤ人 ( = ユダヤ教徒) と特異な関係を、ウマン (ウーマニ) 巡礼の形成の歴史を通じて確認しました。 (詳しくはこちらから💓

    ウーマニ

    そこで、現在 “ユダヤ人” (民族としては定義され得ない、単なる宗教信者のグループ) という存在に着目し、より一層理解を進めるために様々な論文を見ているところとなります。

    dgesyda.jpg
    『分水嶺レンベルク : 象徴としての地誌』伊狩 裕

    ガリツィアのユダヤ人―ポーランド人とウクライナ人のはざまで

    それでは早速、続きを見て参りましょう。

    『 2.
     ポルトヴァの埋設工事は 1883 年に本格的に開始され、市の西部を貫くヘチマン堤 (現在の自由大通りの一部) とアカデミク通り (現シェフチェンコ大通り) における埋設は 1890 年代の初めにほぼ完了し、その後さらに町の南北に向かって継続されてゆく。この工事は、19 世紀のパリ、ウィーンなどでも行われたように、産業革命による社会・経済構造の変化、人口の急激な増加にともなって行われた、インフラ整備を含む市全体の大改造の一端であった。


    ポルトヴァの位置
    ポルトヴァの位置

     レンベルク (※ウクライナ語でリヴィウ、ドイツ語でレンベルク (Lemberg)、ポーランド語でルヴフ (Lwów) ) の産業革命は 1850 年代のボリスラフにおける石油採掘を機に始まった。レンベルクの南、ボリスラフ周辺は以前から、臘燭、アスファルトなどの原料となる地臘の産地として知られていたが、1853 年にレンベルクで匂いが少なく安全な石油の精製法が開発されまた扱いやすく安全な石油ランプが発明され照明器具として実用化されると石油に対する需要は高まった

    リヴィウ(レンベルク)の位置
    リヴィウ (レンベルク、ルヴフ) の位置

    ボリスラフの位置
    ボリスラフの位置

     初期の石油採掘はもっぱら人力に頼ったものであったが背後のガリツィアの農村が安価な労働力の供給源となったガリツィアは1847 年、1849 年、1855 年、1865 年、1876 年、1889 年に飢饉に見舞われ19 世紀後半農民たちは慢性的な食糧不足に苦しめられ餓死する者も少なくはなかった農民たちは生存のために土地を売却し、大土地所有者に低賃金で雇用される農業プロレタリアートとなるか「大挙してガリツィアから南ハンガリー、北アメリカ、ブラジル、ベッサラビア、ルーマニア、ヴォリニアなどに移住」 して行ったとイヴァン・フランコは述べているが、ガリツィアを出なかった者たちは1860 年代後半から急速にその距離を伸張しつつあったガリツィアの鉄道建設や石油採掘都市の土木建築現場などで労働力を売って糊口を凌ぐほかはなかった。労働シオニストS.R.ランダウは、ボリスラフの油田地帯の労働者たちについて、こう報告している。

    1914年におけるオーストリア=ハンガリー帝国中のガリツィア・ロドメリア王国
    1914年におけるオーストリア=ハンガリー帝国中のガリツィア・ロドメリア王国

    現代ヨーロッパにおけるガリツィアの位置
    現代ヨーロッパにおけるガリツィアの位置

    adsdsyedus.jpg

    就労のチャンスに誘われここでの仕事を成し遂げ自らの力によって新たな価値を創り出そうと何千人という単位であらゆる地域から集まってきた人々は自分たちの成果に与 (あずか) ることができない彼らには肉体と生命を保持し子孫を残すのに必要な最低限のものしか手に入らないというのもここでは冷酷な賃金法のシステムさらに女性や児童の労働それどころか女性の夜間労働までもが隆盛を極めているからである。労働者保護法などはここでは風聞に過ぎない。

     不健康な死と隣り合わせの過酷な条件下で一日 12 時間働いてもその日当は一家がかろうじて餓死せずにすむ程度であったそれでも人々は「ボリスラフへ行こう、金を稼ぎに。そこから戻ったら旅籠の主になるんだ」と夢を抱いてガリツィアの各地から石油地帯ドロホーヴィチボリスラフ周辺に集まってきた
     石油採掘が本格化する以前の 1860 年代には 500 人にも満たなかったボリスラフの人口は1898 年には 12,000 人に膨れあがり隣町ドロホーヴィチの人口も1882 年から 1914 年の間に 18,000 人から 38,000 人に倍増した。』


    ということで、本日はここまでとさせて頂きます。











    続きは次回に♥




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