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    親子チョコ💗(500冊以上の良質な書籍のご紹介)

    子どもたちの教育のため、また、その親である私たち自身が学ぶための、読まれるべき良質な書籍のみをご紹介させていただきます。

     >  国際 >  インド人から見た日本の魅力

    インド人から見た日本の魅力

    How Antifa actually looks

    本日のキーワード : 極左、アイデンティティー



    バーバラ・スミス(Barbara Smith、1946年11月16日生まれ)は、アメリカ人レズビアンフェミニストそして米国の黒人フェミニズムで重要な役割を果たしてきた社会主義者1970年代初頭以来ブラックフェミニスト思想の学者活動家評論家講師作家などの活動を行う

    本日の書物 : 『インドと日本は最強コンビ』 サンジーヴ・スィンハ 講談社



    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 三連休を利用して旅行に行ったことがあります。とはいっても特に目的地はなく、何も決めないまま、私はとりあえず東京駅へ向かいました。知らない場所に、行き当たりばったりで旅をしてみたかったのです。

     そして、駅の案内所でお薦めの場所を聞いてみました。とりあえず 「北のほうがいいです」 とだけリクエストすると、「八戸はどうでしょう」 と薦められました。

     そこで、新幹線の切符を買って八戸へ向かったのですが、八戸の駅の周りは畑や田んぼばかりでした。【自然のなかに、テクノロジーの結晶】としての新幹線の駅があるという光景はとても新鮮で、これも【日本ならではのもの】だなと思ったものです。

     八戸では観光案内所で十和田湖を教えてもらい、レンタカーで向かいました。それから青森市内で一泊することに・・・・・・すると、予約していなかったにもかかわらず、すぐに部屋を取ることができたのです。

     これは【日本だからこそ】できたことでしょう。ほかの国でちゃんとしたホテルに泊まろうと思ったら予約が絶対に必要ですし、高い料金もかかります。インドだったら 3 万円から 4 万円はするのではないでしょうか。

     ところが日本では、ビジネスホテルならすぐに取ることができますし、1 万円以下の値段でもかなり快適です。清潔で、たくさんのアメニティが用意されていますし、インターネットもつながります。

     そもそも、【きれいな水が出たり、途切れずにお湯が出る】というのも、途上国ではなかなかないこと。しかし【日本では、それが当たり前のこと】になっています。

     翌日は、青森からフェリーで函館へ向かいました。そこで一日観光して、さらに次の日は札幌へ、そこから飛行機で東京に戻ってきました。

     かなり変則的で、まったくの無計画な旅。それでも私は、ぜんぜん苦労することなく、行く先々の景色や食べ物を満喫することができました。それだけ、【日本はインフラが整っており、サービスもいい国】なのです。

     よほどのことがない限り「あの地域は危ないから行ってはいけない」ということもありませんから、【知識がなくても旅を楽しむことができる】。そういう【安全なところも日本の魅力】です。』

    日の丸

    極左おパヨクが愛して止まない “アイデンティティー”


    いかがでしょうか?

    今回ご紹介させていただく書物は、「インド・インド人」と「日本・日本人」とのそれぞれの特徴を比較した場合に浮き上がってくる大きな違いをそれぞれが補完する形で結びつくことで新たに大きな可能性を拓くことができると主張する著者が、インド人として見た「日本・日本人」の姿を解説しながらその可能性について分かりやすく解説されている良書になります。

    読書 4-79

    それでは本日も、いつものように、直近の「致死率」を確認しておきましょう。

    (死亡症例数)÷(感染症例数)=(致死率)

    ※(  )内は前回の数値

    petjusfand.jpg
    Coronavirus COVID-19 Global Cases by Johns Hopkins CSSE

    アメリカ : 596,783(596,154)÷33,335,650(33,316,164)=0.0179・・・(0.0178) 「1.79%(1.78%)」
    petjusfand1.jpg

    イタリア : 126,415(126,342)÷4,227,719(4,225,163)=0.0299・・・(0.0299) 「2.99%(2.99%)」
    petjusfand2.jpg

    日本 : 13,417(13,331)÷758,290(755,695)=0.0176・・・(0.0176) 「1.76%(1.76%)」
    petjusfand3.jpg

















    egdusyed.jpg
    【日本語訳】 U.S. DEPARTMENT of STATE / Fact Sheet : Activity at the Wuhan Institute of Virology  (米国務省 / ファクトシート : 武漢ウイルス研究所での活動)

    さて、これまで、「キリスト教神智学(Christian theosophy)」または「ベーメ神智学(Boehmian theosophy)」として知られる、ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)から始めて、それを受け継いできた人々についてその流れを追ってまいりました彼らが言っていたことを、簡単に表現したものを列挙致しますと、次のようになります

    ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)
    ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)

    世界は本来壊れているものであり、それを直すことができるのは正しい者だけである

    イマヌエル・カント
    イマヌエル・カント

    たとえ世界を直すことができなくても、私たちは常に世界を直すことができると仮定して行動しなければならない

    ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル
    ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル

    世界が固定されていたとしても、私たちは無意識のうちに分裂を起こし、世界が再び崩壊し始めることになる

    カール・マルクス
    カール・マルクス

    私たちには、世界を壊したいという衝動はない。もし私たちが世界を壊すとすれば、それは私たちが社会とその主人たちからそうすることを学んだからである。

    1895年のレーニン
    ウラジミール・レーニン

    われわれは、世界を固定するために、意識の統一を強行しよう

    W・E・B・デュボイス(1918年)
    W・E・B・デュボイス(1918年)

    世界のことは忘れて。 私はどうなるの?  私は二つ意識の一部です。 助けて!

    ヨシフ・スターリン(1915年)
    ヨシフ・スターリン

    ロシア人だけが世界を修正するのに十分な正義感を持っている。

    ルカーチ・ジェルジュ
    ルカーチ・ジェルジュ

    (人の言いなりになる)従順な者だけが世界を修正するのに十分な正義を持っている。

    毛沢東 5
    毛沢東

    中国人だけが世界を修正するのに十分な正義感を持っている。

    ソウル・デヴィッド・アリンスキー
    ソウル・デヴィッド・アリンスキー

    上流階級を打ち負かすための鍵は、中流階級を誘惑することである。

    ポイント 女性

    御覧のように、その根底に存在しているのは、ユダヤ・キリスト教的な「贖罪(しょくざい)」の意識になります。キリスト教ならば、イエス・キリストが磔刑に処せられたことを以て、人類の罪に対する償(つぐな)い・贖(あがな)いであるとし、人類に救いをもたらす(もたらした)とする、そんな意識です。ですから、これ明確に宗教的な思考・思想であり、これら一連の流れ・系譜は、なんらかの“ひとつの宗教”であると考えることでより一層理解し易くなります

    マルクス主義・共産主義・社会主義という類の妄想も、“とあるひとつの宗教”から生み出された「贖罪」の意識であり、それは“物質的”なものでしかありませんでした。だからこそ大失敗に終わったとも考えられるわけですが。。。

    女性 ポイント これ

    しかしその“とある宗教”の信者らは、大失敗のあとさまざまな“アイデンティティ”を次から次へと粗製濫造することによって、「贖罪」の対象物としての“罪”を創り出し自らの罪に対する償(つぐな)い・贖(あがな)いを果たそうと躍起になることとなります。



    1970年代「ブラック ・フェミニズム」は、「白人女性の政治とは異なる反人種主義的な政治、そして黒人と白人との男性の政治とは異なる反性差別的な政治」を掲げた極左運動ですが、その「ブラック ・フェミニズム」を代表するステイトメント 「コンバヒー ・リバー ・コレクティブ ・ステートメント (Combahee River Collective Statement)」 というもので、その中で史上初めて使われた非常に象徴的なフレーズこそが、「アイデンティティ政治 (identity politics)」で、この運動の代表者社会主義者のバーバラ・スミスとなります。

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    『The Combahee River Collective Statement』

    バーバラ・スミス
    バーバラ・スミス

    で、そのステイトメントの中では、次のように述べられています。

    This focusing upon our own oppression is embodied in the concept of identity politics. We believe that the most profound and potentially most radical politics come directly out of our own identity, as oppression. In the case of Black women this is a particularly repugnant, dangerous, threatening, and therefore revolutionary concept because it is obvious from looking at all the political movements that have preceded us that anyone is more worthy of liberation than ourselves. We reject pedestals, queenhood, and walking ten paces behind. To be recognized as human, levelly human, is enough.

    (自分自身の抑圧に焦点を当てることは、アイデンティティ政治の概念に具現化されている。私たちは、最も深遠で潜在的に最もラディカルな政治は、抑圧としての私たち自身のアイデンティティから直接生まれると信じています。黒人女性の場合、これは特に忌まわしく、危険で、脅威であり、したがって革命的な概念である。なぜなら、私たちに先行するすべての政治運動を見れば、私たち自身よりも解放する価値のある人がいることは明らかだからである。私たちは、台座や女王の地位、10歩後ろを歩くことを拒否します。人間であると認められれば、それだけで十分なのです。)

    これを、もっと簡単に言い換えてみますと、次のようになります。

    私は複数の意識の一部であり、それぞれの意識が他のすべての意識よりも重要なのです

    要するに、壊れちゃってるわけです。

    女性 ポイント ひとつ



    また、1985年には、 『 Hegemony and Socialist Strategy (覇権と社会主義戦略)』 というポスト・マルクス主義を代表する “トンデモ本” が出版されています。 

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    『Hegemony and Socialist Strategy』

    民主主義の革命―ヘゲモニーとポスト・マルクス主義 

    で、その中で述べられていることは、次のようなものになります。

    The centrality attributed to the working class is not a practical but an ontological centrality, which is, at the same to me, the seat of an epistemological privilege: as the "universal" class, the proletariat - or rather its party - is the depository of science. At this point, the schism between class identity and the identity of the masses becomes permanent. The possibility of this authoritarian tum was, in some ways, present from the beginnings of Marxist orthodoxy; that is to say, from the moment in which a limited actor - the working class - was raised to the status of "universal class".

    (労働者階級に帰せられる中心性(重要性)は、実際的なものではなく、存在論的な中心性(重要性)であり、それは同時に、私にとっては、認識論的な特権の座でもある。「普遍的」な階級として。プロレタリアート(むしろその党)は科学の保管庫である。この時点で、階級のアイデンティティーと大衆のアイデンティティーとの間の分裂が永久に続くことになる。このような権威主義的転覆の可能性は、ある意味では、マルクス主義の正統性の始まりから存在していた。つまり、限定されたアクターである労働者階級が「普遍的階級」の地位に引き上げられた瞬間からである。)

    これを、もっと簡単に言い換えてみますと、次のようになります。

    私たちは、世界を修復することには関心がありませんでした。私たちは、自分たちのアイデンティティーをアピールすることにしか関心がなかった

    要するに、自分たちで色々と分析してみて判明した事実は(極左であるおパヨクの私たちは)世界を壊すことにしか関心がなかった(これまでも、そして、これからも・・・)わけです。

    女性 ポイント ひとつ

    ということで、本日はここまでとさせて頂きます。









    続きは次回に♥




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