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    親子チョコ💗(500冊以上の良質な書籍のご紹介)

    子どもたちの教育のため、また、その親である私たち自身が学ぶための、読まれるべき良質な書籍のみをご紹介させていただきます。

     >  支那 >  一番は「おカネ」、二番は「家族(但し嫁除く)」、哀れな国家は三番目、それが中国人

    一番は「おカネ」、二番は「家族(但し嫁除く)」、哀れな国家は三番目、それが中国人

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    本日のキーワード : 五斗米道、道教、魏



    五斗米道(ごとべいどう)は、後漢末に太平道に少し遅れて張陵(張道陵とも)が蜀郡の成都近郊の鶴鳴山(あるいは鵠鳴山とも現在の四川省成都市大邑県)で『老子道徳経』を基本にして起こした道教教団2代目の張衡の死後蜀郡では巴郡の巫である張脩の鬼道教団が活発化した益州牧の劉焉の命で3代目の張魯とともに漢中太守蘇固を攻め滅ぼしたが後に張魯が張脩を殺害してそれを乗っ取り漢中で勢力を固めた

    五斗米道の名は信者に五斗(=500合=当時20リットル)の米を寄進させたことに由来する。張魯が張陵を『天師』として崇めたことから後には『天師道』という呼称に変わりさらに正一教と名を変えて現代まで残る呪術的な儀式で信徒の病気の治癒をし流民に対し無償で食料を提供する場を設けた悪事を行ったものは罪人とせず3度まで許し4度目になると罪人と評して道路工事などの軽い労働を課したこれらのことにより信仰を集めさらに信者から構成される強固な自治組織が形成されていった一般信者を鬼卒それをまとめるものを祭酒更にその上に治君・師君(張魯が号した)を置く階級制があった

    こうして五斗米道は、三国時代直前には漢中に宗教王国とも言える組織を形成したが、建安20年(215年)に曹操が漢中に侵入してくるとこれに帰順する。

    教義は太平道に似ていて病気治療が基本である。この教団によるとヒトが病気をするのは人間界を支配する宇宙の神がそのヒトの罪悪に対して懲罰を与えるためであると説いたそれで病人は静室に閉じこもって過去に犯した罪悪を懺悔し服罪と自戒を意味する直筆の祈祷書または誓約書を三通書かせ一通目は山の上に置いて山の神へ二通目は地に埋めて地の神へ三通目は水中に沈めて水の神へいわゆる天・地・水の三官神に捧げて病気治療をした

    本日の書物 : 『この厄介な国、中国』 岡田 英弘 ワック



    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 いまに伝わる【道教の起源】となったのは、太平道とほぼ同時期に四川の地に起こった【“五斗米道(ごとべいどう)”なる秘密結社】である。この五斗米道は、やはり一ハ四年に四川で反乱を起こしたが、その指導者であった【張脩(ちょうしゅう)】が、信徒から入門料として五斗の米を徴収したことから、この名が付いたと言われている。

     この集団は宗教戒律を持っていたが、やはり【本質は秘密結社】であった。同信の兄弟たちのために伝舎(でんしゃ)、すなわち会館を設け、無料で宿泊させ食事を供し、互助の機能を充分に発揮した。各地の支部のリーダーは「祭酒(さいしゅ)」と呼ばれ、信徒はそれぞれ軍人の位階に類する階級を称した。その点では救世軍に似ているとも言える。

     この五斗米道は黄巾の乱以後の混乱の中、巧みに自らの勢力を守りぬき、漢江上流に自治の神聖王国を作り上げるに至った。その後、ニ一五年に、魏の曹操の軍門に下るのだがそれで五斗米道は終わったわけではない。それどころか曹操の息子である曹宇は、そのときの五斗米道の首領であった張魯(ちょうろ)の娘を妻にしたほどで、魏朝の保護を受け、かえって【五斗米道は中国全土に広まった】のである。

     実は【現在の道教】は【この五斗米道の流れを汲むものである】。』

    日の丸

    一番は家族、二番は教会、哀れな国家は三番目


    いかがでしょうか?

    今回ご紹介させていただく書物は、およそ20年前に出版されたものですが、そこから現在に至るまで相も変わらず「中国」というものを正確に理解できない(=トンチンカンな幻想を抱く)日本人が数多く存在していて、開いた口が塞がらない状況にあるのですが、そのような方々にまさに“打って付け”の内容となっており、是非とも正しい「中国」理解を広く一般国民に知らしめるべく当ブログが自信を持ってお勧めする良書になります。学校教育で教え込まれる「中国」のイメージが、如何に実態とかけ離れているのかが非常によく理解できると思います(笑)

    読書 4-54

    それでは本日も、いつものように、直近の「致死率」を確認しておきましょう。

    (死亡症例数)÷(感染症例数)=(致死率)

    ※(  )内は前回の数値

    cvbjhgfsd.jpg
    Coronavirus COVID-19 Global Cases by Johns Hopkins CSSE

    アメリカ : 579,929(579,122)÷32,580,188(32,544,460)=0.0178・・・(0.0177) 「1.78%(1.77%)」
    cvbjhgfsd1.jpg

    イタリア : 122,263(122,005)÷4,082,198(4,070,400)=0.0299・・・(0.0299) 「2.99%(2.99%)」
    cvbjhgfsd2.jpg

    日本 : 10,566(10,501)÷622,265(617,890)=0.0169・・・(0.0169) 「1.69%(1.69%)」
    cvbjhgfsd3.jpg













    シェイシェイ茂木



    【閲覧注意】

    hunter biden“s secret



    egdusyed.jpg
    【日本語訳】 U.S. DEPARTMENT of STATE / Fact Sheet : Activity at the Wuhan Institute of Virology  (米国務省 / ファクトシート : 武漢ウイルス研究所での活動)

    さて、これまで、「キリスト教神智学(Christian theosophy)」または「ベーメ神智学(Boehmian theosophy)」として知られる、ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)から始めて、それを受け継いできた人々についてその流れを追ってまいりました彼らが言っていたことを、簡単に表現したものを列挙致しますと、次のようになります

    ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)
    ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)

    世界は本来壊れているものであり、それを直すことができるのは正しい者だけである

    イマヌエル・カント
    イマヌエル・カント

    たとえ世界を直すことができなくても、私たちは常に世界を直すことができると仮定して行動しなければならない

    ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル
    ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル

    世界が固定されていたとしても、私たちは無意識のうちに分裂を起こし、世界が再び崩壊し始めることになる

    カール・マルクス
    カール・マルクス

    私たちには、世界を壊したいという衝動はない。もし私たちが世界を壊すとすれば、それは私たちが社会とその主人たちからそうすることを学んだからである。

    1895年のレーニン
    ウラジミール・レーニン

    われわれは、世界を固定するために、意識の統一を強行しよう

    W・E・B・デュボイス(1918年)
    W・E・B・デュボイス(1918年)

    世界のことは忘れて。 私はどうなるの?  私は二つ意識の一部です。 助けて!

    ポイント 女性

    御覧のように、その根底に存在しているのは、ユダヤ・キリスト教的な「贖罪(しょくざい)」の意識になります。キリスト教ならば、イエス・キリストが磔刑に処せられたことを以て、人類の罪に対する償(つぐな)い・贖(あがな)いであるとし、人類に救いをもたらす(もたらした)とする、そんな意識です。ですから、これ明確に宗教的な思考・思想であり、これら一連の流れ・系譜は、なんらかの“ひとつの宗教”であると考えることでより一層理解し易くなります

    マルクス主義・共産主義・社会主義という類の妄想も、“とあるひとつの宗教”から生み出された「贖罪」の意識であり、それは“物質的”なものでしかありませんでした。だからこそ大失敗に終わったとも考えられるわけですが。。。

    女性 ポイント これ

    しかしその“とある宗教”の信者らは、大失敗のあとさまざまな“アイデンティティ”を次から次へと粗製濫造することによって、「贖罪」の対象物としての“罪”を創り出し自らの罪に対する償(つぐな)い・贖(あがな)いを果たそうと躍起になることとなります。

    そこで現在、次の論文を参考にさせて頂きながら、その“アイデンティティ”について、果たしてそれは一体どのようなものであるべきなのかについて考えているところになります。

    fxvcmnvbc.jpg
    『アイデンティティ概念の再構築の試み : イタリア人アイデンティティという事例とともに』 宇田川 妙子

    それでは早速、昨日の続きを見て参りましょう。

    『 近代的なるものは、差異からアイデンティティを構成するのではなく、アイデンティティから差異を構成する。(クロスバーグ1998: 162)

    自分にさわって自分の手を握りしめるたびに、そう、 「私」 と私は言った。しかし私は誰にそう言ったのだろうか。そして誰にとっての「私」なのか。私はひとりきりだった。(Pirandello 1992: 126)

    関係は完全な全体性からではなく、完全性を構成することの不可能性から生じる。(ラクラウ&ムフ2000: 199)


    4 イタリア人アイデンティティ

    4.1 「弱い」イタリア人アイデンティティ

     ・・・さてこうしてみると、イタリア人アイデンティティの脆弱さとは否定しがたい事実のように見えるかもしれないしかし、すでに先触れをしたように、彼らはだからといってそのイタリア人意識を否定または棄却するどころかしばしば積極的に用いている

     たとえば筆者は、1986 年にローマ近郊の R 町で調査をはじめて以来、頻繁に同調査地を訪れているが、そこでは、筆者が 「イタリアの文化や社会について学びに来ている」 と言うと、人々は、前述のように 「イタリアにはイタリア人はいない」 とか 「ここはイタリアではなく R だ」 等々と、半分笑いながら応ずることが多かった。また、「一番 (大切なもの) は家族、二番は教会、哀れな国家は三番目」 という決まり文句もあるように、彼らは自分たちの生活にとって国家が占める意味は非常に低いと見なしていた。まさに教科書どおりの 「弱い」 イタリア人 ・ アイデンティティである。

     しかし、その一方で彼らは、自らがイタリア人であるということを頻繁に口にしており、その様子に筆者はしばしば戸惑うことさえあった。たとえば、自分たちイタリア人は時間を守らない情熱的だ陽気だ仕事をしない等々、まさに類型的なイタリア人イメージを、時には自虐的に時には誇らしげに彼ら自身が陳述している場には何度も出会った。また、北イタリアの分離独立を政治目標に掲げた北部同盟 (後述) の躍進時には、その行動に対する反感や抗議は R 町でも大きく、彼らは 「我々はイタリア人だ。イタリアを分けることはできない」 と論評し合っていた。さらに興味深かったのは、外国人や外国メディアによるイタリア人イメージに対して、それが特にネガティブなものの場合、しばしば強く反応をしていたという点である。特に頻繁に聞かれたのは、イタリアといえばマフィアと結びつけられるのが嫌だという台詞であり、また、日本人イタリア人を 「世界一のバカ」 だと思っているという或る調査結果がかなり大きく報道されたようで、「本当にそうなのか。心外だ」 と、真顔で問い詰められることも度々あった。自分たちはアモーレ (愛) やマンジャーレ (食) のことばかり考えているわけではないと憤然とする者もいた。ところが、しばらく経つと、そうした抗議をしていた者が、我々イタリアはマフィアの国だ、我々イタリア人にとってアモーレは大切だなどと口にすることもしばしばあったのである。

     とするならば、彼らのイタリア人アイデンティティとは、弱いとはいえそれなりに機能しているのではないか、あるいは、それほど弱いとは言えないのではないか ― 我々は、ついこうした問いを立てたくなるがその前にこの問いも含めてそもそも彼らのイタリア人アイデンティティを弱い/強いという基準で語ろうとする言説にこそ問題があるのではないかという点を考えておく必要があるだろう。』


    ということで、本日はここまでとさせて頂きます。








    PART 1: CNN Director ADMITS Network Engaged in ‘Propaganda’ to Remove Trump from Presidency
    (第1部 : CNNディレクター、トランプ氏を大統領の座から引きずり下ろすための 「プロパガンダ」 に関与したことを認める)





    続きは次回に♥




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