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    親子チョコ💗(500冊以上の良質な書籍のご紹介)

    子どもたちの教育のため、また、その親である私たち自身が学ぶための、読まれるべき良質な書籍のみをご紹介させていただきます。

     >  支那 >  「農村集落が発展した結果、都市が成立した」というのはウソ。 「まず都市が成立し、しかるのちに周辺に農村が誕生した」というのがホント。

    「農村集落が発展した結果、都市が成立した」というのはウソ。 「まず都市が成立し、しかるのちに周辺に農村が誕生した」というのがホント。

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    本日のキーワード : 嘘、偽り、フェイク、“バイデン政権”



    嘘(うそ)とは事実ではないこと人間をだますために言う事実とは異なる言葉偽りとも嘘とは事実に反する事柄の表明であり特に故意に表明されたものを言う嘘の意を含む「ガセ」とは一部の業界で使用されていた元隠語が一般に普及したものでありもともとは「偽物」のことである

    アウグスティヌスは『嘘をつくことについて』(395年)と『嘘をつくことに反対する』(420年)の二論文において嘘について「欺こうとする意図をもって行われる虚偽の陳述」という定義を与えているこの古典的定義は中世ヨーロッパの言論・思想界に大きな影響を与えた嘘の歴史について語るとき欧米圏では旧約聖書に登場する話カインが弟アベルを殺した後アベルの行方を問われたカインが「知りません。私は永遠に弟の監視者なのですか?」と答えたことに言及されそれが「人類の最初の嘘」などと語られることが多い



    嘘
    嘘が書かれたウィキペディアの実例

    本日の書物 : 『この厄介な国、中国』 岡田 英弘 ワック



    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 中国では、紀元前16世紀から15世紀頃黄河中流域にある【洛陽(らくよう)盆地】を中心にして文明が起こった。このことは読者もご承知のことであろう。いわゆる黄河文明の誕生である。

     さて、この黄河流域に、最初の文明が誕生した理由として一般的に言われてきたのが【農業起源説】であった。つまり、肥沃な黄河流域に農業が発展し、人口が密集して生まれたのが最初の都市文明であるという説明である。

     だが【それは疑わしい】。というのも【黄河流域は、けっして農業に適した土地ではないから】である。黄河下流域では数年に一度の割合で、大規模水害が発生する。また、上流域は流れによる侵蝕のために、ひじょうに住みにくい場所である。【農業民が密集する場所として、黄河流域ほど不適な場所はない】

     では、【なぜこの地に最初の都市文明が生まれたのか】 ―― それは【交易のため】である。長い黄河の中で唯一【渡河(とか)】可能なのは、当時は、この【洛陽盆地の周辺】であった。洛陽周辺では黄河の岸は低くなり、苦労せずに対岸に渡れたのである。

     そこで、この特性に注目した人々が洛陽周辺に集まるようになった。その当時、洛陽盆地の周辺には、それぞれ【生活形態の違う4つの種族】が住んでいたと言われるが、その彼らが【交易する場所として発展】した結果生まれたのが最初の都市文明であった。そして、その【都市の支配者】が【王を名乗る】ようになった。つまり中国古代の王は、もともと【市場で商売をする商人集団のボス】でもあったわけである。

     ちなみに【「農村集落が発展した結果、都市が成立した」】という素朴な【発展段階説】が広く流布しているがこれは【マルクスが創り出した根拠なき唯物史観による仮説にすぎない】実際には地球上の諸文明は「まず都市が成立し、しかるのちに周辺に農村が誕生した」と見るべきである

    女性 ポイント ひとつ

     文明が交易から起こったということは中国の史書に残っている説話からも、裏付けできる。

     司馬遷(しばせん)の『史記』には、中国最古の王朝は【夏(か)】という名前であったとされているが、この「夏」は【商人を意味する「賈(か)」から来ている】と考えられる。そして、この夏王朝を滅ぼして次に登場したのが【「殷(いん)」】であるが、この殷王朝の人々は自分たちの王朝を【「商(しょう)」と称し、自分たちは「商人」であると名乗っていた】。「賈」といい、「商」といい、これらの古代王朝がいずれも交易に関係する文字を使っていたのは、けっして偶然ではない。』

    日の丸

    最初に問題となった中国人移民


    いかがでしょうか?

    今回ご紹介させていただく書物は、およそ20年前に出版されたものですが、そこから現在に至るまで相も変わらず「中国」というものを正確に理解できない(=トンチンカンな幻想を抱く)日本人が数多く存在していて、開いた口が塞がらない状況にあるのですが、そのような方々にまさに“打って付け”の内容となっており、是非とも正しい「中国」理解を広く一般国民に知らしめるべく当ブログが自信を持ってお勧めする良書になります。学校教育で教え込まれる「中国」のイメージが、如何に実態とかけ離れているのかが非常によく理解できると思います(笑)

    読書 3-48

    それでは本日も、いつものように、直近の「致死率」を確認しておきましょう。

    (死亡症例数)÷(感染症例数)=(致死率)

    ※(  )内は前回の数値

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    Coronavirus COVID-19 Global Cases by Johns Hopkins CSSE

    アメリカ : 561,074(560,855)÷31,085,251(31,064,031)=0.0180・・・(0.0180) 「1.80%(1.80%)」
    qplazxcv1.jpg

    イタリア : 113,579(113,579)÷3,736,526(3,736,526)=0.0303・・・(0.0303) 「3.03%(3.03%)」
    qplazxcv2.jpg

    日本 : 9,327(9,325)÷500,999(499,763)=0.0186・・・(0.0186) 「1.86%(1.86%)」
    qplazxcv3.jpg





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    『外貨準備の金、3月に81トン増 50年ぶり増加幅』日本経済新聞20210407





    ↓↓↓【YouTubeによる“検閲”の実例】↓↓↓



    egdusyed.jpg
    【日本語訳】 U.S. DEPARTMENT of STATE / Fact Sheet : Activity at the Wuhan Institute of Virology  (米国務省 / ファクトシート : 武漢ウイルス研究所での活動)

    さて、これまで、「キリスト教神智学(Christian theosophy)」または「ベーメ神智学(Boehmian theosophy)」として知られる、ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)から始めて、それを受け継いできた人々についてその流れを追ってまいりました彼らが言っていたことを、簡単に表現したものを列挙致しますと、次のようになります

    ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)
    ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)

    世界は本来壊れているものであり、それを直すことができるのは正しい者だけである

    イマヌエル・カント
    イマヌエル・カント

    たとえ世界を直すことができなくても、私たちは常に世界を直すことができると仮定して行動しなければならない

    ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル
    ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル

    世界が固定されていたとしても、私たちは無意識のうちに分裂を起こし、世界が再び崩壊し始めることになる

    カール・マルクス
    カール・マルクス

    私たちには、世界を壊したいという衝動はない。もし私たちが世界を壊すとすれば、それは私たちが社会とその主人たちからそうすることを学んだからである。

    1895年のレーニン
    ウラジミール・レーニン

    われわれは、世界を固定するために、意識の統一を強行しよう

    W・E・B・デュボイス(1918年)
    W・E・B・デュボイス(1918年)

    世界のことは忘れて。 私はどうなるの?  私は二つ意識の一部です。 助けて!

    ポイント 女性

    御覧のように、その根底に存在しているのは、ユダヤ・キリスト教的な「贖罪(しょくざい)」の意識になります。キリスト教ならば、イエス・キリストが磔刑に処せられたことを以て、人類の罪に対する償(つぐな)い・贖(あがな)いであるとし、人類に救いをもたらす(もたらした)とする、そんな意識です。ですから、これ明確に宗教的な思考・思想であり、これら一連の流れ・系譜は、なんらかの“ひとつの宗教”であると考えることでより一層理解し易くなります

    マルクス主義・共産主義・社会主義という類の妄想も、“とあるひとつの宗教”から生み出された「贖罪」の意識であり、それは“物質的”なものでしかありませんでした。だからこそ大失敗に終わったとも考えられるわけですが。。。

    女性 ポイント これ

    しかしその“とある宗教”の信者らは、大失敗のあとさまざまな“アイデンティティ”を次から次へと粗製濫造することによって、「贖罪」の対象物としての“罪”を創り出し自らの罪に対する償(つぐな)い・贖(あがな)いを果たそうと躍起になることとなります。

    それでは昨日の続きになりますが、ヨーロッパのウラジミール・レーニンとは別の、もう一つの流れでもあるアメリカのウィリアム・エドワード・バーグハード・デュボイスについて、次の論文で確認しながら、いま一度、“アイデンティティ”について考えてみたいと思います。

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    『黒人と20世紀初期におけるアメリカの移民問題 ― W・E・B・デュボイスの移民観 ―』 竹本 友子

    それでは早速、昨日の続きを見て参りましょう。

    『 1. 第一次世界大戦前の黒人の移民イメージ

     本節では、まず中国系移民の存在問題化する 19 世紀後半から第一次大戦前まで黒人の移民イメージについて、主として黒人新聞や黒人指導者の発言に基づいたヘルウイグとシャンクマンの実証的研究に依拠してまとめてみたい。

     移民のうち最初に問題になったのが中国人それに続く日本人であるが、後述するように宗教等の文化や生活習慣上の相違が大きかったため、彼らについての黒人のイメージは、白人のそれと同様に自分たちとは異質の「外国人」として否定的なものが多かった

     しかし移民の否定的イメージを形作る諸要因のうち、最も大きなものはなんと言っても移民が黒人の職を奪い経済的上昇を阻むのではないかという不安であった。とはいえ 19 世紀後半から 20 世紀初頭,の時期には圧倒的多数の黒人は南部に居住しており、職をめぐる移民との競合は後の時代に比べればまだそれほど現実的でも切実なものでもなかった。黒人に代わる農業労働力として南部に中国人や日本人、イタリア人などの導入が検討されたり試みられる例もあったが、いずれも黒人にとってとくに脅威とはならなかった。したがって、移民の否定的イメージがそのまま移民制限の要求につながったわけではない

     ヨーロッパ系の移民よりも早く、1870 年代にはすでにカリフォルニア中国人移民に対する暴力や排斥の動きが見られたが、1882 年に彼らの入国を禁止する中国人排斥法が成立すると、その後彼らに取って代わる形で増加した日本人移民に対する差別が始まった。すでに述べたように中国人や日本人移民に関しては、その異質な文化が黒人の注目を引いたものの、彼らが黒人と同様の有色人種であったことから白人による彼らの処遇の人種差別的な側面が黒人の関心を集め批判の声があがることになる。』


    ということで、本日はここまでとさせて頂きます。







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    続きは次回に♥




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