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    親子チョコ💗(500冊以上の良質な書籍のご紹介)

    子どもたちの教育のため、また、その親である私たち自身が学ぶための、読まれるべき良質な書籍のみをご紹介させていただきます。

     >  支那 >  報道機関・メディアの「フェイクニュース(偽ニュース)」と、「フェイクプレジデント(偽大統領)」のペド・バイデン(⌒∇⌒)

    報道機関・メディアの「フェイクニュース(偽ニュース)」と、「フェイクプレジデント(偽大統領)」のペド・バイデン(⌒∇⌒)

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    本日のキーワード : 虚偽報道、捏造報道、フェイクニュース



    虚偽報道(きょぎほうどう)とは、マスメディア等において事実と異なる情報を報道すること、またはそのような報道そのものを指し示す

    朝日新聞などでよく見られる、初めから虚偽であることを認識した上で行う架空の報道や推測を事実のように報道するなど故意のものについては捏造報道という

    英語では fake news と言うが日本語で「フェイクニュース」「偽ニュース」と言った場合報道機関は意図的にソーシャルメディアに流される虚報・虚偽報道を指すと断定することが多い



    偽ニュースを伝播する記者たち(フレデリック・バー・オッパー)
    偽ニュースを伝播する記者たち(フレデリック・バー・オッパー)



    本日の書物 : 『この厄介な国、中国』 岡田 英弘 ワック



    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 その【典型的な例】が、2001年に再燃した【いわゆる歴史教科書問題】である。ここでは、1982年に起きた【教科書問題】を取り上げてみよう。これは、文部省が世界史の教科書の検定で「侵略」という表現を「進出」に書き直させたと【日本の新聞が報じたことがきっかけ】で、【中国で大々的な反日キャンペーン】が起こり【外交問題となった事件】である。

    それは朝日新聞

     しかし、【念のため】に付け加えるなら、【この発端となった日本の新聞報道はまったくの誤報】で、後の調査でも【書替えが行われた教科書は一冊も確認されなかった】だが【当時はそれが事実として論じられていた】のである

    朝日新聞 誤報

     この“誤報”に対して【当初、中国当局はきわめて無関心であった】

     日本の新聞が初めて教科書検定における文部省の「圧力」を問題にしたのは、この年の6月26日のことである。この報道が出た直後、中国ではただ一紙『人民日報』にだけ記事が出たが、コメント抜きで新華社電を引用しただけの、ひじょうにクールなもので、またそれにつづく報道もまったく見られなかった。【連日、文部省批判が繰り広げられていた日本とは大違い】であった。

     しかし、これは【考えてみれば当然のこと】で【教科書検定は日本の内政問題】であり【本来、中国が発言すべき筋合いのものではない】

     ところがそれから一カ月後に事態は一変する。』

    日の丸

    自分の想像する神のイメージとの対話で生まれた単なる妄想


    いかがでしょうか?

    今回ご紹介させていただく書物は、およそ20年前に出版されたものですが、そこから現在に至るまで相も変わらず「中国」というものを正確に理解できない(=トンチンカンな幻想を抱く)日本人が数多く存在していて、開いた口が塞がらない状況にあるのですが、そのような方々にまさに“打って付け”の内容となっており、是非とも正しい「中国」理解を広く一般国民に知らしめるべく当ブログが自信を持ってお勧めする良書になります。学校教育で教え込まれる「中国」のイメージが、如何に実態とかけ離れているのかが非常によく理解できると思います(笑)

    読書3-33

    それでは本日も、いつものように、直近の「致死率」を確認しておきましょう。

    (死亡症例数)÷(感染症例数)=(致死率)

    ※(  )内は前回の数値

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    Coronavirus COVID-19 Global Cases by Johns Hopkins CSSE

    アメリカ : 554,522(553,517)÷30,647,813(30,568,672)=0.0180・・・(0.0181) 「1.80%(1.81%)」
    hfjvbcnmx1.jpg

    イタリア : 110,704(110,328)÷3,650,247(3,629,000)=0.0303・・・(0.0304) 「3.03%(3.04%)」
    hfjvbcnmx2.jpg

    日本 : 9,198(9,191)÷482,704(479,929)=0.0190・・・(0.0191) 「1.90%(1.91%)」
    hfjvbcnmx3.jpg









    ↓↓↓【YouTubeによる“検閲”の実例】↓↓↓



    egdusyed.jpg
    【日本語訳】 U.S. DEPARTMENT of STATE / Fact Sheet : Activity at the Wuhan Institute of Virology  (米国務省 / ファクトシート : 武漢ウイルス研究所での活動)



    ヒトラー スターリン 毛沢東 

    さて、これまでのところで、マルクスに至るまでの「ドイツ思想」に決定的な影響を与えた「キリスト教神智学(Christian theosophy)」または「ベーメ神智学(Boehmian theosophy)」として知られる、ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)から始めて、その“悪”についてのベーメの思想の影響を受けたイマヌエル・カントゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルについて確認して参りましたが、彼らが言っていたことを簡単に表現すると、次のようになります

    ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)
    ヤーコプ・ベーメ(ヤコブ・ベーメ)

    世界は本来壊れているものであり、それを直すことができるのは正しい者だけである

    イマヌエル・カント
    イマヌエル・カント

    たとえ世界を直すことができなくても、私たちは常に世界を直すことができると仮定して行動しなければならない

    ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル
    ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル

    世界が固定されていたとしても、私たちは無意識のうちに分裂を起こし、世界が再び崩壊し始めることになる

    そして、この流れを受け継ぐカール・マルクス言っていたこと簡単に表現すると、次のようになります

    カール・マルクス
    カール・マルクス

    私たちには、世界を壊したいという衝動はない。もし私たちが世界を壊すとすれば、それは私たちが社会とその主人たちからそうすることを学んだからである。

    そして、ここから、さらに一歩踏み込んで積極的な態度へと転換させたのがウラジミール・レーニンで、彼が言っていたことを簡単に表現すると、次のようになります

    1895年のレーニン
    1895年のレーニン

    われわれは、世界を固定するために、意識の統一を強行しよう

    ポイント 女性

    で、そのウラジミール・レーニンとは別の、もう一つの流れでもあるアメリカのウィリアム・エドワード・バーグハード・デュボイスが挙げられますが、彼が言っていたことを簡単に表現すると、次のようになります

    W・E・B・デュボイス(1918年)
    W・E・B・デュボイス(1918年)

    世界のことは忘れて。 私はどうなるの?  私は二つ意識の一部です。 助けて!

    そこで、現在はこのデュボイスが主張する「二重意識」なるものを確認するために、次の論文を参考にしているところとなります。

    eydgtarsws.jpg
    『W.E.B.デュボイスの"The prayers of God"における「認識」の瞬間と「二重意識」の概念』 富澤 理英子

    それでは早速、昨日の続きを見て参りましょう。

    『 4. 神の視線と「認識」

     これまでは神と「私」の対話が成立したという前提に「認識」を考察してきたが、神との対話がない状況の中で「私」が(自分が加害した黒人が神だと)気づいた可能性も考えられる。「私」は “ I hear ! ” と、神との交信の成功を叫んでいるが、続く “ ( Wait, God, a little space. / It is so strange to talk with Thee- / Alone ! ) ” という部分等、神の存在は暖昧性を残している。また神が直接発言せず「私」の独白という形式で作品が終始している限り「私」は自分の想像する神のイメージと対話をしておりこの対話が「認識」につながったとも想定できよう。デュボイスの「二重意識」理論の代表的な定義は、

    It is a peculiar sensation, this double consciousness, this sense of always looking at one's self through the eyes of others, of measuring one's soul by the tape of a world that looks on in amused contempt and pity.

    というものであり、また、

    .. the Negro is as ort of seventh son, born with a veil, and gifted with second-sight in this American world, ― a world which yields him no true self-consciousness....

    とアメリカの黒人に与えられた視点の特徴について解説している。デュボイスは、Darkwater の第 2 章 “ The Souls of White Folk ” で “ none there are that intrigue me more than the Souls of White Folk ” と述べ、自らの白人達に対する視座について、

    Of them I am singularly clairvoyant. I see in and through them. I view them from unusual points of vantage.
    ...Rather I see these souls undressed and from the back and side. I see the working of their entrails. I know their thoughts and they know that I know.

    と述べている。キース・パイアマンは上記の “ I see these souls undressed and from the back and side ” の図式(白人の経験する視点)を一種の「二重意識」と見なしている。.もし、このデュボイスが表明した視座を “ The Prayers of God ” の神の視点に適用すれば、この詩もまた二重意識概念の “ second-sight, ” “ the eyes of others ” 理論の一種の具現化(人種的構成がオリジナルの概念と丁度反転した図式)になるのではないか。この詩では白人男性である「私」がいかに “ unusual points of vantage ” にいる「神」から見られているかを読み取る道筋や、神という “ the eyes of others ” を通しての自己認識が、神にリンチを加えていたという「認識」につながる図式が考えうるだろう。この派生として前述の罪の自白、謝罪、弁解があると読める。』


    ということで、本日はここまでとさせて頂きます。





    続きは次回に♥




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