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    親子チョコ💗(500冊以上の良質な書籍のご紹介)

    子どもたちの教育のため、また、その親である私たち自身が学ぶための、読まれるべき良質な書籍のみをご紹介させていただきます。

     >  世界史 >  国民の生命の安全よりも、自分自身の生命の安全を優先した独裁者・スターリン

    国民の生命の安全よりも、自分自身の生命の安全を優先した独裁者・スターリン

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    本日のキーワード : 保身、全体主義、自由



    保身(ほしん)とは、自分の地位・名誉・安全などを守ること




    本日の書物 : 『ミトロヒン文書 KGB(ソ連)・工作の近現代史』 山内智恵子 ワニブックス



    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 大テロル時代が終わっても【トロツキー暗殺作戦】は続きますむしろいよいよもって本気ですパリの特殊作戦部隊の司令官は、1938年11月に大テロルでモスクワに召喚されて裁判にかけられました。後任は、12歳で赤軍入りし十代でチェカーに入ったベテランのP・スドプラトフが任命されました。

    パヴェル・アナトーリエヴィチ・スドプラトフ
    パヴェル・アナトーリエヴィチ・スドプラトフ

     暗殺のエキスパートでもあるスドプラトフに【スターリン】【直々にトロツキー暗殺を命じます】。スドプラトフは一時的にNKVD対外諜報部の副長官も兼任したので、特殊作戦部隊と対外諜報部の連携が密になりました。

    「スターリン」と「ヒトラー」の決定的な違い

    ソ連のじゃんけん、中国のじゃんけん、日本のじゃんけん → どこが違うの?

     1939年8月23日、【スターリン】それまで敵対関係であった【ヒトラー】との間で【独ソ不可侵条約を締結】しました。9月1日、【ドイツ】【この条約の秘密議定書に基づいてポーランドに侵攻】し、【これを受けて英仏がドイツに宣戦布告】して【第二次世界大戦が始まりました】。しかし、【スターリンにとっては】ヒトラーの意図や動きを探ることより【トロツキーの抹殺が優先】でした。

    モトロフ・リッペントロップ協定を批判するポスター
    モトロフ・リッペントロップ協定を批判するポスター

    “自由全体主義” ~ 新自由主義(ネオリベラリズム)のはじまり 

    「新自由主義」の本質が理解できない人々の主張 → 「弱肉強食」「大きな政府から小さな政府への展開」「ハイエクガー」


     メキシコにいたトロツキーの暗殺作戦は2回あります。

     1回目は1940年5月24日、拳銃多数と機関銃1丁で武装した約20人のチームがトロツキー邸になだれ込み、トロツキーの寝室に突入しました。事件後、寝室には713個の銃弾が残っていましたが、トロツキー夫妻はとっさにベッドの下に隠れたので無事でした。このとき、邸の警備にあたっていた【アメリカ人トロツキストのR・ハート】という青年が現場から拉致されて殺されています。

     ここまでは『ヴェノナ』(393頁参照)や『KGBの内膜』(上巻249頁参照)にも書いてある話ですが、【ミトロヒン文書】によれば【ハート】は実は、【NKVD特殊作戦部隊にスカウトされた工作員】でした。当日、門を開けてチームを中に引き入れるよう指示されていたハートは、暗殺計画を知らされていなかったので、トロツキーの孫の寝室にまで手榴弾を投げ込んだチームの行動にショックを受けて抗議し、【口封じされた】のでした。

    ヴェノナ 解読されたソ連の暗号とスパイ活動 

    KGBの内幕―レーニンからゴルバチョフまでの対外工作の歴史 

     少し横道に逸れますが、【ミトロヒン文書】は、【このときの作戦で主導的な役割を果たした特殊作戦部隊がのちに南米に渡り、戦後はコスタリカ大統領の遠縁に成りすまして偽名で外交官になった】という、びっくりするような話も記録しています。本名は【J・グリグレヴィチ】という、何度か見直さないと発音できそうもない名前ですが、【コスタリカでは大統領の遠縁にして側近の、国連コスタリカ代表団顧問T・カストロとして「活躍」しています】

     2回目の作戦は1回目の作戦よりずっと前から周到に準備されていました。特殊作戦部隊の工作員R・メルカデルが、1938年以来、熱心なトロツキストのアメリカ人女性を誘惑し、その女性を利用して巧妙にトロツキー一家に近づいていました。第1回作戦が失敗したため、メルカデルにトロツキー暗殺の指令が下ります。1940年8月20日、言葉巧みにトロツキーと2人きりになったメルカデルは持参していた【アイスピッケル】でトロツキーを襲いました。

     細かいことですが、アンドルーとミトロヒンの解説書では凶器は【「アイスピック」】、先述の『ヴェノナ』(395頁参照)では「斧」になっていて、なぜだろうと思ったら、冬山登山用の【アイスピッケル】のことを英語で【「アイスアクス」】氷の斧と言うのですね。全力で後頭部を殴られたトロツキーは「恐ろしい、突き刺すような悲鳴」をあげたと『KGBの内膜』(上巻250頁参照)は述べています。この断末魔の悲鳴のせいで逃げ切れずに逮捕されたメルカデルは20年の刑を受け、1960年に釈放されるまで偽名で通し、一切身元を明かすことはありませんでした。』

    日の丸

    青木孝平と、“なんちゃって学問”の「宇野経済学(マルクス経済学)」


    いかがでしょうか?

    今回ご紹介させていただく書物は、現在進められている現代史の見直しのうえで欠かせない全体主義国家の旧ソ連の対外工作を解明する、重要な史料のひとつである「ミトロヒン文書」について、その内容を分かりやすく平易な文体で紹介して下さる良書であるとともに、ソ連と同様現代の全体主義国家の中華人民共和国を支配する中国共産党の対外工作をイメージすることができる御薦めの書物となります。

    読書 10-112

    それでは本日も、いつものように、直近の「致死率」を確認しておきましょう。

    (死亡症例数)÷(感染症例数)=(致死率)

    ※(  )内は前回の数値

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    Coronavirus COVID-19 Global Cases by Johns Hopkins CSSE

    アメリカ : 220,649(220,046)÷8,243,223(8,202,679)=0.0267・・・(0.0268) 「2.67%(2.68%)」
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    イタリア : 36,705(36,616)÷434,449(423,578)=0.0844・・・(0.0864) 「8.44%(8.64%)」
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    日本 : 1,679(1,676)÷93,890(93,408)=0.0178・・・(0.0179) 「1.78%(1.79%)」
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    目に見えぬ侵略 中国のオーストラリア支配計画 

    さて、昨日の続きになりますが、これまでのところで(→社会の平和度を高めるために必要なものは?)、今回の「武漢肺炎(COVID-19)禍」の騒動をきっかけとして、根拠の無い妄想を繰り広げる「おパヨク」を例に挙げながら、他方で、キリスト教世界である西洋社会の根底にある、1000年以上の歴史を誇る「反ユダヤ主義」の伝統を受け継いだ2人の正真正銘の「反ユダヤ主義者」「社会主義者」でもあった、ヒトラーマルクスについて触れさせて頂いたうえで、

    ヒトラーとマルクス

    ヘーゲルを誤解・曲解した挙句それまでに培われてきた西欧民主主義を否定・断絶する形「マルクス主義」を生み出し、やがて生じる「プロレタリアート」なる架空の階層による「暴力的革命」正当化する理論的根拠(←もちろん、デタラメな理論でしかないのですがw)を与えた重罪人であるカール・マルクスに、その後も連綿と連なり現代に至る大まかな流れについて、論文のご紹介を交えながら書かせて頂きました



    で、今どきマルクス主義を強調するような「おバカ」な国家主席居ちゃったりする有様なので、



    マルクスと同じく「反ユダヤ主義」著名ドイツの哲学者ナチス党員でもあったマルティン・ハイデッガーその弟子たち(“ポリコレの父”であるフランクフルト学派のマルクーゼを含む)の「危険な哲学」、すなわち左翼リベラル(自称リベラルで中身はコミュニタリアン)が大好きな「共同体主義(コミュニタリアリズム)」という幻想についても確認してきました。

    ハイデガーとナチズム 

    ハイデガーの子どもたち―アーレント/レーヴィット/ヨーナス/マルクーゼ 

    そして、以上のことを踏まえた上で、マルクス主義の“致命的な間違い・勘違い”がどこにあったのか(すでに過去の遺物でしかないために過去形で表現させて頂いておりますw)を御理解頂くために、次の論文をご紹介させて頂いているところになります。

    これ 女性

    マルクス主義と希少性
    『マルクス主義と稀少性』堀川哲



    それでは、昨日の続きを見て参りましょう。

    社会の平和度

    社会の平和度2

    1875年のマルクス
    1875年のマルクス

    『 共同(体)幻想

     ・・・「自由」概念の解釈にしてもおなじ問題があるバーリン見事に解析しているように、マルクス主義者は「~からの自由」には冷淡であるか無関心で、「~への自由」に過剰に肩入れする。その結果「~からの自由」 ―― これが自由の基本概念である ―― はすっかりと忘れ捨ててしまうその結果はプロレタリア独裁と自由・民主主義は矛盾しないという論理さえ可能となる

     どうしてこういうことになるのだろうか

     マルクス思想の基本的な体質にその原因がありそうである。』


    アイザイア・バーリン
    アイザイア・バーリン

    自由論【新装版】 

    『 ・・・たとえばある左翼コミュニタリアンこう書いている

    「 { 資本主義社会とは異なって ―― 引用者 }共同体社会にあっては、労働力社会に埋め込まれるであろう。そこでは、労働力の配分共同体の成員の< 共有された善の構想 >にもとづいて行われる個々人はこうした財の多様な配分原理を受容し積極的に担う<公民的徳( civic virtues )>をもつことで、共同体の一員としてのアイデンティティを確立するのである」(青木孝平 『コミュニタリアン・マルクス』 社会評論社、2007年、194-5ページ)。』


    女性 驚き 20

    ここで、青木孝平なる「おバカ」が主張しているのは、どのような「職業」に就くのかという個人の「選択の自由」は認められず< 共有された善の構想 >に基づいて決定され同時に個人の財は搾取され多様な配分原理なるものに基づいて再配分されるが、それについて不満を述べることなく受容しさらに積極的に担うことで<公民的徳( civic virtues )>を得ることができそうすることで初めて共同体の一員としてのアイデンティティを確立することができるという意味ですが、こんな“寝ぼけた珍説”を、本気で実現が可能だと思い込んでいるのがマルクス主義者になります(笑)

    ちなみに、この青木孝平は、なんちゃって学問である「宇野経済学(マルクス経済学)」の系譜になります(笑)

    柄谷行人(からたにこうじん)と宇野経済学(マルクス経済学)とチュチェ思想(主体思想)

    青木孝平
    青木孝平

    コミュニタリアン・マルクス―資本主義批判の方向転換 

    ですから正常な頭の持ち主であれば当然ながら次のような疑問が生じることになります。

    これ 女性

    『 問題は、こういう共同体生活で、もし私が「共有された善の構想」を共有しないとすれば私はどうなるのであろうか。私にはそれが心配である。ハイエクが言うように、「もし<共同体>や国家が個人よりも優位にあるべきならば、またもしそれらが個人の目的に優る独自の目的を持っているのならば、それらの目的のためにはたらく人間しかその共同体の構成員だとみなされないだろう」(ハイエク 『隷従への道』 西山千明訳、春秋社、1992年、184ページ)ということになってしまうのであろうか、これが問題なのである。

     ここに「自由人連合」の一番のアポリア(※解決の糸口が見出せない難問・難題)がある「自由人の連合」は連合を拒む自由人の存在とその権利を認めなければ「自由人の連合」とはならない連合を拒否した自由人が自分たちのやりかたで所得をかせぎ生活をする自由を認めなければ自由な社会とはならないアソシエーション社会がどういうものであれそれが自由なアソシエーションであるためにはアソシエーションに参加しない自由万人に認めなければならない

    ポイント 女性 重要 5

     近代の市場経済とリベラル・デモクラシー(※自由民主主義)以外にそうした自由を担保しうる社会システムがありうるかどうかこれがアソシエーションにおける一番の問題である。』


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    それでは本日の最後になりますが、昨日に続きまして、アイザイア・バーリンが提唱した「消極的自由」(~からの自由)「積極的自由」(~への自由)について語った、1958年10月31日にオックスフォード大学での就任講演の内容を御紹介させて頂きたいと思います。

    で、ご覧頂く際にさきほど登場した「アソシエーションに参加しない自由」というのは、「消極的自由」(~からの自由)「積極的自由」(~への自由)どちらに属するものになるのか、また、昨日同様、「日本学術会議のメンバーになる自由」とは、どちらに属するものかを是非考えてみて下さい(※結構、勘違いされる方がいらっしゃるのではないかと思います)。

    『 二つの自由概念

    「消極的」自由の概念

    ふつうには、他人によって自分の活動が干渉されない程度に応じてわたくしは自由だといわれる。この意味における政治的自由とは、たんにあるひとがそのひとのしたいことをすることのできる範囲のことである。もしわたくしが自分のしたいことを他人に妨げられればその程度にわたくしは自由ではないわけだし、またもし自分のしたいことのできる範囲ある最小限程度以上に他人によって狭(せば)められたならばわたくしは強制されている、あるいはおそらく隷従させられている、ということができる。


    フリードリヒ・アウグスト・フォン・ハイエク
    フリードリヒ・アウグスト・フォン・ハイエク

    隷属への道 ハイエク全集 I-別巻 

    しかしながら強制とはすることのできぬ状態[ inability ]のすべてにあてはまる言葉ではない。わたくしは空中に10フィート以上飛び上がることはできないとか盲目だからものを読むことができないとか、あるいはヘーゲルの晦渋(かいじゅう)な文章を理解することができないとかいう場合に、わたくしがその程度にまでは隷従させられているとか強制されているとかいうのは的はずれであろう。



    ・・・「事物の自然はわれわれを怒らせ狂乱させはしない。ただ悪意のみがそうさせるのだ。」と、ルソーはいっている。抑圧であるかどうかの規準は、わたくしの願望をうちくだくのに直接・間接に他の人間によって演じられると考えられるその役割にあるこの意味において自由であるとは他人によって干渉されないということだ。干渉を受けない範囲が広くなるにつれてわたくしの自由も拡大されるのである。




     たしかにこれは、イギリスの古典的政治哲学者たちが自由という言葉を使ったときに意味していたものである。ただその範囲がどれほどの広さをもちうるかあるいはもつべきかという点については彼らの意見はまちまちであった。現状ではそれが無際限ではありえないとかれらは考えたもし無際限であるとしたらすべてのひとが他のすべてのひとの無際限に衝突しあう状態をもたらすことになるであろうし、この種の「自然的」自由人間の最小限の必要も満たされないような混沌たる社会を生み出す結果となるであろうから。またそうではなくとも弱者の自由は強者によって抑えられてしまうであろうからである。かれらは人間のさまざまな目的や活動が自動的にたがいに調和することはないと考え、また(その表向きの学説がどうであろうと)正義とか幸福安全いろいろな程度の平等とかいう別の目標に高い価値をおいていたからこういう他の諸価値のためさらには自由そのもののために自由を削減する用意があったのだ。なぜなら、そうしなければ、かれらが望ましいと考える社会的な結合をつくりだすことはできないのだからだ。




    したがって、人間の自由な行動の範囲は法律によって限定されなければならぬとこれらの思想家たちは考えたのであった。しかしながら同じようにして、とくにイギリスのロックやミル、フランスのコンスタンやトックヴィルのような自由主義者たちはどうしても侵犯されてはならない最小限の個人的自由の範囲が存在するべきであると考える。もしその範囲が犯されるなら、個人は自分の自然的能力の最小限の展開すらもなしえないほどに狭隘(きょうあい)な範囲内に閉じ込められることになるであろう。ところが、この能力によってのみ、ひとが善、あるいは正義、あるいは神聖なりとするさまざまな目的を追求することが可能となる、いやそれどころかこれらの諸目的を心に思い描くこともそれによってはじめて可能となるのである。ここからして、私生活の範囲と公的権威の範囲とのあいだにはひとつの境界線がひかれねばならないことになる。どこにその線がひかるべきかは議論のあるところだし、実際に論争のたねとなっている。』



    ということで、本日はここまでとさせて頂きます。






    続きは次回に♥




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