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    親子チョコ💗(500冊以上の良質な書籍のご紹介)

    子どもたちの教育のため、また、その親である私たち自身が学ぶための、読まれるべき良質な書籍のみをご紹介させていただきます。

     >  日本 >  「オマエのオヤジはナニした~♪ そしてオマエもナニをした~♩」 ~ テロリスト・結城庄司の息子、結城幸司が「キモイのは当たり前~♫」ですが、それが何か?

    「オマエのオヤジはナニした~♪ そしてオマエもナニをした~♩」 ~ テロリスト・結城庄司の息子、結城幸司が「キモイのは当たり前~♫」ですが、それが何か?

    女性 キモイ 

    本日のキーワード : キモイ、結城庄司、結城幸司



    結城 庄司(ゆうき しょうじ、1938年2月20日 - 1983年9月3日)は、アイヌ民族解放運動活動家。北海道釧路市に生まれる。1958年、阿寒湖畔のアイヌコタン建設に関わる。1968年、北海道ウタリ協会の理事に就任する。

    1972年のアイヌ解放同盟の創立に関わり代表に選出されるこの頃、元新左翼活動家の太田竜と知り合う。1974年10月、1972年のシャクシャイン像の台座文字での削り取りの件で全国指名手配犯人に指定され、北海道警察に逮捕されるが起訴猶予となる。結城は逮捕数日前に太田の唱える「アイヌ革命論」とアイヌの主張や状況が乖離することを(仲間2人と共に)記者会見で訴えた

    本日の書物 : 『北海道が危ない!』 砂澤 陣  扶桑社



    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 また、現代アイヌ文化か何だか知らないが、アイヌの唄をラップ風にして、「アイヌキモイとか言われた〜♪」などと【わめいている自称アーティスト】もいる。それの【どこが、誇りある文化なのか】





     アイヌアートプロジェクト(代表の【結城幸司】氏は【アイヌ解放運動家】の【結城庄司の息子】)やOKI DUB AINU BANDなど、アイヌの何々という訳の分からん【自称アーティスト】がいろいろいるが、【彼らは「何をもってしてアーティスト」といっているのだろうか】【アイヌの伝統工芸師を名乗る者たちにも同じことを質問したい】



     彼らの本業は、アイヌ政策の【補助金で活動する「アイヌ屋」】だ。彼らはアーティストやミュージシャンを名乗っているものの、CDもイベントも【国や道の税金頼り】暇な時は職業訓練や緊急雇用対策を受けていれば生活できるため、絵のクオリティが低かろうがコンサートの観客が身内しかいなかろうが問題ないのである。

    これ 女性

    結城幸司
    結城幸司
    テロリストの血族を紹介するカルト宗教のプロパガンダ紙


    「アイヌ」という“人種”や“民族”は、歴史上に存在したことが一度もない「単なるデマ」ですが、それが何か意味あるの?

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     平成23年に、札幌の緊急雇用対策で就職困難者に対して、札幌定山渓小金湯温泉にある「札幌アイヌ文化交流センター(サッポロピリカコタン)」で雇用促進という名目で事業が行われた。

     面白いことに、【自称アーティストの「アイヌアートプロジェクト」のリーダーが「無職」と申請し、事業を受けていた】しかも【その雇用対策の事業の中で活動しギャラを貰っていた】のだ。


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     その前年度は、【結城幸司】氏と同じくアイヌアートプロジェクトの【福本昌二】氏の両名は【無資格であるにもかかわらず、アイヌの職業訓練の土木科講師を違法に務め、事業補助金の返還命令を受けている】



     彼らには【資格がないというよりも教える技術も知識もない】だろう。そもそも自分たちも前年まで数度【同じ訓練を訓練生として受講しながら】も、なぜ【突然講師になって人に教える】ことができるのか【この職業訓練の行政窓口】【アイヌの言いなり】である。

     【この無職の方々】は、「家族で伝統文化を学ぶ」という名目で、【子供までも引き連れて歩き、ギャラを請求して生活をしている】。』

    日の丸

    お勉強をしていなかったカール・マルクス


    いかがでしょうか?

    今回ご紹介させていただく書物は、アイヌ系日本人である著者が、「アイヌ利権」で私腹を肥やす「プロ・アイヌ(=アイヌ屋)」とそれに繋がる連中実名で暴きつつ「本当のアイヌ問題」「アイヌ問題の本質」を非常に分かりやすく解説して下さっている書物で、基本的なアイヌ問題を理解する上での必須の良書となります。

    ホンモノアイヌ

    そして、その上で、「北朝鮮」とその「チュチェ思想(主体思想)」が「アイヌ問題」と「アイヌ利権」に深く関与しているという事実を、私たち日本国民は知らなければならないと思います。

    読書 10-015

    それでは本日も、いつものように、直近の「致死率」を確認しておきましょう。

    (死亡症例数)÷(感染症例数)=(致死率)

    ※(  )内は前回の数値

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    Coronavirus COVID-19 Global Cases by Johns Hopkins CSSE

    アメリカ : 163,100(162,707)÷5,058,464(5,024,088)=0.0322・・・(0.0323) 「3.22%(3.23%)」
    hegdfsted1.jpg

    イタリア : 35,209(35,205)÷250,825(250,566)=0.1403・・・(0.1405) 「14.03%(14.05%)」
    hegdfsted2.jpg

    日本 : 1052(1047)÷49,605(48,683)=0.0212・・・(0.0215) 「2.12%(2.15%)」
    hegdfsted3.jpg














    目に見えぬ侵略 中国のオーストラリア支配計画 

    さて、ここからは昨日の続きになりますが、今回の「武漢肺炎(COVID-19)禍」の騒動の最中に、“ワクチン陰謀論”“ワクチン有害説”などの類の「疑似科学(pseudoscience)」

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    あるいは、「マルクス主義の背後にいるのはユダヤ人」などという珍説を、恥ずかしげもなく主張あるいは妄信する「おバカ(=“デュープス(Dupes)”)」について書かせて頂いているところになります。

    無知なewkefc114

    「無知なるマルキストのewkefc」
    「おバカ」な「おパヨク」という“塵芥”と、ヒトラーの「青写真」

    ポイント

    昨日までのところで、マルクス自身の言葉をご紹介させて頂き

    これ 女性

    『 社会がユダヤ教の経験的本質を、つまりはボロ儲けとその諸前提を廃棄できればユダヤ人の存在は即座に不可能になる。なぜならユダヤ教の主体的基礎すなわち実利的要求が人間化されるからであり、人間の私的存在と類的存在との抗争が止むからである。ユダヤ人の社会的解放とは社会をユダヤ教から解放することである。』

    『 ユダヤ教の現世的根拠とは何か。それは実利的欲求すなわち利己心である。ユダヤ人の現世的崇拝の対象は何か。それはボロ儲けである。ユダヤ人の現世的な神とは何か。それはカネである。・・・そうだとすれば、ボロ儲けとカネから、すなわちこの実際的で現実的なユダヤ教から解放されることが現代の自己解放ということになろう。』

    1875年のマルクス
    1875年のマルクス

    カール・マルクス正真正銘の「反ユダヤ主義者」であり、その意味で、ヒトラーと同類であるということに付いて書かせて頂きましたが、

    アドルフ・ヒトラー 1938年
    アドルフ・ヒトラー 1938年

    それにも関わらず

    これ 女性

    『 マルクス主義の背後にいるのはユダヤ人 』  by ewkefc

    などと戯(たわ)けた珍説を唱える「おバカ」が実在していますので、折角なので、いわゆる「おパヨク」知りたがらない認めたがらない本当のマルクスの実像(=単なる「おバカ」のマルクス)について、少し考えてみたいと思い、

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    『マルクスとユダヤ人問題』 神田順司

    上の論文のあらましについて引用を含めながら書かせて頂いているところになります。

    少々長くなりそうですので、昨日書かせて頂いたことの続きから書かせて頂きますので、そちらもご参照なさってください。

    ちなみに、単細胞のマルクスの頭の中でのイメージは、次のような構図になっています

    ヘーゲル(バウアー) V.S. フォイエルバッハ(マルクス)

    ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル
    ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル

    ブルーノ・バウアー
    ブルーノ・バウアー

    ルートヴィヒ・アンドレアス・フォイエルバッハ
    ルートヴィヒ・アンドレアス・フォイエルバッハ

    1875年のマルクス
    1875年のマルクス

    『 この対立をきっかけとしてマルクスは、彼が徐々に傾倒しつつあったフォイエルバッハに急接近し、その「人間主義」の哲学に政治批判の基礎を見出そうとするしかし、やがて彼自身も気付くように、フォイエルバッハの哲学には彼の期待する政治理論が欠けていたそれにもかかわらず彼はそれをフォイエルバッハに求める以外になかった。マルクスは、久しくヘーゲル主義の枠内にありながら最終的にそれと決別したフォイエルバッハに、自らのバウアーとの決別を重ねた。こうしてマルクスは、出版されて間もないフォイエルバッハの論考「哲学改革のための暫定的テーゼ」に依拠しながら、すでに『ライン新聞』での活動を通して疑問を抱くようになったヘーゲル国家論と対決することになる。』

    つまり、マルクスは、理論的な支柱を欠いたままの状態でドイツ観念論を代表する思想家の一人であるヘーゲル国家論に対して無謀な戦いを挑んだわけです(笑)

    女性 笑い 笑う

    『 マルクスの「ヘーゲル法哲学批判」は、ヘーゲル『法哲学要綱』(以下『法哲学』と略称)の第五部第三節「国内法」のうちの二六一節から三一二節を対象としている。しかしながら彼はヘーゲルの『法哲学』の全体を通してその体系を検討しその上で「国内法」に批判の的を絞ったのでは断じてない。・・・明らかに彼は「国内法」という関心の対象だけを、しかも予備知識もなく読み論評を加えていった。したがってそこには多くの無理解や曲解が含まれていた。実際、マルクスの「ヘーゲル法哲学批判」を読むと、彼が「概念」、「理念」、「現実態」といった客観的観念論の初歩的概念についてさえ稚拙な知識しか持ち合わせていないことが分かる。たとえばヘーゲルは『法哲学』の冒頭で、「理念」とは空虚な構想物ではなく「概念とその現実態」であると明言しているにもかかわらずマルクスこれを抽象的「理念」ないしは「論理的概念」と取り違えているために、彼にとっては法的政治的制度についてのヘーゲルの体系的な叙述が「汎神論的神秘主義」にしか見えない。こうした誤解にさらに輪をかけて批判を混乱させているのが法概念に関するマルクスの知識の欠如である。このような基礎知識の欠如は、彼がベルリン大学法学部に在籍しながらも、法学についてまともに勉強もせず、ヘーゲル左派や三文文士が集う酒場に入り浸り放蕩の毎日を過ごしていた事実を考えれば驚くには当たらない。』

    子供 笑う 女性

    ということで、本日はここまでとさせて頂きます。









    続きは次回に♥




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