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    子どもたちの教育のため、また、その親である私たち自身が学ぶための、読まれるべき良質な書籍のみをご紹介させていただきます。

     >  国史 >  文部科学省が大量にウイルス感染した理由

    文部科学省が大量にウイルス感染した理由

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    本日のキーワード : 批判理論、フランクフルト学派



    批判理論(ひはんりろん、独:Kritische Theorie、英:critical theory、仏:Théorie critique)は、テオドール・アドルノマックス・ホルクハイマーフランクフルト学派によって展開、発展された、彼らが代表する社会哲学の理論のことである。批判理論の出発点はカール・マルクスの著作にある

    フランクフルト学派(Frankfurter Schule)はルカーチ、グラムシの理論をベースにマルクス主義を進化させ、これにヘーゲルの弁証法とフロイトの精神分析理論の融合を試みた、批判理論によって啓蒙主義を批判する社会理論や哲学を研究したグループの他称

    本日の書物 : 『聖徳太子 本当は何がすごいのか』 田中 英道  扶桑社



    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 平成十四年(二〇〇二年)に刊行された岩波新書の『聖徳太子』(吉村武彦著)という本があります。

    聖徳太子 (岩波新書) 

    吉村 武彦(1945年朝鮮・大邱生まれ)
    吉村 武彦(1945年朝鮮・大邱生まれ


    タイトルこそ「聖徳太子」となっていますが、【中身はもっぱら「厩戸王子」という表記】を使っています。その【理由】は、【信仰の対象の『聖徳太子』とは区別】して、【飛鳥時代の現実を生きた『厩戸王子』の姿を、史料に基づいて厳密に再構成】していくことから始まらなくてはならない」というものです。【この本】【聖徳太子の存在を疑い、「厩戸王子」と書くこと】は【実証学の結果であるといっている】わけです。

    女性 あきれる 3

     それが事実なら仕方がないという人もいるかもしれませんし、いろいろな意見があっていいのではないかという人もいるかもしれません。【しかし、歴史学の実態を見ると、それほど実証性のバランスがとれているとは思えません】。私のように西洋で歴史を研究してきた後に日本の歴史に取り組んでいる者から見ると、【「学問の常識」を超えるような事態が多々見受けられる】のです。

    女性 口に手 黙る

     【「聖徳太子」】という呼び名は【謚号(しごう)】、つまり死後につけられた名前です。【だからといって、聖徳太子と呼ばずに厩戸皇子と呼ぶのが正しいのでしょうか】

    女性 ポイント 10

    それはたとえば、【釈迦牟尼(しゃかむに)は悉達多(しっだるた)と呼ばれていたからその名を使うべき】だとか

    木造釈迦如来坐像(室生寺弥勒堂)
    木造釈迦如来坐像(室生寺弥勒堂)

    【孔子(こうし)を本名の丘仲尼(きゅうちゅうじ)と呼ぶべきだというのと変わりありません】

    孔子
    孔子

    むしろ【聖徳太子を厩戸皇子と呼ぼうとする人たち】は、【はなから聖徳太子の存在と業績に疑いを抱いている】のではないでしょうか。

    聖徳太子
    聖徳太子

    吉村 武彦(1945年朝鮮・大邱生まれ)
    吉村 武彦(1945年朝鮮・大邱生まれ


     偉大な人間は生前よりも死後に高く評価されることがよくあります。その評価も一つの歴史史料といっていいでしょう。歴史が人間史であるかぎり、何かしらの不明な点は生じます。それゆえ文字で書かれた記録にはすべて“文学性”があるといってもいいでしょう。そうした記録に表れていない部分想像力で補うのも歴史の一側面です。ところが【日本の歴史学者の多く】は【人間のすべてを唯物論で割りきろうとしています】【歴史学の原則さえ知らない者が多い】のです。

    吉村 武彦(1945年朝鮮・大邱生まれ)
    吉村 武彦(1945年朝鮮・大邱生まれ


     このような現実の【根底にある】のは【「日本に起こった価値ある出来事をすべて否定する」】という【戦後の“日本不信感”】です。【日本の大多数の歴史家】のあいだに、【そうした不信感がいまだに蔓延(まんえん)している】のです。彼らは「治世者」を「権力者」として見て、「抑圧者」として考えています。そこから学界に、【聖徳太子が行った治世を否定すること】があたかも【実証主義であるという風潮が生じた】と思われます。…

    吉村 武彦(1945年朝鮮・大邱生まれ)
    吉村 武彦(1945年朝鮮・大邱生まれ


     端的にいえば、【実証主義を自称する戦後日本の歴史学】は、【権力を常に否定するマルクス主義歴史観に支えられている】のです。

    ポイント 000

    あるいは【歴史学界が無自覚マルクス主義とでもいうようなエセ実証主義者によって支配されている】といってもよいでしょう。

    女性 ポイント ひとつ

    学界内でとどまっているのならまだしも、【その意見が義務教育の学校の歴史教科書にまで反映される】ということでは、【実に困った問題】です。』

    日の丸

    「おパヨク」共通のマルクーゼの論理


    いかがでしょうか?

    今回ご紹介させていただく書物は、実在が明らかである我が国の偉人の存在を、未だに“非科学的・非論理的な珍説”を唱えその間違った事実に基づく勘違いや根拠の無い思い込みを、「なんちゃって研究」「なんちゃって論文」という形で(そこら辺の週刊誌の如く)センセーショナルに発表生計を立てる無能な学者ら具体的に名指しやり玉にあげることで、我が国の歴史学界の本性を明らかにして下さる良書で、また、それらの似非(エセ)学者どもが、如何に文部科学省の官僚どもと癒着しているのか理解できる書物になります。

    読書 女性 2-22

    さて、昨日のところで、文部科学省「チュチェ思想(主体思想)」という病原体である、「チュチェウイルス(Juchevirus)」と呼ばれる「ウイルス(virus)」の感染が蔓延しているクラスターの一つになっていると書かせて頂きましたが、何故そのような事態になってしまっているのかと申し上げますと、そもそもが「おバカ」であったために、「免疫機能が低下していた」からということになります。

    女性 笑い 笑う

    『 あれは一体、何だったのだろうか。

     今年(2017年)2月、文科省が学習指導要領で聖徳太子の表記を「厩戸王(うまやどのおう)」に変更すると公表した。当然のごとく反対論が殺到し、1か月で撤回するに至った。

     文科省と言えば、旧文部省以来「公務員試験にギリギリでしか受からなかった落ちこぼれの吹き溜まり」「自分たちを二流官庁と思いあがっている五流官庁」「次から次へと予想もつかない愚かなことをしでかすキワモノ集団」等々、揶揄(やゆ)と嘲笑(ちょうしょう)の限りを尽くされてきたが、今度もまた“やらかしてくれた”との念を抱いた。


    前川 文科省 

    前川喜平 カウンタ

    前川喜平

     一昔前、学界を「聖徳太子不在論」が席巻した。これに対しては、さすがに良識的な学者が反論し、その根拠の薄弱さを指摘し尽くして終了した。ところが、文科省は既に終わった話を蒸し返そうとしたのだ。

     ちなみに文科省の言い分は、「鎖国」の表記も変更しようとしたことも合わせ、以下の通りである。

     社会科では、江戸時代に幕府が外国との交流を制限していたことについて、「鎖国」という言葉を使わず、「幕府の対外政策」と説明されます。中学校の歴史では、「聖徳太子」が「厩戸王」という書き方に変わります。「鎖国」は江戸幕府で使われておらず、「聖徳太子」も亡くなった後、100年以上たって付けられた名前だからです。
    (『読売KODOMO新聞』平成29年3月8日)

     なるほど、その時代において使われている言葉を使うべきだ。当時、使われていなかった言葉だから、使わない、ということか。これで公平中立客観を気取っているのだから、この人たちの頭脳硬化が度し難い。

     ならば、武田信玄と上杉謙信は川中島で戦っていないことになる。「5回ある戦いのうち、武田晴信が信玄と称するのは第三次合戦の後で、上杉輝虎が謙信を名乗るのは第五次合戦の後だからだ」などとしたり顔で講釈を垂れるのが歴史学だろうか。

     また、上杉氏は北条氏と抗争したが、お互い相手のことを「長尾」「伊勢」と旧姓で呼び続けた。上杉としては、伊勢氏が鎌倉幕府で執権を務めた北条を名乗ることは政治的正当性を認めることになる。逆に北条氏としては、長尾氏が室町幕府の関東管領の地位を継ぐ上杉を名乗ることは、同じ理由で認めがたい。「当時に使われた言葉を尊重する」のは結構だが、誰が使った言葉なのか。人が言葉を使う時、自己の利益や立場から逃れられるはずがない。

     あるいは単純に、「北条早雲不在説」でも唱えてみようか。戦国の後北条氏が「北条」を名乗るのは二代目の氏綱からであり、「その時代に使われていた言葉」を基準にするなら創業者の名前は「伊勢長氏」とすべきであろう。

     さらに言おう。

     「江戸幕府」とは、極めて政治的な用語である。江戸時代のほとんどの人は、徳川将軍家による政府を、「御公儀」と呼んだ。もちろん、「御」「公」には「日本国の政権を司る最高の存在」の意味合いがある。それに対して、幕府の意味は「朝廷より派遣された軍事指揮官の本営(テント)」である。幕府とは、尊皇論者が「お前は最高の存在ではない」との意味合いを込めた言葉なのだ。

     ついでに言うと、「将軍」は同時代人には「上様」と呼ばれた。これでもかと立場性が現れている。

     以上のような話は、歴史の常識なのだが、最近はこの程度の基礎的な訓練を受けていないのに、社会に向かってモノを言う御仁が増えているので困ったものだ。

     文科省のお役人様の誤謬(ごびゅう)は歴史において完全な「客観性」などありえないということを理解していないことである。そもそも、人間のやることに完全などありえるのか。文科省の方々が「我こそは公平中立客観である」と言い切ることは自分は完全無欠の間違いなどしない人間であるという傲慢さの裏返しにほかならない

     完全であろうと努力することと、自分が完全であると思い込むことは、似てもいないし非なるものである。』


    詳しくはこちらをご参照💗

    日本の癌である「リベラリズム」も「共産主義」も、その根っこは「ユダヤ教」なんです

    倉山満が読み解く 足利の時代─力と陰謀がすべての室町の人々 

    と、御覧のように、文部科学省「おバカ」の集まりであることが御理解頂けたと思いますが、そこには、ある典型的な症状見受けられます

    それは、ネット「ewkefc おバカ」などと検索して頂ければ良く分かると思いますが、「無知なるマルキストのewkefc」のような「おパヨク」共通してみられる症状になります(笑)

    「無知なるマルキストのewkefc」

    で、その感染経路を辿ってみるとある人物へと繋がります。そう、あの、ユダヤ教徒ヘルベルト・マルクーゼです。

    ヘルベルト・マルクーゼ
    ヘルベルト・マルクーゼ

    大変参考になる動画を以下に貼っておきますので、まだご存じない方は御覧下さいませ。マルクーゼの論理は非常に簡単で、「都合の悪いことは無かったことにする」というものです。

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    『 ドイツでアドルフ・ヒトラーが支配者になった時、このマルクス主義の哲学者たちはアメリカへ逃げました。その彼らを支援したのが、コロンビア大学でした。

     戦後、彼らは、ほとんどがドイツへ帰りました。しかし、アメリカに残った1人、ヘルベルト・マルクーゼ氏が、アメリカの左派運動の中心的な役割を担うことになりました。

     こうしたフランクフルト学派は、「犠牲者」のグループ、例えば、黒人、ゲイ、女性といった「社会的弱者」の概念を考え出したました。…

     過去から現在に至るまで、アメリカ社会には、大量の差別と不正儀が存在します。これは、フランクフルト学派のマルクス主義哲学者にとって、非常に大きなチャンスでした。

     アメリカでは、ヘルベルト・マルクーゼ氏は、ポリティカル・コレクトネス運動の「父」となりました。私は特に、海軍情報部の秘密調査員をしていたころ、日本におけるアメリカの共産党スパイたちが「多形倒錯」(“polymorphous perverse”)という彼の論文について話をしていたのを覚えています。この論文では、社会で一般的に許容される範囲を超えた性的行動を奨励しています。アメリカの共産党スパイたちは、何人かの海兵隊の奥さんたちをスカウトしていました。…フランクフルト学派の哲学者が開発したフェミニズムのプロバガンダを利用して、奥さんたちをスパイとしてスカウトしたのです。』


    詳しくはこちらをご参照💗

    左翼リベラルの連中が、積極的に実践している「多形倒錯(“polymorphous perverse”)」って何?

    アメリカ人が語る 日本人に隠しておけないアメリカの崩壊 

    で、そこから「新左翼」というものが生じてくるわけですが、それについても参考となる動画を貼っておきますので御覧下さいませ。

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    『 リベラルにはかつて、「左翼リベラル」と呼ばれていた時代があります。19世紀の思想家カール・マルクス(1818~83年)が打ち立てた“革命思想”にともづいて、プロレタリアート(労働者階級)蜂起による共産主義革命を目指す政治運動と密接に結びついていたからです。

     ところが、「マルクス・レーニン主義」を掲げて1922年に建国されたソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)が1991年12月に崩壊します。「プロレタリアート蜂起による共産主義革命国家の存続は不可能である」ということが、具体的に証明された瞬間でした。

     左翼リベラルの「左翼」部分が根拠を失い、解体したのです。今も相変わらずプロレタリアート革命にこだわる団体、メディアは存在していますが、彼らは当然この失敗を認識していて、旧来の革命思想に自信を失っています。自分たちが左翼と呼ばれることを今のリベラルが嫌がる理由のひとつです。

     左翼と呼ばれることをリベラルは嫌がりますが、ここには大きな欺瞞(ぎまん)があります。なぜなら、リベラルのグランド・セオリー(すべての領域に適用される考え方・理論)は、相変わらずマルクス主義思想だからです。「資本主義が成熟すると必ず矛盾が生まれ、社会主義を経て共産主義の理想に至る」という考え方は何も変わっておらず、そこに至るための方法はやはり“革命”です。革命とは、「既存の体制、社会を破壊する」ことを言います。だからリベラルにとっては、革命の中の、プロレタリアート革命というひとつの方法が不可能になっただけの話です。

     一方で自分はマルクス主義者ではないと思っているために、左翼と呼ばれることを嫌がるリベラルも存在します。

     しかしそれは、勉強不足などいろいろな理由から自分自身が気がついていないというだけのことに過ぎません。端的に言えば、無知な人たちです。


    「無知なるマルキストのewkefc」

     プロレタリアート革命は不可能であるという事実から、「左翼」という言葉のとれた、または左翼という言葉を意識的にはずしたリベラルは、自らの思想からマルクス主義という立場を隠し始めましたなぜならマルクス主義は不可能が証明されたプロレタリアート革命を理論に含んでいるために矛盾を起こすからです。

     また、「自分自身はマルクス主義者ではない」と思っているリベラルはそれを知らずに、あたかも中立であるかのように振る舞っている“リベラル”という言葉にごまかされて自称しているだけのことに過ぎません。

     ずばり、リベラルは「隠れマルクス主義者」です。「偽装された左翼」といってもいいでしょう。

     ソ連崩壊で明らかになったように、事実上不可能となったプロレタリアート革命に代替する革命の方法をリベラルは模索しました。その模索の結果として何が出てきたかといえば、たとえば「フェミニズム」(男女同権論、女権拡張論)がそうですし、「ジェンダー・フリー」(社会的性別からの解放)がそうですし、「カルチュラル・スタディーズ」(多種多様な文化的行動を主に権力との関係から研究する学問および政治的批判・運動)や「多文化主義」(異なる文化を持つ集団は対等な立場で扱われなければならないとする思想および政策)などがそうです。

     リベラルは、マルクスの言う資本主義に生じる矛盾の結果を、すでに否定されたプロレタリアートの「必然的貧困」ではなく、「人間疎外」に変換していったのです。この「疎外」もまた、マルクスの哲学用語として、1970年代、進歩的知識人と呼ばれた人々の間でずいぶん流行った言葉です。

     「出世ができない」「やりたいことができない」という個人的な不満から「国が支援してくれない」「福祉が十分ではない」という国家に対する不満まで、普通の社会に生きていれば皆、そういう疎外感を持つのはあたりまえです。リベラルはそれを利用します。「今は疎外されているけれど未来は良くなる」「将来、人々が完全に満たされる社会になる」という幻想を人々に与え現在の共同体や社会国家のありかたを批判し否定します

     ここでひとつ注意しておきたいのは「批判」という言葉です。私たちは「批判されるのは、批判される側に問題があるからだ」と考えがちです。しかし、リベラルにとって重要なのは、その問題ではなく、批判する行為そのものなのです。リベラルには「批判理論」という、批判すること自体が意味と意義を持つ理論がちゃんとあります。…「批判ばかりで対案が何もないではないか」「批判するがための批判ではないか」といった苦言リベラルにはまったく届かない理由はまさにここにあるのです。』


    詳しくはこちらをご参照💗

    リベラルは左翼である、ということを隠したい「小林よしのり」の本音  ~ ヤマオパコパコ、ミパコパコ、合わせてパコパコ、ムパコパコ♪

    日本人にリベラリズムは必要ない。「リベラル」という破壊思想 

    ということで、本日はここまでとさせて頂きます。



    続きは次回に♥




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