2018-12-08 (Sat)
合成の誤謬(ごうせいのごびゅう、英: fallacy of composition)とは、ミクロの視点では正しいことでも、それが合成されたマクロ(集計量)の世界では、必ずしも意図しない結果が生じることを指す経済学の用語。
何かの問題解決にあたり、一人ひとりが正しいとされる行動をとったとしても、全員が同じ行動を実行したことで想定と逆に思わぬ悪い結果を招いてしまう事例などを指す。
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 戦国の覇者となる【織田信長】と仏教教団の【本願寺】は、【10年にわたって戦闘】を繰り返していた。
【戦国時代の戦闘】の多くは、【武将たち】が領地や利益を巡って【戦うもの】で、本来、仏教を信仰する【本願寺と闘うのは理不尽】なことである。
しかも、だいたいの【武将たちの合戦は一回か二回で勝敗が決まっている】が、武勇を誇る織田信長と信仰を頼りとする本願寺が、これほど【長期間にわたり戦闘】を繰り返していたのだ。
織田信長が桶狭間(おけはざま)の戦いで、駿河(するが)の名家となる今川義元(いまがわよしもと)を破って以来、その名は天下に轟いた。やがて美濃(みの)を攻略…岐阜にある稲葉城を本拠地にした。このとき【信長を頼って来た】のが、【足利義昭(あしかがよしあき)】であった。…
足利義昭像(古画類聚)
信長は、「この上は、片時(すぐに)も御入洛、御急ぎあるべし」(『信長公記』巻一)と、【義昭を将軍職につけるため京都にすぐさま向かうことを決意】した。…
信長は義昭を奉じて上洛する命令を発すると、…その数およそ6万人になった。
この大軍の前に、京都を支配していた松永秀久や、…三好三人衆(三好長逸・見ると政康・石成友道)は、十四代将軍の足利義栄(あしかがよしひで)を伴って京都を退いた。そして山城や摂津・河内の諸城に退却して信長軍に抵抗したが、またたく間に一蹴された。大軍にものをいわせた【信長】の電光石火の行動で、【わずか10日ほどで京都を中心に、その周辺の国々を支配下に治めた】のである。永禄十一年(1568)九月のことである。
十月になると【信長】は、大坂石山にある【本願寺】に使者を遣わせた。信長は本願寺に【「将軍家再興」という名目】で五千貫(米一万石相当)の【軍資金を要求】した。【本願寺はこれを直ちに納入】した。だが、二万貫(米四万石相当)を要求された【交易都市】として栄えていた【堺】は、【拒否】したためのちに信長の武力に脅されて屈することになる。
【本願寺】が「将軍家再興」の【軍資金を納めたのには、理由があった】。それは【本願寺の根本の教義】となる【開祖の親鸞(しんらん)の教え】があったからである。
親鸞
親鸞は鎌倉初期に【浄土真宗(じょうどしんしゅう)】を打ち立てた人である。』
いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、恐らく誰でもご存じであろうと思われるる「本願寺に西と東がある」という事実に対して、それでは、「それは何故なのか」という当然の疑問について、非常に分かりやすく解説をなされている良書で、当時の時代の流れがまるで物語のように描かれているため、面白過ぎて一気に読めてしまう書物になります。
さて、織田信長は足利義昭を奉じて上洛を目指したのですが、よく誤解されているのが「天下布武(てんかふぶ)」という言葉で、
天下布武の印
ゲームなんかの影響もあると思われるのですが、軍事力を使って日本を統一する、というような意味ではありません。
織田信長は、間違いなく「世界」に目を向けていました。そして、国内の体勢を立て直すために、足利義昭を将軍職に就ける必要があったんです。
詳しくはこちらをご参照💛
↓
☆「織田信長」を知らない、私たち日本人
本文中に書かれていたように、1568年10月、織田信長は京都を中心とした畿内を平定し、同月、足利義昭は征夷大将軍として正親町天皇(おおぎまちてんのう)より宣旨(せんじ)が下されます。征夷大将軍というのは、有事における武家の最高職で、足利義昭は1588年までその職に就いています。
他方、織田信長は、1575年に平時における武家の最高職である右近衛大将(うこんえのだいしょう)に任官しています。ちなみに、足利義昭の官職は近衛中将のままですので、織田信長よりも下位になります。
このことは、天皇の権威によって、織田信長が足利義昭よりも上位に立ったということを意味しています。豊臣秀吉も、徳川家康も、すべて同じで、天皇の権威により、その地位を不動のものとします。
詳しくはこちらをご参照💛
↓
☆「幕府」って、どうやったら作れるの?
で、その頃のヨーロッパで何が起こっていたのかといいますと、ネーデルラント諸州がスペインに対して反乱を起こした、いわゆる「八十年戦争」(1568年から1648年)です。
詳しくはこちらをご参照💛
↓
☆アントワープと「新しいクリスチャン」
当時の織田信長も、豊臣秀吉も、徳川家康も、間違いなく「世界」に目を向けていました。「世界」で何が起こっているのかということを知っていたんです。
ところが、現在の私たちの日本の教育では、「世界」と「日本」が、まるで別々の異なった次元に存在しているかのように覚えさせています。だから、訳が分からなくなってしまうのですが(笑) それで「教育」しているつもりの「教える側」の神経が疑われますね💛
さて、ここからは昨日の続きとなります。
ジャン=シャルル・ド・ボルダとニコラ・ド・コンドルセの時代から、200年ほど経た20世紀に、ユダヤ人経済学者であるケネス・ジョセフ・アローが、「アローの不可能性定理(Arrow's impossibility theorem)」を世に示します。
ケネス・ジョセフ・アロー
そして、その功績が認められて、1972年に、51歳という若さで史上最年少でノーベル経済学賞を受賞しています。
その「アローの不可能性定理(Arrow's impossibility theorem)」を理解する上での肝となるのが、「ボルダ・ルール」が前提としているような条件を満たすような決め方には、まともなものが存在しない、ということを証明した点にあります。
ここまでが、昨日のところまでのお話になります。
それでは、その「アローの不可能性定理(Arrow's impossibility theorem)」って、どういうことを言っているのでしょうか?
それでは、まず、次の問題について考えてみてください。
(問題) 次の報告から確実に正しいと言えることには〇を、そうでないものには×を、記入してください。
公園に子どもたちが集まっています。男の子も女の子もいます。よく観察すると、帽子をかぶっていない子どもは、みんな女の子です。そして、スニーカーを履いている男の子は一人もいません。
① 男の子はみんな帽子をかぶっている。
② 帽子をかぶっている女の子はいない。
③ 帽子をかぶっていて、しかもスニーカーを履いている子どもは、一人もいない。
この問題は、読解力が問われる問題で、下記の書物から引用させて頂いているのですが、実は有名私立大学(しかもSクラス)の生徒に解いてもらったところ、その正答率は66.8%、つまり3人に1人が間違っていたそうで、さらに驚くべきことに私大B・Cクラスですと50%未満の正答率となったそうです。
詳しくはこちらをご参照💛
↓
☆新井 紀子 AI vs.教科書が読めない子どもたち
まあ、この問題は本題とは無関係で、「読解力」の確認という意味で書かせて頂いただけですので、本題に関係する次の問題に挑戦してみてください。
(問題) 最初の命題が正しいものであるとして、続く命題が成り立つかどうか、成り立つのであれば〇を、そうでないものには×を、記入してください。
① 「この学校の生徒はみな女性である」 ⇒ 「その学校の3年2組の生徒はみな女性である」
② 「猫は哺乳類である」 ⇒ 「黒猫は哺乳類である」
③ 「日本は国家である」 ⇒ 「沖縄県は国家である」
特に難しいものはないと思われますが、ここでご理解頂きたいことは、
(1) 「全体」に対する命題が、その「部分」に対して「すべて成り立つ」場合
と、
(2) 「全体」に対する命題が、その「部分」に対しては「成り立たない」場合
の2つのケースがあるということです。
言い換えますと、ある「集合」に関する命題には、「集合の個々の要素に関する命題」と、「集合全体に関する命題」という2つが存在しているということになります。
「この学校の生徒はみな女性である」という命題や「猫は哺乳類である」という命題は、それぞれの「集合の個々の要素に関する命題」となっています。他方、「日本は国家である」という命題は、「集合全体に関する命題」であって、その部分に過ぎない「沖縄県」にはあてはまらないことは誰にでも理解できると思います。
ところが、そういったことを全く理解できていないのが「救いようのないバカ」である「左翼リベラル」たちで、もちろん、「アローの不可能性定理(Arrow's impossibility theorem)」のことを理解できるはずはない、と思っております(笑)
詳しくはこちらをご参照💛
↓
☆アリさんもハチさんも知っているのが『多数決』 ~ それを知らない「左翼リベラル」
☆左翼リベラルが重視している少数決
で、「全体」に対する命題が、その「部分」に対しては「成り立たない」場合という、先ほどの例にあるようなことを指して、経済学の用語で「合成の誤謬(ごうせいのごびゅう)」(fallacy of composition)と呼びます。
続きは次回に♥
ランキング参加中で~す^^ ポチっとお願いします♥
↓↓↓↓↓↓↓
にほんブログ村
人気ブログランキング
- 関連記事
-
- ≪予告≫『日本国紀』VS東京書籍の「歴史教科書」ならば、どちらが勝つでしょうか? ~ 今ある「歴史教科書」って、どんな人間がつくっているの? (2019/01/29)
- ≪予告≫『日本国紀』VS東京書籍の「歴史教科書」ならば、どちらが勝つでしょうか? ~ 「歴史教育」と「歴史研究」の本質的な違い (2019/01/28)
- ちょっと何言ってっかわかんない ~ 「鎖国」を孤立政策と勘違いするWikipedia ~ おや?世界が一つだったとでも言うのかしら(笑) (2019/01/06)
- インターネットフリー百科事典に書き込まれていれば、それは本当のことと言えるのでしょうか? (2019/01/05)
- 土葬にするのと火葬にするのって、何が違うの? (2019/01/04)
- 日本の権威主義的封建社会とは全然違う、西欧独特の「農奴制」と「フューダリズム(Feudalism)」 (2018/12/31)
- 「なぜ隣国なのに仲良くできないのか?」という愚かな問い (2018/12/30)
- 左翼リベラルが決して理解ができない「アローの不可能性定理」 (2018/12/08)
- 「お西」と「お東」 (2018/12/07)
- 女性でも散策してみたい「江戸」のまち (2018/08/24)
- 「性風俗産業」って、どうして悪者扱いされているのでしょう? (2018/08/23)
- 女性が圧倒的に足りなかった「江戸」で生まれた「イノベーション」 (2018/08/22)
- 教科書に書かれていたウソ ~ 「士農工商」 (2018/08/21)
- 何故、「武蔵」を「むさし」と読むのでしょうか? ~ 都内で唯一存在する「温泉郷」 (2018/08/20)
- 今から1000年ほど前の日本って、どんな感じ? (2018/08/03)