2018-05-23 (Wed)
ロジカルシンキング(logical thinking)とは、一貫していて筋が通っている考え方、あるいは説明の仕方のことである。
英語でlogical thinking と表記され、その日本語訳として「論理思考」あるいは「論理的思考」と置き換えられることが多いが、いずれも妥当であるかは議論の余地がある。
論理思考から連想される、「論理学」は哲学、数学、計算機科学等の一部となる学問分野である。
哲学としての論理学は、三段論法に代表されるアリストテレスが体系化した研究にまで遡ることができる。現代の論理学は演算記号を用いた数学的な体系であるが、それ以前の自然言語による研究は伝統的論理学と呼ばれる。現代の論理学は、19世紀になってフレーゲにより数学的な枠組みを与えられて以降、数理論理学として発展し、以降の数学や物理学の基礎を形作っている。
フリードリヒ・ルートヴィヒ・ゴットロープ・フレーゲ
フリードリヒ・ルートヴィヒ・ゴットロープ・フレーゲ(Friedrich Ludwig Gottlob Frege[2], 1848年11月8日 - 1925年7月26日)は、ドイツの哲学者、論理学者、数学者であり、現代の数理論理学、分析哲学の祖にあたる。
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 みなさんは、【もうすでに論理思考を習っています】。
というと、ウソだと思うかもしれませんが、ウソではありません。
ズバリ、【中学1年生の数学】に【論理思考のエッセンスがたくさん詰まっています】。
「でも、論理思考なんてできるようになったかな?」とお思いの方もたくさんいることでしょう。
これには【カラクリ】があります。
一般的に、【学校の数学の授業】というのは、【先生】が「はい、こういうふうに計算すれば問題が解けますね。では、みなさん、問3をやってみてください」と【指示】し、【生徒】が【指示された問題を解く】、といった感じだと思います。
このように、【学校の授業】は数学の問題が解けるようになるために、【予定されたカリキュラム】で進みます。【先生】も【論理思考を身につけさせる目的で授業をしません】し、【生徒】も【論理思考を身につけようという姿勢で授業を聞いていません】。
だから、中1の授業を受けても、【論理思考ができるようになるとは限りません】。これが【カラクリ】です。
では、大人になって【中1数学の教科書】を眺めたことがあるでしょうか?
恐らく、ほとんどの方がないと思います。あったとしても、熟読はせず、パラっと目を通したくらいではないでしょうか。
しかしよく読んでみると、【論理思考を学ぶのに、非常に役に立つばかり】です。
その【理由は簡単】。
ご存じのとおり、【数学】は実に【論理的】です。それは高校数学でも中学数学でも変わりません。あえて言うならば、【算数から数学に切り替わった中1の数学こそ、論理的な数学の土台となる単元が目白押し】です。
だから、【中1数学を学び直す】と、【論理思考も同時に学ぶことができる】のです。
本書は、中1数学を通じて論理思考を学ぼうという本です。【文系の方】からは敬遠されそうですが、【怖がらなくても大丈夫】。中1が習う内容なので【カンタン】ですし、専門用語も極力控えています。逆に、数学が大好きな方からは怒られてしまうかもしれません。
だから、子供の頃に【数学が苦手】だったけれど、もう一度数学を学び直したい方にこそ【おススメ】です。
さあ、子供の頃には【スルーしてしまっていた論理思考】を学んでいきましょう。』
いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、大人になってから、それまでに、そうとは知らなかった、「中1数学」の本当の意味を、正しく理解しておきましょう、という内容が書かれた書物ですが、「中1数学」をテーマにしているからと言っても、「計算のやり方」とか「公式の覚え方」とか、そんな学校の先生が教えているような「実にクダラナイこと」を解説しているのではなくって、「数学」というものの本質、つまり「数学の論理」を手っ取り早く理解するために必要な考え方を手解きして下さっている良書になります。
それでは本日は、まず、次の問題から考えてみたいと思います。
問題 (南山中学 2006年、鎌倉女学院中学 2009年 受験問題 算数)
(1)N中学校の全校生徒数は200人です。いま、学校の代表3人を選ぶ選挙を行うことになり、A~Gの7人が立候補しました。
下の表は、170票まで開票したときの得票数です。
Dはあと何票獲得すれば当選確実になりますか。なお、この選挙は1人1票投票するものとし、無効な票はないものとします。
(南山中学 2006年)
この問題は、「中学校」の「入試問題」ですので、小学生が解くことができる問題です。
そして、この問題のテーマは、「選挙」ですが、選挙権の無い小学生が、選挙の結果(当選・落選)を、「数学」の論理思考を使って答えを導き出すというものになります。
例えばここで、問題に前提として置かれている「この選挙は1人1票投票するものとし、無効な票はないものとします」というものを無視して、N中学校の全校生徒数200人のうち、170人しか投票しなかったものと考えてみましょう(⇒投票率85%=170人÷200人×100%)。
つまり、投票が全て終わっているわけですから、A~Gの7人の候補者の中で、得票数が多い上位3人、すなわちA(42票)、B(35票)、C(29票)が「当選」となります。実際に行われている選挙では、なかなか投票率が100%になりませんので、現実に私たちが目にするのが、このパターンになります。
さて、問題で問われていることは、そのA、B、Cの3人ではなく、「D」があと何票獲得すれば当選確実になりますか、です。
残っているのは、あと30人であることは問題文からも明らかです。
当選するのは3人だけですから、上位の3人の誰かを現在4番目であるDが追い抜く必要があります。
そこで、次のようにグループ分けをして考えます。
残りの30人がすべて、左側のグループ(A、B、C、D)の誰かに投票をすると考えたとき、次のようになります。
この時点で、Aは争点となっている161人の有権者である生徒のうち、すでに4分の1以上を確保していますので、左側のグループ(A、B、C、D)の4人の中で4番目になることはありません(=上位3人に必ず入る)。
つまり、現時点ですでにAは「当選確実」ということになります。
そこで、次のようにグループ分けをします。
左側のグループの残りの3人(B、C、D)の中で、必ず選ばれるためには、119人の有権者である生徒のうち、3分の1以上を確保できれば良いことになりますので、
実は、この問題のお話は、2年ほど前にも同じ内容で書かせて頂いていることになります。
『 教育は社会の鏡だ。男女平等が機能している社会では、教育も男女平等で、そこから男女平等の理想がさらに確実に広がっていく。また、貧富や階級差のない社会ほど、すべての子供が一緒に受ける初等教育の期間が長く、その内容も充実している。貧富の差は、学力に正比例する。
幸運なことに日本では、遥か昔の江戸時代から、多くの子供たちが手習指南書(関西では寺子屋)で“読み、書き、そろばん”を習っていた。学力と貧富の差格差が、伝統的にとても小さい。つまり、教育という分野においてとてもラッキーな立ち位置にいる。
寺子屋書初歌川豊国(初代)画 文化1年(1804) 国立国会図書館所蔵
江戸時代、日本には士農工商という身分の差があった。しかし、そんなものは、ヨーロッパの王侯貴族と民衆の隔絶に比べれば、ほとんど無きに等しい。日本では、高貴な人々は皇室だけで、あとは武士であっても、商人であっても、また、僧侶であっても、お百姓であっても、基本的にはそれほど変わらなかった。
将軍が、ヨーロッパ野王侯貴族のように、キンキラの宝石に包まれて、贅(ぜい)の限りを尽くしていたということもなく、各藩の殿様もまた、毎日豪勢な物を食していたわけではない。
それどころか、武士も農民も、それぞれの分野で、それなりに精進し、頭を使い、自分たちに与えられた課題の実現のために努力してきた。そして、ここが大切なのだが、皆が“読み、書き、そろばん”の大切さを知っていて、しかも、それが特権階級だけのものではなかった。そのうえ、少なくとも国民皆が身分の差を超えて、互いにちゃんと人間として認識し合っていたのである。
ところが、ヨーロッパでは違う。王侯貴族と民衆の間には、途轍もない隔たりがあった。王侯貴族と民衆が接する機会はなく、もちろん心のつながりもなく、民を思う貴族はいなかった。民衆は貴族にとって、税金を搾り取る対象ではあったが、彼らが人間として認識されていたかどうかはつとに怪しい。
ヨーロッパの僧侶はさらに悪辣(あくらつ)で、民衆の搾取に関しては、貴族に決して劣らなかった。特に高位聖職者になると、王侯貴族並みの贅沢をし、王侯貴族並みの数の愛人を囲っていた。貴族と聖職者には、納税の義務はなかった。
18世紀の後半、フランス革命の前夜、貴族と聖職者という特権階級の人間を養い、さらに教会に掛かる莫大な経費を支えていたのが民衆だった。民衆の8割は農民で、彼らは重い年貢だけではなく、地代、塩税、人頭税、賦役(ふえき)労働を課せられ、そのうえ、水車や竈(かまど)の使用料まで請求された。貴族は、裁判権や狩猟権をすべて独占しており、何があっても安泰だったが、農民は、翌年蒔(ま)く種を残すと、自分たちが食べる物にも事欠いた。フランス革命は、起きるべくして起きたものである。それに比べて幕末の日本では、階級闘争は起こらなかった。
農民が苦しんだのはもちろんフランスだけではなく、ドイツなどアルプスの北でも同様だ。日本と違い、北の国々の冬は厳しい。東欧やロシアはもっと厳しい。地面が凍(い)てつき、何の作物も採れない期間が延々と続く。農民の子供たちが学校に行くなどということは、長いあいだアイデアさえなかった。イギリスでも、労働者の子供には学校教育は不要とされ、19世紀中頃のイギリス最盛期ヴィクトリア朝時代でさえ、自分の名前も書けない人が男性で3割以上、女性で5割ほどいた。読み書きができない人はそれ以上いたであろうことは想像に難くない。つまり、教育は長いあいだ、特権階級の子供のためのものだったのだ。』
詳しくはこちらをご参照❤
↓
☆イケマキ・・・が負けたワケ ~ 西穂波と義務教育
江戸時代の日本人の知的レベルの高さは、今から200年ほど前に、とある神社に掲げられた次の「算額」の問題からも想像できますね❤
『 ヨーロッパはどこの国でもエリートしか教育しなかった。教育を受けられるということ自体、特権階級なんです。日本はそこが全然違います。末端まで行き渡っている。
だって、江戸時代に立て札が成立するんですから、平仮名で書いておけば全員読めるし、漢字が混じっていたら「庄屋さん、読んでください」ということになる。庄屋さんの権威を高めてあげるときはわざと漢字を多くするみたいなことをするんです。そもそも、出版が商業として成立していますからね。おとぎ話の赤表紙、歴史や軍記物の黒表紙、大人向けの黄表紙といったように。
読み書き算盤(そろばん)と言いますけど、算術ができなかったら商業も発達しないです…
ヨーロッパはキリスト教が数学を禁止している時代が長かったので、「数学ができるようなやつは魔女だ」と火あぶりになってしまった時代も長いんです。ヨーロッパで数学ができるのはユダヤ人かアルメニア人だとよく言われます。たまにイスラム教徒とか。
一方日本では、算盤を練習すると暗算もできるようになるし、江戸時代にはあちこちの神社に算額が掲げられて、和算の本がベストセラーになったりしています。
江戸時代は、初等教育ですでにこのレベルですよ。断トツで世界一です。』
詳しくはこちらをご参照❤
↓
☆江戸時代の日本人が、断トツで一位だったこと ~ 算額の問題を解いてみましょう!
と、ここまでご覧頂くと、江戸時代の「読み、書き、そろばん」の中で、一番重要だったことが何であるのか、が想像できるのではないでしょうか?
そう、「そろばん」です。そして、その「そろばん」から「算額」や「和算」へと繋がっていく過程で、実は「論理思考」が身に付いてくることになります。つまり、算数から数学へと変化していくことで、「論理思考」が身に付くんです。何故ならば、「数学」は「論理」そのものだからです。
『 我が国では、第二次大戦前、科学の振興のために特に数学が重視されるようになり、理科、特に「数学が教育の中枢」となった。
この傾向は戦後も残り、この事が敗戦の痛手を乗り越えて、高度成長を可能とし、死灰(しかい)の中から見事に復興をとげ、日本は経済大国となった。
しかし、戦後の「お受験教育」に依る「面白くない数学」が長く続き、こんどは一転して逆に「ゆとり教育」指向に因(よ)って、歪曲(わいきょく)され、終(つい)に日本の青少年の数学力が、みるみる低下する傾向に拍車をかけることとなった。
日本人が数学力を失ったらどうなるか?
経済成長は停滞し、国防すら危うくなる事は間違いない。
「数学には馴染みが薄い」「なんとかやろうとしたが、出来なかった」と言う人が多く、「数学とは何か」という本質(論理)を知らない人が急増している。
やがては表面化する、戦後教育の弊害を見越して、約四半世紀前に「数学」を使わないで、数学の講義をしてみたのが、この本である。
「数学を使わない」とは、計算だとか、補助線を引くなどの「技巧」を使わないということである。
技巧を駆使しなくても、数学の本質(論理)を理解することによって「数学的発想」を持つ事が出来る。何よりも、この事が大切なのだ。
緑陰の読書で、のんびりと楽しみながら、なーるほど! そうだったのか! と納得されたら幸いです。』
詳しくはこちらをご参照❤
↓
☆朝日新聞は「数学の論理が理解できていない人々」の「集合」です
如何に「数学」が重要なのかということは、御紹介させて頂きました書物をご覧頂きますと理解できますので省略させて頂きますが、本日の最後に、私たち日本人が知恵を絞らなければならない「課題」について、非常に考えさせられる寄稿をご紹介させて頂きます(※一部抜粋。詳細は下記のリンクからご確認ください。)
『 「独り勝ちのドイツ」と日本はどこが違うか
岩本 晃一 上席研究員
1 企業体になると世界に負ける日本人
OECD(経済協力開発機構)は72力国・地域の15歳児に対し、2000年から3年ごとに「OECD生徒の学習到達度調査(PISA)」を行っている。15年の調査には世界約54万人が参加、日本からは198校、約6600人が参加した。その結果を見ると、少なくとも15歳時点では、日本人は極めて優秀であることがわかる。
●科学的リテラシー 日本第1位 平均得点538点(OECD平均493点)
●数学的リテラシー 日本第1位 平均得点532 点(同490点)
●読解力 日本第6位 平均得点5 16点(同493点)
ところが、その日本人が大人に成長し、会社に就職して組織で仕事を始めると、どういう訳か、労働生産性は20年連続で主要先進7カ国最下位、OECD34加盟国の中でも22位に落ちてしまう。日本の若者は決して仕事の手を抜いている訳ではないが、日本企業のパフォーマンスは低い。今や日本人の労働生産性の低さは世界的に有名だが、日本人の多くは未だに日本が世界的に強いと信じ込んでいる。「ものづくり」の分野でも、日本人の生産性は先進国の中で、ほとんどビリに近い。
1995年のインターネット元年から約20年間で、ビッグビジネスとして成功したのは、グーグル、フェイスブック、アマゾン、ヤフーなど全て米国企業である。彼らはモノを作らず、データを処理するだけで、短期間でビッグビジネスを実現した。この間、パソコンやスマホからはかなりの日本製がなくなった。日本の電機産業はグローバル競争に負け続け、地方での工場閉鎖が相次いだ。これまで日本経済は自動車と電機の2つの産業で支えられていたが、そのうちの1本の柱を失った。
今後、日本の自動車産業も、電気自動車(EV)化、人工知能(AI)搭載、所有からシェアリングへ、という大きな構造変化の波の中で、果たしてグローバル競争に勝てるのだろうか。もし自動車産業まで負けてしまえば、日本経済は一体どうなるのだろうか。
2 「独り勝ちのドイツ」とは
筆者は長年、「独り勝ち」と言われるドイツ経済の強さを解明することに尽力してきた。ドイツと日本を単純に比較すると、①日本はドイツに比べて人口が1.5倍、企業数が1.5倍、GDPが1.5倍。②だが、ドイツの年間労働時間は日本の3分の2 しかなく、時間当たり賃金は1.5倍もある。③日本もドイツも製造業が主力産業であるが、ドイツの製造業の生産性は日本の1.5倍もある。
ドイツに旅行すればわかるが、ドイツは日曜日、商店街は全て休みになる。平日は残業しないで家に帰り、戸外のレストランで長々とおしゃべりに興じている。それなのに「独り勝ち」と言われるほど強力な経済力を有している。週末も目いっぱい経済活動している日本は、そのドイツの3分の2 の生産性しかない。「なぜ?」という単純な疑問が、私を動かしてきた動機である。』
詳しくはこちらをご参照❤
↓
☆「独り勝ちのドイツ」と日本はどこが違うか~企業体になると世界に負ける日本人... (経済産業研究所)
続きは次回に♥
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