小檜山博の「雪嵐」を読み終えた。
なんとも複雑な気持ちにさせられた。貧乏であらゆることにがまんを強いられ、あるいは金持ちの子にいじめられ、そしてまた歯が折れたり指の一部を失ったりしても、『腐る』ことなく毎日を生きている主人公の少年が、あまりにもけなげすぎるのだ。
この少年に勇気をもらったなんて気にはとてもならない。
「同情するなら金よこせ」じゃないが、なんてかわいそうなんだろうと同情してしまう(金を払う気はない)。
父親と母親の夫婦喧嘩がエスカレートしないかいつもビクビクし、多くの同級生が小学校卒業と同時に『町』の学校へと転校するなか、自分は貧乏で居残るしかなく……
小学生なのにこんなに苦労するなんてかわいそうすぎる。
また、少年ははっきりとではないが、知り合いの男女が『馬の種つけ」みたいな格好を目撃したりもする。
多感な少年にとっては、それがなにかははっきりとわかっていなかったにせよ、でも感じるものはあったはずだ。
作者の実体験を基に創作された作品だろうが、おもしろかったけど切なかったという不思議な読後感が残っている。
小檜山博のほかの小説を読みたいが、現在、ほぼ入手困難である。とても残念だ。
「雪嵐」の次は、また『嵐』。三浦綾子の「嵐吹く時も」である。
そんな根性無しの私であるが、上下巻の長編小説を読むのに挑戦するのである。
ショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)の「貧乏の歌(The Song of Poverty)」。「ユダヤの民族詩より(From Jewish Folk Poetry)」Op.79(全11曲。1948)の第7曲である。
トンボとかもね……
MUUSAN
がしました