今回妻が大阪に来るに当たり、ぜひとも行かねばならない場所があった。
それは『志津可』という鰻屋である。天満警察署の向かいにある。
いまから15年ほど前の、2003年から2005年に大阪に勤務していたときに、やはり妻が大阪に遊びに来たときに、ここのうな重を食べ、そのおいしさに魅せられ、またぜひ行きたいと言っていたのだ。
そんなんなのに、2003年から2005年の3年間で一度しか行かなかったのか?、とあなたは疑問に思っている最中だろう。
いや、妻が大阪を訪れた際に何度か行ったのだが、臨時休業ということが何回かあって、結局3年間で一度しか、妻はここのうな重にありつけなかったのだ。
去年妻が大阪に来たときも、行こうと思いきや、定休日。
代わりに阪急3番街の『江戸川』に行ったのだが、妻は満足しなかった(『江戸川』だってそれなりにおいしいのに)。
そして、今回ようやく《2度目の志津可》が実現した。
実は私も去年大阪に来てから初めての『志津可』。前の晩からよく眠れないほど楽しみにしていた(←JARO)。
変わらぬ店内。でも、あそこは……
店構えはむかしと変わらず、店の中も同じ。
あれから14年。掛け時計はずっと、ひっそりと飾られ続けていた。
ただ、間違いなく変わったところがあった。
和式トイレが洋式に変わっていた。
思い出に浸りながら舌鼓
おいしいのに、さらに『志津可』のうれしいところは、うな重の値段が他の鰻屋に比べ少し安いことだ。
前回『志津可』に来たときは、私が初単身赴任となったときのこと。
上の子が中学生となり、また下の子も小学校高学年と、子育てがいちばんたいへんなときだった。
上の子が中学生となり、また下の子も小学校高学年と、子育てがいちばんたいへんなときだった。
いまは息子2人も社会人となっているが、当時の思い出話と、いまはいまでやっぱり心配なもんだよね、などと話していると、『上鰻重』が運ばれてきた。
10年以上前と変わらぬおいしさ!
やはりここのうな重はばっちりアタシの好み(名古屋の『うな善』も私の大のお気に入りだが、鼻の差で『志津可』の勝ちか !? あ、どちらも関東風です)。
※ホームページやメニューには“三代目”と書かれているが、のれんや箸袋には“四代目”と書かれている。
妻ももちろん大満足。
また、あのとき-今回座った席と同じ場所だ-は、窓の外は裏庭の木々に緑の葉が生い茂っていた。
いまはまだ、芽吹いていない。
「あのときは夏だったのかな?」
でも、2人ともそこまでは覚えていなかった。
中田喜直(Nakada,Yoshinao 1923-2000 東京)の「夏の思い出」(1950)。
誰もが知っている親しみやすいメロディー。悲しい曲じゃないのに、なんだかちょっぴりジーンとくる。
♪ 作曲家情報 ♪
1943年9月東京音楽学校(現・東京芸術大学)ピアノ科卒業。約2年の軍隊生活を経て、戦後柴田南雄らの「新声会」に入る。47年歌曲集《六つの子供の歌》《海四章》《木兎》等を発表し、本格的作曲活動を始める。49年NHK毎日音楽コンクールでピアノ・ソナタ入賞以来、毎日音楽賞、芸術祭賞等多数の賞を受ける。その間主として歌曲、合唱曲、童謡、ピアノ曲を作曲し、その大部分が出版されており、レコード、CDにも多く録音されている。作風は前衛、革新、無調にはとらわれず、世界共通の音楽の本道の中で作曲する。「バルトークもストラヴィンスキーも革新等していないし、メロディ、ハーモニー、リズムがきちんとある音楽を書いている」という考えに基づく。
1981年録音。ソニークラシカル SRCR-1641。
これで1尾なのですが、角にご飯の露出があるのがちょっぴり残念です。
それにしても、鰻は高すぎます!
MUUSAN
がしました