和歌山旅行 6日目 京都から名古屋 - 2024.03.05 Tue
京都の二日目、今朝は鷹峯のホテルの近くにある光悦寺に友人と共にやって来た。
ここは鷹峯三山を見渡す景勝の地。
誰もいない静かな庭を散策する。 このエリアは本阿弥光悦を中心とした種々の工芸職人が集まり、陶芸、書道、蒔絵、彫刻、茶の湯など日本の工芸と文化に寄与した工芸集落の地だ。
庭園内にある光悦垣と呼ばれる特徴ある垣根。
続いてすぐ近くの源光庵に立ち寄る。ここはJR東海の「そうだ京都に行こう」のCMで有名になった、「悟りの窓」のあるお寺だ。
丸窓が「悟りの窓」で禅と大宇宙を表現しており、角型の「迷いの窓」は人間の生涯の四苦八苦を象徴していると言われる。単なる窓だけで、こうもスケールの大きな物語を表現することで、多くの観光客を魅了している。新緑と紅葉の時期が最高であろう。
せっかくなので、京都の梅を見て帰ろうということで、次は北野天満宮迄車を走らせた。梅まつりの最中で混雑を予想したが幸い駐車場はすんなりと入れた。
境内は外国人も含め多くの観光客で賑わっている。
菅原道真公の愛した梅、そして伝説の「飛梅」
同行した友人は最近、野鳥撮影で素晴らしい写真を撮り続けており、出来ればここ北野天満宮でも何か撮れないかと待機していた。私はここで友人と別れて名古屋に向かったが、撮影を続けた友人から後で送られてきた写真がこれ。
見事な作品「天満宮の梅とメジロ」である。
私も旅先で、こんな写真が撮れるように野鳥撮影について、これから勉強してみようと思った。
そんなことで、京都を後にすることにしたが、名神高速に入る前に寄る場所として、昨夜の友人に勧められた場所がある。
そこは京都東山山頂にある新名所「青龍殿」と「大舞台」である。「青龍殿」は北野天満宮前にあった「平安道場」の建築を移築し再建されたもので、ここに清水寺の大舞台の数倍の大きさの「大舞台」が造られている。
そこからの景色はまさに京都市内を一望する大パノラマが展開する。あいにく曇り空の景色だが、ここは是非快晴の時、また桜や紅葉の季節、そして夜景が楽しめる場所として覚えておきたい。
さて移動を続けて、名神高速を走り、名古屋へと向かう。
名古屋はいつも通り過ぎる街で、今回は初めて街の中心地に入る。
ホテルのチェックインまでの時間、名古屋城に向かう。二の丸の駐車場から庭園や梅林を抜けて、本丸東南の隅櫓を望む。
そしてドーンと現れたと本丸天守閣。立派だ。
残念なことに現在工事の計画で、天守に登れない。木造天守閣の再建やバリアフリー対応などの検討で、当分の間は無理なようだ。
以上、本日の走行距離は292km
そして翌日旅の7日目は帰路に就くだけ。
新名神、新東名を使い自宅に戻った。特に写真撮影無し。走行距離は363.6km
以上、今回の和歌山旅行。
浜名湖経由、伊良湖岬、鳥羽、新宮、那智、串本、白浜、田辺、高野山、京都、名古屋を巡る7日間、1592kmの旅でした。
次は何処に行くかな
和歌山旅行 5日目 京都へ - 2024.03.03 Sun
旅も5日目に入る。
今朝はホテルを出て、和歌山城公園の傍の喫茶店で朝食を摂った。窓から見える和歌山城を撮影。
今日はこれから和歌山市内を抜けて、京都に向かう。あまり時間もないので、城の見物はやめておく。
和歌山から京都までの道のりは初めてのルートなので、大阪市内を抜ける際の渋滞状況もよく判らないため、出発を急ぐ。
結果、特に渋滞にも合わず、順調に午後一番に京都に到着した。
市内に入って、目の前に見えたのは「東寺」だ。せっかくなので、昨日の高野山の空海繋がりということで、ここ東寺も訪れることにした。
まず最初は五重塔(この時間帯は逆光で良く見えない)。 空海が創建して以来焼失などを重ね、現在は5代目に当たるもの。今日は内部が特別公開されている。ユニークな耐震構造として独立した「心柱」、そしてその周囲に4仏の如来像が配置されている。内部は残念ながら撮影出来ない。
そして、金堂、講堂と続けて内部を観覧する。
講堂内部の立体曼荼羅の空間に圧倒される。
大師堂の傍の案内板に記されたご詠歌。「身は高野 心は東寺におさめおく 大師の誓い 新たなりけり」
この日は第一日曜日とあって、東寺の境内では「がらくた市」が開催されていた。
古道具、陶磁器、漆器、木工品、書道用具、切手、古銭など、色んな品が並べられ、好天に恵まれて多くの人で賑わっていた。
東寺を出て、その後は友人に教えてもらった静かなお寺、正伝寺。観光客でいつも混雑している京都にあって、此処は訪れいてる人が誰もいない、落ち着ける場所だ。石庭、そして比叡山をのんびりと眺める。
京都の観光を終えて、ホテルにチェックインした後、昨年京都に移住した友人宅を訪ねた。友人は会社の同僚で、一緒に仕事をした仲間だ。今日の訪問に合わせて、もう一人、仲間を誘ったら、急な呼びかけにもかかわらず、嬉しいことに東京から急遽駆けつけてくれた。そんなことで、昔の仕事仲間が京都に集まり、友人の素晴らしい住居で、遅くまで旧交を温める楽しい夜となった。
友人宅から眺める景色。遠く比叡山、そして京都の街並みと五山の稜線などを望む。
本日の走行距離は150km
和歌山旅行 4日目 高野山へ - 2024.03.02 Sat
当初の思惑と違って、今回の旅、まだまだ寒さが続く。
今朝は南紀田辺のホテルを出て、最初に訪れたのは「白崎海洋公園」、公園全体が白い石灰岩で囲まれていて一種異様な雰囲気だ。
ここは道の駅になっており、キャンプ場などの施設も併設されている。展望台からの景色はまさにダイナミックで、もしこの日が快晴であれば、ここが「日本のエーゲ海」と呼ばれるのもうなづけるかもしれない。しかし、今日は風が強くて寒い。カメラを持つ手が冷たくなってきた。ここは事前にドローンでの撮影申請を行っていたが、この強い風では私の技術では無事に飛ばせそうもないので残念ながらあきらめることにした。
続いて海岸線を北上して、やって来たのは独特の美しい景観が話題の港町、「雑賀崎(さいがざき)」だ。
此処の景色はまるでイタリアの「アマルフィのようだ」、ということで最近注目されている漁師さんの町だ。せっかくなので絶景のポイントを探して、写真に収めておいた。
日当たりの良い斜面に家々が密集しており、路地も狭いのでよそ者の観光客などの車では入れないようだが、その方が良いかもしれない。ここにはイタリアのアマルフィ市の市長と市の訪日団が友好に訪れたそうである。
実はこの漁港は昨年、岸田首相が選挙の応援演説を行っている最中に筒状の爆弾が投げ込まれた場所としても知られている。
さて、午後からの予定だが、予想以上に気温が低いため、明日の朝に予定していた高野山行きを早め、これから行くことにした。早朝の高野山の道路は凍結の恐れがあるためだ。
和歌山市内を抜けて高速に入り、一般道に降りると、高野山に向けてぐんぐん高度を上げていく山岳ドライブだ。
高野山に到着すると最初に目にするのは巨大な「大門」だ。ここが聖なる高野山の入り口となる。
高野山の街に入るとまずは壇上伽藍のエリアに車を止め、暫く歩くことにした。それにしても気温が低い。
お昼を食べていなかったので、茶店で笹の葉寿司を頂く。お茶を運んでくれた店主のおばさんは、自分のスマホで撮った高野山の秋の紅葉の写真などを見せてくれて、是非その時期にもおいでくださいと言ってくれた。そしてお菓子をサービスに付けてくれた。
壇上伽藍のエリアは空海が高野山開山の際に、真っ先に造営に取り組んだ場所と言われ、奥之院と共に高野山の中心的聖地となっている。まずは最初に「中門」を抜けて、中に入る。
ここ六角堂では押手を押しながら一周するとお経を読んだことになり功徳があるとされているが、重くて動かない。外国観光客の男性に手伝ってもらい、何とか二人で一周回すことができた。
西塔。何度か再建されているが、貴重な木造の建造物だ。
そして高野山のシンボル「根本大塔」。初層が方形、二層が円形で屋根が宝形造りという「多宝塔」と言われる形式だ。
先ほどの西塔とこの根本大塔の二基によって、仏の悟りの世界を示す金剛界曼荼羅と胎蔵界曼荼羅を3D化した、両界の立体曼荼羅となっていると言われる。
暫くの間、壇上伽藍で過ごした後に、奥之院に向けて車で移動した。それほど、高野山全体のエリアは広く、短時間では回れない。
奥之院はさらにひっそりと気温も低く、杉の巨木に囲まれた神秘的な場所だ。
多くの外国人観光客と共にゆっくりと御廟まで歩いていく。苔むした五輪塔の墓石など、歴史上の人物の墓が多く。また昔からの大企業の慰霊碑も多くみられる。
御廟への参拝も終わり、帰り道では3月だというのに雪がちらつき始めた。
高野山、まだまだ半日では魅力のほんの一部しか判らないだろう。またいつかゆっくりと。
暗くなる前に、和歌山市内に戻ろう。旅の4日目はこれで終了。
本日の走行距離240km
和歌山旅行 3日目 那智の滝から青い海へ - 2024.03.01 Fri
旅は3日目に入り、前半のハイライトとなる。今日は雨も上がり、絶好のドライブ日和となった。
新宮市のホテルを早朝に出発し、市内から仰ぎ見る権現山の中腹に鎮座する神倉神社を写真に収めておく。この神社、ゴトビキ岩という巨岩のご神体が有名だが、この神社に至るまでの階段が険しく、538段の階段を駆け上る元気もなく、おとなしく下界から望遠レンズで眺めるだけにした。テレビで見たが、毎年2月6日に行われる「御燈祭り」では、山頂の神社から松明を持った男たちが一気に石段を掛け降りるという勇壮な行事で有名だ。
今日の最初の目的地は熊野那智大社。新宮市内からわずか30分程度でに到着した。まだ朝早いので、人影もない。山の中なので、空気も清々しく、境内は朝日を浴びて気持ちが良い。
そして世界遺産として紹介されるときに必ず登場する那智の滝と三重塔の姿。絵になる場所だ。
133mの高さを誇る那智の滝。近くに寄れないので望遠で。
心地よい時間を境内で過ごした後、今度は海に向かって出発だ。
海岸線を快適にドライブしながらやって来たのは橋杭岩という奇岩の景勝地。
橋の橋脚のように一定間隔で大小の岩が並んでいる。ここで少しドローンの撮影。もっと高度を上げたかったが、風が強くてアラームが出たので、撮影はここまで。岩が一列に並んでいる様子が判る。
天気後良いので次々と移動する。
次は本州最南端にある潮岬にある灯台をめざす。
海の向こうに見えてきたのが、潮岬灯台だ。
近くにやって来たのでその雄姿を捉える。美しい灯台だ。
この灯台は明治初期に建設された8基の洋式灯台の一つで歴史的価値が高いAランクの保存灯台に指定されている。今となっては貴重な登れる灯台16基の一つだ。
せっかくの好天なのでもう少し周辺を見て回る。灯台から少し走ったところに「くしもと大橋」があり、そこから「紀伊大島」という島に渡れる。そこに「トルコ記念館」というのがあり、寄ってみた。
この記念館は、1890年にこの地の沖合いで起きたトルコ軍艦、エルトゥールル号の遭難沈没事故の犠牲者を悼み、設立された。ここにエルトゥールル号の模型や遺品、写真が展示され、当時の様子も解説されている。
来日した巡洋艦「エルトゥールル号」の乗員は3か月の日本滞在で歓迎された後、イスタンブールへの帰国に向けて、横須賀から神戸に向かうの途中に台風に遭遇、暴風と高波の被害にあい、岩礁に乗り上げて沈没した。その結果数百名の命が奪われることとなった。
この海の白く泡立つ岩礁部分が、当時の遭難場所である。
そして樫野崎灯台。事故当時には樫野崎灯台の明かりを頼りに灯台の官舎のドアをたたく血まみれの遭難者が現れ、宿直中の職員が気付いて急遽村を挙げての救援活動が開始されたそうだ。その結果69名の生存者が村の各地で保護された。その後69名の生存者は神戸に向かい病院での治療を受けるが、これが日本赤十字社の初めての国際救護活動となった。最終的には日本の戦艦によって、生存者を無事本国トルコに送り届けることとなり、日本とトルコとの深い友好関係が築かれることとなった。(以上、記念館の資料による。)
灯台の官舎にはガイドのおじさんが居て、英国人が灯台建設のために常駐していた頃の歴史や、施設概要を詳しく説明してくれた。
串本は素晴らしい絶景ポイントが多く、観光に相応しい町だ。この町で、近くロケットの打ち上げがあるため、交通規制がされるとの看板を町中でよく見かけた。(3月13日の打上は残念ながら失敗)
串本に別れを告げ、しばらくの間、海岸線に沿って青い海を見ながらひた走る。
たどり着いたのは千畳敷と呼ばれる白い岩盤だ。
ここら辺は南紀白浜の温泉地なので、せっかくだから有名な「崎の湯」に行く。雄大な太平洋が間近にせまる迫力満点、開放感たっぶりの温泉である。写真撮影禁止なので、「南紀白浜観光協会」掲載の写真をお借りする。
本日最後は白浜の海岸を湯上りに散歩する。綺麗な海だ。
本日のホテルは「東急ハーベスト南紀田辺」。想像以上に立派なホテルだった。一人で泊まるのはもったいない。
本日の走行距離は168.3km
和歌山旅行 2日目 伊良湖岬から鳥羽 新宮へ - 2024.02.29 Thu
旅も二日目、今日はあいにくの曇天で、夕方からは雨になりそうだ。
浜名湖のホテルを出発して、峠を越えて静岡県から愛知県に入る。途中豊橋の街に入るが、ここは初めての場所。愛知大学の立派なキャンパスを左に見て、豊橋市内を進む。
豊橋市内には路面電車が走っている。去年九州を旅した時も熊本に路面電車が走っていたが、故郷神戸の市電を思い出す懐かしい風景だ。
市内を抜けて、徐々に郊外を走るといよいよ渥美半島だ。天気が良ければここの一面の菜の花畑は眩しいぐらいの鮮やかさだろう。
伊良湖岬に到着したので、灯台を見に、散歩する。波の音が結構な大きさで聞こえている。
灯台までは距離的にはちょうど良い散歩コース。急な階段を降りるそこに灯台が現れる。なかなかいい感じだ。
灯台周辺は遊歩道が整備され、晴れていれば絶好のスポットだ。左手に三島由紀夫の『潮騒』の舞台になった神島が見える。
さて、ここでちょうどお昼になり、フェリーの出発前にターミナルのレストランで食事を摂る。レストランの客は私一人だ。
ここ伊良湖の港から鳥羽まではフェリーを利用する。伊勢湾を最短距離で結ぶ伊勢湾フェリーは、便利だが、わずか1時間程度の乗船で、軽自動車で¥6400というのはちょっと高い気がするが仕方ない。
わずかな乗客を乗せてフェリーは鳥羽港めざして出航。
1時間ほどで鳥羽港に到着。ここには水族館があって、もしかしたら修学旅行で来たかもしれない。
今回は伊勢志摩をスルーして、紀伊半島を南下するコースとなる。本日の目的地は新宮市だ。あいにく雨が降り出して、雨中のドライブとなった。
今日の最後の目的地は新宮市の熊野速玉大社。
熊野の神鳥三本足の「八咫烏(やたがらす)」は、日本サッカー協会のシンボルマークであり、サッカー協会幹部はワールドカップなど、国際大会の前に毎回ここに祈願に訪れているそうだ。
本日は新宮市内のホテルに宿泊。ホテルの傍の食堂で夕食。食堂のご夫婦から「大谷選手が日本人女性と結婚したそうですよ」と言うビックニュースを告げられた。
本日の走行距離は207km
和歌山旅行 1日目 航空自衛隊浜松基地へ - 2024.02.28 Wed
軽自動車一人旅で日本一周を何度かに分けてチャレンジ中。その中で寒い時期でも問題無さそうな和歌山を今年の第一弾として選んだ。出発は2月の28日。最高に気持ち良い快晴の日だった。(冒頭の写真は今回訪れた南紀白浜の海岸)
日本一の交通量を誇る東名は、あまり飛ばさずに、ただ淡々と走るだけ。秦野から大井松田付近に富士山の絶景ポイントがある。今日はたっぷりと富士山を眺められる。
自宅から西に向かって旅をする場合、1日の走行距離的に一泊目は浜名湖あたりが丁度良い。そこで、浜名湖周辺で何があるか下調べし、今日の目的地にしたのは航空自衛隊浜松基地のエアーパークだ。
此処は航空自衛隊の広報施設として公開されており、その施設入口に初代「ブルーインパルス」のF-86Fの雄姿がある。
駐車場も入場料も無料。いいですね。展示物も多く、たっぷりと時間も費やせる。まずは館内の2階に上がり、浜松基地の滑走路あたりを一望する。見慣れた入間基地よりも遥かに広々とした景色が広がる。浜松基地は広大だ。
館内では迫力の巨大スクリーンによる映像、実機や模型による航空機や装備品の展示等があるが、展示格納庫にある実機展示が素晴らしい。
頭上に浮かぶのは「零式艦上戦闘機52型」
2021年に退役した「F-4EJ改」
そして F-104J これらの機体に描かれた様々な注意書きが、グラフィクスとして美しい!
そして「ブルーインパルス」の現行機であるT-4は着座可能である。
さっそく、自分も搭乗する。狭いコクピットなので、搭乗時は座席の座面を踏んで乗り込むしかない。
いやーこれは凄い。何と言えばよいか。見学者が次々と順番待ちなので、ゆっくり見れない。
普段見れない角度でも写真を撮っておく。
美しいアクロバット飛行を魅せる「ブルーインパルス」は、埼玉県入間基地に秋になったら毎年季節の渡り鳥のように飛来してくれる。市民は親しみを込めて、その日を楽しみにしている。
この写真は演技を終えて着陸態勢に入る5番機を自宅の窓から捉えたもの。
せっかくなので帰りにミュージアムショップで「ブルーインパルス」のバッジを手に入れておいた。
さて、そんなことで和歌山への旅の初日は充実したものになった。ホテルに着く前に、浜名湖の「昇竜しだれ梅園」に梅を見に行ったが、時期すでに遅く、満開の梅の見頃は既に終わっていたようだ。
本日の走行距離は306.1km。今日の富士は最高に綺麗だった。
おみやげ - 2024.02.19 Mon
下田の上原美術館 - 2024.02.06 Tue
下田のひっそりとした山間部に「上原美術館」がある。埼玉県からは、東名と伊豆縦貫道を通り、天城峠を越え、長い道を経てやっとたどり着く。
あまり知られていない美術館だが、以前訪ねて気に入ってしまい、またやって来た。こじんまりした親しみやすい美術館だが、コレクションは質が高い。
この美術館は大正製薬株式会社名誉会長の上原昭二氏の寄付を受けた近代絵画のコレクション、および上原氏の両親である正吉・小枝夫妻の寄付による仏教美術のコレクションで構成されている。
まずは近代絵画館から、ルノワールの「横になった婦人」
同じくルノワールの「バラをつけたガブリエル」
カミーユ・ピサロの「エラニーの牧場」
そしてこの「仏教館」に移動し、多くの仏像も鑑賞することが出来る。
阿弥陀如来立像
そしてこの美術館のすぐ隣には曹洞宗向陽寺、通称「達磨大師 」がある。
ここに達磨のお土産店があり、以前来た時に小さな達磨を購入したので、今回も新しいものを買いに来た。ところがお店が閉まっており、美術館の受付に聞いたところ、電話すれば店を開けてくれるとの親切な対応。
5分後に店が開き、無事達磨を購入することが出来た。
実は買ったのはこんな小さなミニ達磨。手のひらに乗る5センチ弱の可愛いサイズだ。
家に帰ってさっそく達磨に「目入れ」を行い、今年一年の新たな願い事(目標)を立てることにした。