”お盆の気に変わってきました” 〜お盆と立秋 | 日々のさまよい

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先日、お盆の終了から少し遅れて、今年も盆灯籠を片付けながら「あ〜、またこの季節かぁ」などと小さい秋の気配に思いを馳せながら、残暑にやられボンヤリしているうちに、

 

「3年前の今日あなたが書いた記事があります」

 

と、Ameba管理トップページで教えて貰いましたから、リブログさせて頂きます(苦笑)

 


 

とはいえ、単にリブログするだけでは芸がありませんので、上の記事はブロ友さんへのコメントとして書いたものでしたから、少し一般向けの記事としてリライトしてみました。

最後にオマケ写真も載せておきます。併せてご笑覧くださいませ〜

 

 

 

 

お盆と立秋


 

8月10日ころのお盆前、まさに夏の真っ盛りで毎日とても暑いんですが、ふとした際に日陰でスッ…と涼しい風を感じたり、あ〜もうそろそろ夏もそんな頃合いだなとあらためて思ったりしていると、夕暮れ時にヒグラシの鳴く声がはじめて聞こえたりして来ます。

 

蝉の声も、おおよそ7月はクマゼミとアブラゼミでうるさいだけなのですが、8月に入るとツクツクボウシの声も聞こえ始め、夜には早くも虫の音が微かに響き始めます。

 

これらはほんの微かな兆候ですけれど、8月に入ると夏はそのピークを迎えると同時に、小さな秋が始まります。

それが二十四節気立秋ということかと思えます。

 

立秋は毎年およそ8月7日、一年で最も暑い時期ですが、そこから後は少しずつ涼しくなって行くという節気となります。

つまり、二十四節気で立秋の対極にある2月4日ころの立春が一年で最も寒い時期となり、そこから少しずつ気候が暖かくなって立秋へと至り、今度は立秋から少しずつ涼しくなって立春に還るという、一年に渡って変化していく季節の大きな2つの折り返し地点が、立秋と立春ということになります。

 

ですから立秋と立春という節気は、6月の夏至と12月の冬至と併せ、季節が全く逆の方向へと折り返す特別な節目となります。

もちろん立秋・立春と夏至・冬至の他に二十四節気は20ありますけれど、その残り20節気はあくまでも同じ方向性での通過点でしかありません。

 

これを陰陽で表せば、立秋→立春が陰、立春→立秋が陽となります。

そうして立春が陰の極、立秋が陽の極となりますから、立春と立秋は「陰が極まれば陽に変じ、陽が極まれば陰に変ず」という万物生成消滅の瞬間でもあるということになります。

 

特に、陽の気が陰の気へと反転した瞬間というのは、人間の感性において、ことさら生死を身近に感じる切ない感情が湧き起こる瞬間ではないかと思われます。

 

秋から冬へと至る明らかな陰の方向性におけるより、むしろ陽の極となる真夏の中で、真逆の陰へと舵を切り返した兆候を仄かに感じ取る方が、何だかフッと寂しいような懐かしいような、今際の際に立った気分になるように思えます。

 

例えば、聞き慣れた歌でその気分をお伝えするとすれば、夜になって遠くから聞こえて来る盆踊りの『○○音頭』とか、童謡の『ちいさい秋みつけた』とか、井上陽水の『少年時代』とか…

あるいは、8月の空を見上げて、夏になり見慣れてきた入道雲がモリモリした様子とは違う、秋のように澄んだ青空を見た時とか…

他には上であげたように、朝夕のちょっとした涼しさとか、蝉の鳴き声の変化とか、夜の虫の音とか、海でのクラゲ増加とか…

 

このように、夏の真っ盛りがすなわち衰えの始まりと捉える季節感覚の鋭さと儚さが、日本人の感性にとって最も故人を偲ぶにふさわしい時期なのかと思えます。

 

ですから、そのような日本的感性と、農作業における実りの進捗と穫り入れ時期の都合や満月の条件などがあり、仏教の盂蘭盆会と道教の中元節とも習合して、故人を偲ぶためのお盆は、かつて旧暦の7月15日と全国的に決まっていたのではないでしょうか。

 

調べたところ、旧暦(太陰太陽暦)7月15日はおおよそ新暦(グレゴリオ暦)8月15日とそれほど大きく離れてはいませんし、立秋は旧暦で七月節(旧暦6月後半から7月前半)ですから、必ずお盆より少し早めに訪れることに変わりはありません。

 

ということで、8月15日がお盆と定められた由縁には、それに先立って立秋という重要な節気を迎えることにあるのかと思えます。

 

 

あと、あの世の人がお盆に帰って来るということについて、関連して思ったことがあります。

 

お盆には、本当に上で書いたような理由がもしあったとしたらなんですが、そのような陽→陰という気の反転を盛夏の中で敏感に感じ取れる感性をお持ちになった方々なら、あの世の人々の気配も感じ取ることはあるのかなあと思います。

 

特に立秋は、そのように陰陽反転の特別な節気ですから、普段あまりあの世を感じることがないような人でも、この時ばかりは感度が上がり、何かを感じることがあるのではなかろうかと思えます。

ましてや、もともと敏感な方でしたら、その時期に集中してアレコレたくさん感じてしまわれるのも無理ないのかと思われます。

 

ちなみに、私の考えるあの世についてですが、あの世というのはココと違う何処か遠くのことではなくて、あの世がもしあるとすれば、それはココにあるのであろうと思っています。

ただ、ココにあるあの世を感じ取れるかどうかの違いがあるだけで、あの世とこの世は重なっているとしか思われません。

 

なぜなら、というか、そう思うからこそ、神社仏閣へ足を運んでいるわけなので。

もとよりどこか遠くの浄土で成仏したいわけではなく、特別にどのようなご利益も願わないまま、単にいまココで生きている喜怒哀楽が有り難いからこそ、神さま仏さまご先祖さまに感謝しているのですし。

 

なので私の考えですと、あの世の人がお盆に帰って来るのではなく、実のところいつもそばにおられるのですが中々気付けないだけで、立秋からお盆の頃になると幾らか普段より敏感に感じ取られることが多くなるのではないか、という風に思っています。

 

まあ、こればかりは検証のしようもありませんし、あまり何とも言えませんけれど…(苦笑)

 


 

 

 

 

ということで、ともあれ去りゆく夏の名残として、水ナスの浅漬けと夏野菜カレーをどうぞ(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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