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『夢見月夜曲』は日高千湖のオリジナルBL小説ブログです。

さやさやと流るるが如く・53

 社長は昼になっても会社には顔を出さなかった。

社長に謝罪して退社の意思を撤回する気はないが、挨拶くらいはするつもりだった。正式に辞表も受け取ってもらわないと。

 良好な関係を築いていた部長や中谷さんとも何となく気まずくなって、俺は会社に居心地の悪さを感じるようになった。2人の慰留も聞かずに「謝らない」と言い張った俺だが、2人は"いつものとおり"を心掛けてくれていると思う。

社長の息子の暴力、その上、上司にまでパワハラを受けた、と労働基準監督署にでも駆け込まれれば大事になるからな。"腫れ物"になってしまった俺も「いつものとおり」でいるのが一番だ。

  
 昼休みにはクリニックへ行き、ガーゼを取り替えてもらった。昼飯はそのまま近くの定食屋に入って、焼き鯖定食を注文した。ぼんやりしながら定食を待っていると、「相席お願いします」と声を掛けられた。声につられて顔を上げると、見覚えのある丸い顔。

「あっ、北野さん」

「よう!いいか?ここ」

北野さんは愛想の良い笑顔で俺の前の席を指さした。

「どうぞ」

「サンキュー!永瀬がいたから並ばずにすんだよ」

暖簾の向こうには4、5人の行列が出来ていた。北野さんは丸い鼻に掻いた汗を拭きながら、「ラッキー」と言って俺の前の席に座った。

「暖簾の間から永瀬が見えたんだ。良かった!すみませーん!おばちゃん、俺は生姜焼き定食ね!飯は大で!」

俺もラッキーだと思った。江原社長の奥さんの件を聞けるからだ。北野さんなら何か知っているはずだ。

「今まで社長と一緒だったんですか?」

「えっ?なんで?」

「午前中、社長が来なかったんで営業さんと回ってるのかなと思ってました」

「違うよ。俺は一人で回ってました」

「そうですか。お疲れさまです」

「社長は江原さんの息子と明鷹を連れて、例の」

北野さんは周囲に気を遣ったのか声を落とし、前に座った俺の方に身体を乗り出すようにして言った。

「江原さんの奥さん、死んだと思っていたら、生きてたんだ」

「へえ!」

俺は初めて聞いたようなふりをした。

「一緒に樹海に入って行方不明で処理されてたんだ。でさ」

北野さんの声はますます小さくなる。店の喧騒に紛れて聴き取りにくくなり、俺も前のめりになった。

「川浪さんから聞いたんだけど・・・。奥さん、旦那が亡くなったと聞いても、全然、平気なんだってさ!」

「えっ?」

「全く驚かないし、泣きもしないし、神の下で幸せになりました、的な」

北野さんは両手を胸の前で組んで、天を見上げる。キリスト教の祈りのような恰好だ。

「へえ。そういう宗教なんですかね?」

「そういう宗教らしいです、多分」

「多分、って」

「俺もよくわからないよ。永瀬、何を頼んだんだ?」

北野さんはメニュー表を指さした。

「焼き鯖です」

「ここの焼き鯖、美味いよな。俺もそっちにすれば良かったな」

「取り替えませんよ。俺、口の中を切ってるから生姜焼きは勘弁してください」

俺は口元のガーゼを指さした。

「そうだったな」

北野さんの視線がガーゼから逸れた。俺の性癖を聞き、付き合いにくくなったかな?

「大丈夫か?」

視線を逸らしたままで聞き難そうに言われてもな。

「ええ。大騒ぎするほどの怪我ではないんですよ。でも一応、全治一週間です。社内での出来事ですからね。しかも殴ったのは社長の息子です。診断書を書いて頂きましたよ」

わざと、大袈裟に言い立てているのだとばかりに言った。いつもの北野さんなら、「よくやったぞ、永瀬」と言う所なんだが、北野さんはまた視線を逸らした。

あれ?おかしいな。

「そうか。怪我が大したことがなくて良かったよ」

「ありがとうございます」

真面目腐って「良かったよ」なんて・・・。何だろう。北野さんの態度から、俺の怪我に関して罪悪感というか、俺への引け目というか、そういうものを感じた。

変だな。調子が狂うというか、おかしな感じだ。

「お待たせしました!」

テーブルとテーブルの間を縫うようにして、愛嬌のないおばさんがトレーに載せた焼き鯖定食を運んできた。

「はい、お兄さん」

「ありがとうございます」

「伝票、ここに置きます」

「はい」

北野さんは焼き鯖定食を見て「美味そうだな」と一言言うと、バツが悪そうに視線を宙に浮かせた。

 北野さんの生姜焼きを待たずに、俺は箸を握った。ここの焼き鯖は臭みがなくて美味いのだ。

「お先にいただきます」

「どうぞ」

営業の北野さんは食事時間もまちまちで自由に取れるが、俺は1時間と決まっている。生姜焼き定食が運ばれてくるまで待ってはいられない。焼き鯖定食に付いている味噌汁の椀を持ち、ワカメと豆腐を少し冷まして口に入れた。

「あのさ」

「はい」

「明鷹は海外事業部に異動になるんだってさ」

「へえ」

異動は張本さんから聞いていたから驚きはしなかった。張本さんは明鷹ではなく俺を異動させたかったようだが、今回の件で本決まりのようだ。北野さんはますます声を潜めた。社の人間はこの店にはいない。意味があるのかな。

「ひょっとしたら、現地に転勤になるかもしれないってさ」

「へえ!急ですね」

明鷹を海外にやってしまうという手は、オトコと手を切らせるには都合がいい。社長が考えそうな案だな。

「急、というか。うちの会社も海外に工場が増えた。だが現地の様子に一番詳しいのは張本さんだ。現地スタッフが社長よりも張本さんを信頼しているから、社長としては面白くないんだよ。早めに明鷹を現地に送って、現地との繋がりを強固にしようって事なんだ。社長が考えそうな手だろう?」

「成程」

「明鷹を2、3年海外へやってしまえば、オトコと手を切らせる事が出来る。その上、張本さんの独壇場だったベトナムの実権も明鷹に握らせることが出来る」

「成程ね」

「でもさ、そう簡単にいくわけないって!苦労するぞ、明鷹」

北野さんはニヤリとしてみせた。営業部でも煙たがられているから仕方がない。

「若い頃の苦労は買ってでもしておけ、とか社長なら言いそうですしね。明鷹にそこまでの根気と根性があれば、ってことじゃないですか?」

北野さんは「あははっ」と声を立てて笑った。俺もそれに合わせて「あははっ」と笑う。

「あいつに根性?ない!ない!」

社長は頼りの綱の張本さんに逃げられるとは知らない。

 先に食い終わった俺は、伝票を取ろうと手を伸ばした。だが、北野さんに先に取られてしまった。

「あっ」

「永瀬、ここは俺が払うよ」

「いいですよ!」

「怪我したから、見舞い」

「えっ?見舞い?」

北野さんはニコッとして、俺の伝票と自分の伝票を重ねた。

「いいって!可愛い後輩だからな」

「・・・じゃあ、遠慮なく。ご馳走さまでした」

「おうっ!」

北野さんももうすぐ食べ終わるが、俺は先に席を立った。


「変なの」

北野さんは「結婚してから小遣いが減った」「タバコを止めればいいが、なかなか止められない」「禁煙外来も金が掛かる」、そう愚痴をこぼしていたはずなのに。

怪我をさせたのは下津浦で、北野さんではない。それなのに俺に見舞い?

何となく腑に落ちないまま、俺は社に戻った。俺はランチ一食分でも倹約したいから、ありがたいけどね。

 午後になっても社長は出社しなかった。社長と同行しているという川浪さんも、張本さんも戻って来ない。営業部で帰社した人は疎らだったが、俺は残業なしで退社することが出来た。

晩飯は何にしようか、と叶多にメッセージを送ったがまだ返事はない。

 電車の中でジャガイモ、ニンジン、玉ねぎで出来る料理を検索し、スパニッシュオムレツに決めた。レシピのページを叶多に送信し、『これでいいか?』と聞いたが返事はない。

卵とチーズを買い足し、マンションに戻った。  

*****

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