どうも。
東日本大震災から早8年半。
ちょっと思う事があったので思い出していました。
その頃私はどうだったか。
私が鬱病と診断されたのがここから約1年弱後。
あの震災が自分に関係あるのかどうか。
以下の文章は、東日本大震災で被災された方、或いは関係者にとってはとても不快になると思われますので、そのような方々は読まない方がいいかと思われます。
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東日本大震災、日本でも最悪の自然災害となりました。
今でこそ、私もお悔やみを出来るようになりました。
そう、今でこそ。
あの頃のは私は、鬱病の手前か、もうなっていたか。
その頃の心境は結構覚えています。
「もうどうなってもいい、世界なんかどうにでもなれ、日本なんか壊れてしまえ」
そう、破滅的でした。
既にその頃には、私は長時間労働が当たり前になっていて、徹夜なんて当たり前、ほぼ仕事の為に生きていて、自分はなんの為に生きているのか分からない、そんな状況でした。
基本給よりも深夜一時間働いたら千円と言う金額での残業代で、基本給を超えていました。
でも、働いてもお金を稼いでも、使う時間が無い。
何かに無駄に浪費してたような気もします。
もう、生きる意味が見いだせない状態でした。
夜中にバイクで一般道をあり得ない速度で走ったり、(帰宅時間がそもそも夜中だったりしたから)いつ事故で死んでも良いような感覚だったのは覚えています。
そんな嵐のような日々の中で、あの大震災が起きました。
初めに知ったのは会社です。
オフィスで作業中に、地震が起きました。
その頃私が居た会社は、幸か不幸か震源地からはそれなりに離れていたので、大きな地震だった、程度でした。でもまぁ揺れたけど、特に仕事に支障はないね、くらい。
で、そのしばらく後に地震の事を調べた同僚から、震源地と津波の動画を見せられました。
初めはどこかの録画か何かとも思いましたが、客先の東京の人たちが避難して連絡がつかない事を知らされました。
ちょうど私の客先も東京の方だったので、私の客先にも連絡が取れず、かといって納期自体は迫っていた為、何度か電話をした記憶があります。
で、結局は連絡はまた後日と言う事になって、その日は珍しく早く仕事が終わった(と言っても夜の21時くらい)だったと記憶しています。
その日はそのまま帰って寝たような、またはニュースを見たかどうかはもう覚えていません。
ただ、次の日のニュースだったか、どうだったか。
惨状のニュースを見ることになりました。
その時私が思ったことが、被災者にはとても不快でしょう。
「なんでここで起きなかったんだ、なんで東京直下じゃないんだ、全部潰れてしまえばいいのに。自分はいつ死んだっていいんだから、羨ましいな」
そんな事を思った記憶があります。
最悪です。
今思えばこの思考は最悪です。
でも、あの頃はそうでなかった。
破滅的な思考回路になっていました。
それから、東京の方がしばらく動けない、或いはその先の会社とも連絡がつかない、と言う事で、一週間ほどの間は早めに帰宅出来てたと記憶しています。
でも、すぐその後にはまた深夜までの残業続きの日々になりました。
ある日、東京に打ち合わせに行くことになりました。
その時行った東京駅は暗く、人がまばらだったような気がします。
そこでようやく、「ああ、本当に日本で起きてる災害なんだな」と思いました。
が、そこまでです。
結局は自分の仕事、そして震災の影響下で動くに動けなかった案件を間に合わせる為に、逆に前以上に仕事だらけの日々になった気もします。
だからか、これまた最悪な思考回路の状態です。
どこか、その震災を楽しんでいた自分が居ました。
「次はここで起きないかな、次は東京直下で起きないかな、もう日本なんて世界なんて滅茶苦茶になってくれればいいのに、津波でここら一帯も流されてしまえよ、自分も流されて良いのに、もう死にたいんだから」
そんな事を思いつつ、震災のニュースを見ていたような気がします。
被災された方々にとっては、思い出したくもない出来事かもしれません。
今でこそ、少しずつ痛ましい震災だと思えるようになってきた気もします。
私にとっては、最低な人生の途中だったから、思い出すのも面倒、とあまり直面してこなかった事実でもあります。
ただ、その後に、更に仕事のプレッシャーやら短納期やらが増えていき、最終的に病院送りになりましたけど。
あの震災を、それを自分の辛さを紛らわす為に、面白がって見ていた罰が当たったのかもしれないと思う今日この頃。
あの震災で自分は直接何かをした訳ではなく、募金もしたはしたんですが、思考的には最低な事を考えていた。
ある意味での贖罪です。
こんな事を書いても恨まれるだけかもしれませんが。
先述しましたが、ちょっと考える機会があった為、今ここで書かせて頂きました。
とても遅くなりましたが、被災された方、亡くなられた方々に哀悼の意を表します。
東日本大震災から早8年半。
ちょっと思う事があったので思い出していました。
その頃私はどうだったか。
私が鬱病と診断されたのがここから約1年弱後。
あの震災が自分に関係あるのかどうか。
以下の文章は、東日本大震災で被災された方、或いは関係者にとってはとても不快になると思われますので、そのような方々は読まない方がいいかと思われます。
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東日本大震災、日本でも最悪の自然災害となりました。
今でこそ、私もお悔やみを出来るようになりました。
そう、今でこそ。
あの頃のは私は、鬱病の手前か、もうなっていたか。
その頃の心境は結構覚えています。
「もうどうなってもいい、世界なんかどうにでもなれ、日本なんか壊れてしまえ」
そう、破滅的でした。
既にその頃には、私は長時間労働が当たり前になっていて、徹夜なんて当たり前、ほぼ仕事の為に生きていて、自分はなんの為に生きているのか分からない、そんな状況でした。
基本給よりも深夜一時間働いたら千円と言う金額での残業代で、基本給を超えていました。
でも、働いてもお金を稼いでも、使う時間が無い。
何かに無駄に浪費してたような気もします。
もう、生きる意味が見いだせない状態でした。
夜中にバイクで一般道をあり得ない速度で走ったり、(帰宅時間がそもそも夜中だったりしたから)いつ事故で死んでも良いような感覚だったのは覚えています。
そんな嵐のような日々の中で、あの大震災が起きました。
初めに知ったのは会社です。
オフィスで作業中に、地震が起きました。
その頃私が居た会社は、幸か不幸か震源地からはそれなりに離れていたので、大きな地震だった、程度でした。でもまぁ揺れたけど、特に仕事に支障はないね、くらい。
で、そのしばらく後に地震の事を調べた同僚から、震源地と津波の動画を見せられました。
初めはどこかの録画か何かとも思いましたが、客先の東京の人たちが避難して連絡がつかない事を知らされました。
ちょうど私の客先も東京の方だったので、私の客先にも連絡が取れず、かといって納期自体は迫っていた為、何度か電話をした記憶があります。
で、結局は連絡はまた後日と言う事になって、その日は珍しく早く仕事が終わった(と言っても夜の21時くらい)だったと記憶しています。
その日はそのまま帰って寝たような、またはニュースを見たかどうかはもう覚えていません。
ただ、次の日のニュースだったか、どうだったか。
惨状のニュースを見ることになりました。
その時私が思ったことが、被災者にはとても不快でしょう。
「なんでここで起きなかったんだ、なんで東京直下じゃないんだ、全部潰れてしまえばいいのに。自分はいつ死んだっていいんだから、羨ましいな」
そんな事を思った記憶があります。
最悪です。
今思えばこの思考は最悪です。
でも、あの頃はそうでなかった。
破滅的な思考回路になっていました。
それから、東京の方がしばらく動けない、或いはその先の会社とも連絡がつかない、と言う事で、一週間ほどの間は早めに帰宅出来てたと記憶しています。
でも、すぐその後にはまた深夜までの残業続きの日々になりました。
ある日、東京に打ち合わせに行くことになりました。
その時行った東京駅は暗く、人がまばらだったような気がします。
そこでようやく、「ああ、本当に日本で起きてる災害なんだな」と思いました。
が、そこまでです。
結局は自分の仕事、そして震災の影響下で動くに動けなかった案件を間に合わせる為に、逆に前以上に仕事だらけの日々になった気もします。
だからか、これまた最悪な思考回路の状態です。
どこか、その震災を楽しんでいた自分が居ました。
「次はここで起きないかな、次は東京直下で起きないかな、もう日本なんて世界なんて滅茶苦茶になってくれればいいのに、津波でここら一帯も流されてしまえよ、自分も流されて良いのに、もう死にたいんだから」
そんな事を思いつつ、震災のニュースを見ていたような気がします。
被災された方々にとっては、思い出したくもない出来事かもしれません。
今でこそ、少しずつ痛ましい震災だと思えるようになってきた気もします。
私にとっては、最低な人生の途中だったから、思い出すのも面倒、とあまり直面してこなかった事実でもあります。
ただ、その後に、更に仕事のプレッシャーやら短納期やらが増えていき、最終的に病院送りになりましたけど。
あの震災を、それを自分の辛さを紛らわす為に、面白がって見ていた罰が当たったのかもしれないと思う今日この頃。
あの震災で自分は直接何かをした訳ではなく、募金もしたはしたんですが、思考的には最低な事を考えていた。
ある意味での贖罪です。
こんな事を書いても恨まれるだけかもしれませんが。
先述しましたが、ちょっと考える機会があった為、今ここで書かせて頂きました。
とても遅くなりましたが、被災された方、亡くなられた方々に哀悼の意を表します。