「脳と講談と喋り」 | 福盛貴弘の脳炎日記

福盛貴弘の脳炎日記

日常生活で起きたことを素朴に書き記しています。
まずは、予告編2編をご覧ください。

講談師のような喋り方というのに、あこがれはある。

立て板に水ってのが、ふさわしい。

 

大阪弁で喋るのは、必ずしももっちゃりしたものではない。

漫才がそのイメージを払拭したが、講談の話し方は切れがある。

 

ただ、台本を覚えられない私には無理な技術。

リハビリで用いようとも思わなかった。

 

東京にいるから、上方講談を見る機会は少ない。

動画では可能だが、やはり生で見たいもので。

 

最後に見たのは5年前だった。

旭堂南青、今は旭堂南龍に改名している。

 

→ 「寄席と講談と次も」

 

ただ、この日は、その時に見た神田松之丞に魅了された。

今では、神田伯山としてすっかり売れっ子になってしまっているが。

 

彼を見ていて、講談の可能性や未来を感じることができた。

そう考えると、上方講談の方が笑いが入るし、まだ可能性はあると思うのだが。

 

さて、30日に旭堂南陵さんがお亡くなりに。

70歳か。自身の年齢も改めて感じてしまう。

 

元参院議員の旭堂南陵さん、膵臓がんで死去 70歳

 

上方講談の可能性って、ふわっと書いたけど、協会は分裂し過ぎ。

小さいところで何やってんねんとは思うが、それは私が言っても仕方ない。

 

小さいから揉めるのかもしれない。

些細なことを消し去るだけの大きなことがないからかも。

 

コロナ禍で寄席は厳しいやろうけど、上方講談という分野は生き残ってもらいたい。そして、今はひとまずご冥福を祈りいたします。

 

 

 

追記

上方講談協会は、現在は旭堂南左衛門一門のみ。

大阪講談協会は、上方講談協会が分裂して、4代目旭堂南陵一門が。

 

そして、大阪講談協会が分裂し、3代目旭堂南陵系は、なみはや講談協会を。

聞いてる側にはこだわりないんで、それぞれで維持してくれたらええけど。