1962年の話はまだ続く。
同じ時期の道頓堀角座とうめだ花月のポスターが並んでいたので。
まだ、吉本新喜劇という名称になっていない頃。
俗称としてはあったようだが、正式には1964年6月から。
この回の座長は、白羽大介。Wikiの歴代座長には載っていないけど、名前がトップだから間違いない。全く知らんけど。
2番手は花紀京。
まだ座長になる前だが、十分な人気と実力だったんだろう。
この年に笑いの王国が解散して、吉本に移籍。
翌年から座長に抜擢される。当時25歳か。
あとは、由利謙はあっちこっち丁稚に出てたから、かすかに記憶がある。
浜裕二は、のちのチャーリー浜だから分かる。
浜裕二は、花紀京と一緒に移籍したということか。
花紀京の弟子ではないけど、師事していたんだろう。
他は全く知らない芸人ばかり。名前すらといった状態。
かなり腕組みしてみたが、どうにもこうにも無理だった。
私は1970年生まれなんで、仕方ないこと。
今の学生に、90年代の話をしてもといったところか。
昔の資料を見て、記憶に引っかかるかどうかを試みるのも、脳の活性化にはつながる。眠っている記憶が甦るのは快感である。
だから、ある意味リハビリになっている。
そして、誰かが昔の芸人を思い出してあげないとという思いで、書いている。
その40につづく。