「寄席とポスターと昔」その39 1962年のうめだ花月 | 福盛貴弘の脳炎日記

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日常生活で起きたことを素朴に書き記しています。
まずは、予告編2編をご覧ください。

1962年の話はまだ続く。

同じ時期の道頓堀角座とうめだ花月のポスターが並んでいたので。

 

 

 

まだ、吉本新喜劇という名称になっていない頃。

俗称としてはあったようだが、正式には1964年6月から。

 

この回の座長は、白羽大介。Wikiの歴代座長には載っていないけど、名前がトップだから間違いない。全く知らんけど。

 

2番手は花紀京。

まだ座長になる前だが、十分な人気と実力だったんだろう。

 

この年に笑いの王国が解散して、吉本に移籍。

翌年から座長に抜擢される。当時25歳か。

 

あとは、由利謙はあっちこっち丁稚に出てたから、かすかに記憶がある。

浜裕二は、のちのチャーリー浜だから分かる。

 

浜裕二は、花紀京と一緒に移籍したということか。

花紀京の弟子ではないけど、師事していたんだろう。

 

他は全く知らない芸人ばかり。名前すらといった状態。

かなり腕組みしてみたが、どうにもこうにも無理だった。

 

私は1970年生まれなんで、仕方ないこと。

今の学生に、90年代の話をしてもといったところか。

 

昔の資料を見て、記憶に引っかかるかどうかを試みるのも、脳の活性化にはつながる。眠っている記憶が甦るのは快感である。

 

だから、ある意味リハビリになっている。

そして、誰かが昔の芸人を思い出してあげないとという思いで、書いている。

 

 

 

 

その40につづく。