「脳と新年と喪中」 | 福盛貴弘の脳炎日記

福盛貴弘の脳炎日記

日常生活で起きたことを素朴に書き記しています。
まずは、予告編2編をご覧ください。

親族がお亡くなりになった方からは年末に喪中のはがきが届く。

それはそれはと。

 

ただ、そんなことは気にせず、こちらは正月に年賀状を出す。

新年がめでたいから出すのではなく、年一の生存確認なので。

 

というか、喪中って、年賀状を差し控える以外で、喪に服してる人って、まだ結構いるんだろうか。どうも信用できない。

 

さすがに亡くなってしばらくは葬式でバタバタだから、分かる。

初七日、四十九日ぐらいはちゃんとやるんだろう。

 

一周忌は、もう気持ちは冷めているんではないだろうか。

そういう日だからという節目で、思い出しているだけで。

 

と、ものすごく冷めたことを書いているようだが、私の中で子どもの頃から今なお喪中というのが理解できないだけのことである。

 

だから、先日「今年は喪中なので年賀状が出せないんで」というメールが来て、そんなこと真剣に考えとるんや、アホやと思ってしまった。

 

おせちや注連縄や門松は今どきやってないところは多いだろうからいいとして、初詣も行かないんだろうか。子どもが七五三の年ならどうするんだろうか。

 

娘が結婚することが決まってたら、喪中だからやめなさいっていうのか。

知り合いの結婚式は、すべて欠席で連絡するんだろうか。

 

そこまでこだわっていないはずなのに、年賀状における喪中は維持されている。

身内が死にましたよっていう報告が主たる目的になっているからか。

 

変なところで古いしきたりにとらわれているよなと、つくづく思う。

そんなお前も年賀状なんてまだやってるんか、と若者に言われそうだが。

 

 

 

 

付記

私は喪中ではないけど、喪中であってもおせちは食べたい。

って、これは喪中と関係ないんか?