「あぶと100万と昭和」その1 | 福盛貴弘の脳炎日記

福盛貴弘の脳炎日記

日常生活で起きたことを素朴に書き記しています。
まずは、予告編2編をご覧ください。

あぶさんの初期の頃の考察。

考察といっても、お気楽に読んでもらえれば。

 

 

 

あぶさんの初年度の年俸は100万円。契約金は50万円。

南海ホークスに1973年入団なので、昭和48年。

 

昭和48年の企業物価指数は64.0で、平成30年は101.3。

101.3/64.0=1.58。この計算だと、現在では年報158万円。

 

昭和48年の消費者物価指数は39.6で、平成30年は101.7。

101.7/39.6=2.57。この計算だと、現在では年報257万円。

 

どっちにしても、安い。今は2軍選手でも、最低年俸は440万円。

育成選手なら240万円。ということは、今の育成並みの年報であった。

 

あぶさんの当時の住居は賃貸アパート。

コマによって畳の配置が違うので厄介だが、おそらく4畳半の1K風呂なし。

 

仮に158万の5分の1を家賃として、12か月で割ると約2万6千円。

これだと、1990年代の岡山の貸間より高い。倍以上である。

 

呑兵衛なので酒にかかる金額を考慮すれば、家賃は10分の1か。

そしたら、1万3千円。大阪という立地を考えて、このあたりが妥当なところか。

 

いや、その前は北大阪電機で、社会人野球をやっていた。

ただ、今の社会人野球は2軍の最低年俸と変わらない。

 

当時もそうであったか。当時のあぶさんに会社員が務まるとは思えないので、野球1本だろう。当時のサラリーマン月収は3~7万円ぐらい。

 

仮に5万円の10分の1なら、4畳半1K風呂なしで1か月5千円。

このあたりが妥当な推定のような気がする。

 

 

<参考資料>

昭和40年の1万円を、今のお金に換算するとどの位になりますか?

「今と昔の収入と家賃」のはなし

社会人野球選手の給料年収や手取り額、初任給を解説!

 

 

備考

「いや、~」からは、現在の額に換算した金額ではなく、当時の額のまま書いていますので、読みにくいかと思いますが、ご海容を。