「脳と回想と関目」その47 | 福盛貴弘の脳炎日記

福盛貴弘の脳炎日記

日常生活で起きたことを素朴に書き記しています。
まずは、予告編2編をご覧ください。

関目小学校の頃の話が続いてきたが、そろそろ学校を離れることにする。

ということで、小学校近辺の話をしていく。

 

 

 

 

学校近くに、小学校の頃の同級生の家が何軒かある。

残っている家もあれば、もうないんやなあという場所もある。

 

普通の一軒家の写真はまずいだろうけど、お店の形態なら商店街でも写してるし、概観ならと思っての1枚。まだ、やってるんだろうか。

 

 

 

 

一軒家も多かったが、長屋やアパートもあった。

風呂なしという家も結構残っていたので、銭湯は重宝された。

 

関目3丁目のパレス温泉はまだ残っているが、5丁目にあったパール温泉は跡形もない。むしろ、パレス温泉が残ってる方が奇跡的である。

 

→ 「街と最近と見ない」その4

 

兄弟でそれぞれの銭湯をやっていたと記憶している。

パール温泉があったあたりは、全てきれいな建物になっており、昔の面影はない。

 

正門を出て西にまっすぐ歩いていくと学童保育があったが、今はない。

鍵っ子の全員が行ってるわけではなかったが、放課後直行の子もいた。

 

 

※たぶんここに学童保育があった。玄関の上に「学童保育」と書かれたでっかい看板があった。

 

 

昭和50年代前半は、まだ学習塾が過熱していない。

放課後で校庭で遊ぶ時間にも限度があった。

 

友達の家といっても、毎日入り浸るわけにもいかないだろう。

どこかに居場所が必要というのは、今はよく分かる。

 

鍵っ子の全てが通ってたわけではないので、1人で好きにやってるのもいた。

小遣いで外食が当たり前になってるのもいて、そこだけうらやましかった。

 

まあそれはないものねだりであって、こっちは家でご飯が食べられるのだから。

ただ、駄菓子屋で使える金額が大きいのは、やはりうらやましかった。

 

 

 

 

 

 

 

その48につづく。

 

 

 

 

→ 「脳と回想と関目」その1

 

→ 「脳と回想と関目」その46