「オチとトリセツとホンマ」 | 福盛貴弘の脳炎日記

福盛貴弘の脳炎日記

日常生活で起きたことを素朴に書き記しています。
まずは、予告編2編をご覧ください。

関西人の取扱説明書「話し始めの『ちゃうねん』は否定しているわけではない」

 

まず個人的な見解だが、関西人というくくりを私は受け入れていない。

近畿周辺を一括りにした方がいい時に用いる便宜的な用語としては認めているが。

 

自身が関西人に属するかといえば属するんだろうけど自称する気はない。

そもそも元大阪人であり、現東京人なんで。

 

1.オチのない話はしてはいけない

 

頭からこれが来たか。オチがある話だけで日常生活が成り立つはずがない。

そして、オチをつけられる腕がある人は、世の中にほとんどいない。

 

大阪人の8割(本音は9割5分)以上は、面白いことが言えない人種である。

小中高の頃のクラスで面白い人の割合を考えれば、自明である。

 

自身が面白いと勘違いしている関西人は一定数いる。

そういうのに限って、拾う腕もないくせに他人にオチを要求している。

 

2.話は半分に聞いておく

 

そうか。これ関西人のステレオタイプなのか。

じゃあ、よかった。TPOによるけど。

 

3.「行けたら行くわ」は来ない

4.「考えとくわ」は考えない

5.「アホやな~」は悪口ではなく挨拶みたいなもの

 

全くもってその通り。

ただ、5は挨拶じゃなく、相槌だと思うが。

 

6.「知らんけど」は語尾に自動的についてくる。投げやりなわけではない。知らんけど。

 

「知らんけど」なんだが、比較的新しい用法じゃないかと思っている。

子供(昭和)のころには、この言い回しはなかったという記憶である。

 

最近の大阪を知らないので、いつ頃からか特定できないが。

ただ、私でも使えるので、きっとテレビで覚えたんだろう。

 

だから、自動的についてくるかどうかは判断基準になるかもしれない。

そして、投げやりというよりは軽いオチのつもりのように思える。おもんないけど。

 

7.話し始めの「ちゃうねん」は否定しているわけではない

8.救急車が来た時の「迎えにきたで」は恒例行事みたいなもの

 

7は使用語彙ではないが、理解語彙であり、そうだと思う。

8は最近使ってないが、使用語彙であり、意味がなくても定番の会話だと思う。

 

9.反応に困った時は「ほんまそれ」を使えば乗り切れる

10.生返事の「せやな」が返ってきたら話を聞いてないと思ってよい

 

共に使用語彙ではない。9は、適当や奴やなと思われ、乗り切れないと思う。10は、適当な奴なので、確かに聞いてないと思う。

 

 

 

残り10個あるんで、もう1回どっかでやることにする。