2021-08-01 08:16 | カテゴリ:YouTube
名所史跡巡り滋賀編最後はやっぱり国宝彦根城。
その前に長浜城と佐和山城もです。

長浜城は水城で全く残っていないので無名ですが、羽柴秀吉が初めて築城した出世城です。
佐和山城は鎌倉時代からの古いお城で石田三成が大改修をして近世城郭にしましたが、彦根藩主となった井伊家によって、彦根城が出来た時に徹底的に破壊されたので遺構はほとんど残っていません。

最初登った時はあまりに簡単に登れて「しょぼい山城だな」って思いましたが、当時は琵琶湖に面していた上にそれなりに高い山が石垣で覆われて「三成に過ぎたるものが二つあり 島の左近に佐和山の城」と称賛されていました。

観音寺城もですが、鎌倉時代からあるような古い縄張りの山城や城下町は戦国時代以降になると嫌われて廃城になり、新しい城や城下町を作る時に建築資材として建物が移築されるので、跡形もなくなってしまいます。

そうして建てられた彦根城は、周辺のあらゆるお城・仏閣等から建物が移築され、つぎはぎだらけの城となっており、しかも天守閣も小さいです。
しかしそれはわざとで、彦根城の天守閣は大津城からの移築ですが、江戸城の天守閣が五階だったのでそれよりも低くするために五階建てだった大津城天守閣を三階建てで移築しているのです。

天守閣の中は小さくて狭いので観光客でごった返します。
その上、「80度ぐらいあるんですけど・・・」って体感の崖のような急な階段(多分敵が攻めにくいようにわざと)で渋滞するので、行楽シーズンに行くとかなり混むと思います。

しかし姫路城と比べて天守閣がしょぼいからといって、彦根城を舐めてはいけません。
公儀御奉行3名が付けられ、7か国12大名に築城命令が下され19年掛けて作られた天下普請です。
その凄さは天守閣始め建物よりも石垣や琵琶湖の水を引いた堀等に現れています。



↓コメントはツイッターからどうぞ ※忙しいと申し訳ありませんが、コメント返信出来ない事があります。
ツイッターアイコン1

↓応援クリックをして頂けたら感謝です。


↓拍手には特に意味はないのですが、ブログ内容の良し悪しパロメータとして使っています(´・ω・`)
トラックバックURL
→https://shiodukeman.jp/tb.php/3154-9226fe91