はじめに

原因不明の体調不良が実は『機能性低血糖症』だった。ここに辿り着くまで、沢山時間を費やしました。
世間ではまだ広く認知されていないこの病気、少しでも多くの人がこの苦しみから抜け出せますように。
治療体験談です。

お願い

※このブログはあくまで個人的な治療体験にもとづき、低血糖症についての情報をまとめさせていただいたものです。症状や治療法に個人差があり、全ての人に当てはまるものではございません。主観的な意見も多く含まれますので、参考程度にご覧ください。

2013/04/21

最近おもうこと

ずっとブログをかけていません。
先ほど、タンブラーを更新して、こちらにも載せたいなと思ったので
同じ記事を貼付けますね。
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きっとよくなる。
治療を始めてから、二年半以上がすぎた。
本当によくなるのか、何回も思った。
一生こんな辛い状態なのか、絶望的になったりもした。
けれど、最近、本当の意味で身体が回復してきたと感じる日が多くなってきた。
あまり、突き詰めず上手く身体と付き合う方法もわかってきた。
だから、同じ思いを抱えてる皆様も、けして諦めないで。
きっとよくなる日がきます。
大丈夫。
栄養治療がきっかけで飲むようになったハーブティー。
アサイーマンゴーは私の味方。
ほっこりする時間。

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いまの思いです。
本当は書こうと思っている記事が沢山あります。
単純にひびの生活に追われて忙しいからというのもありますが、
辛い時期のこと治療中のことをひとつひとつ思い出すのは
パワーのいる作業で、そこまで余裕がないのが正直なところです。
本当はそのときのそのときを記事にしていけば、
そんな悩みもないのですが、いかんせん文章にするのに時間がかかるので。。
けれどいつになるか分かりませんが、治療のことまた記事にしたいと思っています。
それではまた。

2012/10/09

タンブラー始めました。

日々の食事のこと、体にいいことなど気軽に
書き留めるものが欲しくて、立ち上げました。

私自身が食事療法をストレスなく少しでも楽しんでできるように
独断で考えたメニューや、外食の工夫などなど…
あくまで、食事療法をしながらも食べることを楽しむための
趣味のブログとして書いてます。
治療ブログとは切り離して読んでいただければ幸いです。

他にも、生活を楽しくするものや、体に心地いいものも
アップ予定ですので良ければ遊びにきてください。
http://smile-island.tumblr.com/
※パスワードがかかっていたようなので解除しました。

2011/05/22

糖質制限 炭水化物について

この前テレビドラマJINで『脚気』の話がでていて驚いたことがあります。
今まで『脚気』というとあまり食事にありつけない貧乏な人がなる病気と勝手に
思い込んでいたのですが、そもそもは江戸時代に白米が流通しはじめた頃、
高い精白米が買える富裕層が白米に偏った生活をしていたことにより
起こった病気だったとか。
簡単にいうと白米に偏った生活でビタミンB1が不足して起こるらしいのですが、原因が分からない当時は命を奪う程の病気でありながら、
実は食事を改善すれば回復が可能であったというもので、
改めて食生活が身体に与える影響について考えさせられました。
当時高値だった白米を買える富裕層の人は当然食に困る生活をしていたわけでは
ないのに、毎日ちゃんとご飯を食べていても摂取の仕方ひとつで
食が死を招くというとても分かりやすい例だなと…。

さて前置きが長くなっちゃたんですが、低血糖症の改善にもまずは
白米食の生活をはじめとする炭水化物の摂取について見直す必要が
でてくるのですが、私が治療当初に混乱したのが
糖質制限、特に炭水化物の摂り方についてでした。

糖質制限と言われて、私の中では炭水化物も食べてはいけないのでは?
という印象が漠然としてありました。
その頃治療で食事を変えサプリを増やした時、目に見えて体重が増えました。
症例をみたり、低インシュリンダイエットとも通じる部分もあることから
通常は痩せる人が多いイメージがあったので、変に焦ってしまいました。
だからよけいに、良くなるためには糖質制限の徹底をして炭水化物も
なるべくやめないとという思いが出てしまったのです。

考えてみれば、私の場合治療前の食事の総量があきらかに少なく
運動もしていなかったので、急激に摂取量と栄養が増えれば
太るのも当たり前なのですが、焦る気持ちと治療をきちんとやらなければ
という思いから炭水化物自体を意識してさけるようになりました。
ご飯一杯あたりの量もかなり減らして食べていました。

それなのに、体調は良くなる気配もないし、むしろ悪化したような気もして
身体もやせない。。 頭の中には糖質制限て本当に効果があるの?…という
思いが浮かんでは消えていました。

そこで、診察の日に栄養士さんに炭水化物について聞いてみたところ
炭水化物は必要ですよと即答されました。栄養士さん曰く
人間が生きていくために必要な三大栄養素は
炭水化物 タンパク質 脂質
そのうち一日に必要な炭水化物の摂取量は全体の50%ですと。
ですから炭水化物はきちんととってくださいと。
大好きなジャガイモも摂取の仕方に気をつければ食べてもいいのだそう!
目からウロコ。
病院で糖質制限をすると聞き、ご飯をやめなければいけないと言われたり、
糖質制限の糖質とは単純に砂糖だけじゃなくて炭水化物もそうだと聞くと
炭水化物をやめなければと思ってしまっていました。
しかーし!ご飯=白米をやめましょう。という意味なんです。
白米を胚芽米にしてゆるやかに糖質もとりましょうということなんですね。

もちろん日頃からラーメンにご飯とかパスタにパンとか食べてる人は
見直す必要があると思いますけど。
糖質は脳や身体の機能にとって大切な栄養素である訳だから
糖質制限とは糖の摂取の仕方を見直すってことなのでしょう。
たとえば、朝はパン一枚だけとか炭水化物に偏った食事をしているけど、
摂取量は多くないひとは炭水化物の量はそのままに
他の栄養素を増やしてバランスをとったりすることが大事なので
単に糖質制限という言葉にまどわされないことかなと。

低血糖症の方の体験記で糖質制限をはじめて具合が悪くなったって人を
何人かブログ等で読んで、それで私も同じように
糖質制限に対する不信感をつのらせてしまったのですが、
もしかするとそれらの人は私と同じように間違って糖質(炭水化物)を断って
しまった人なんじゃないかしら。。
あとは急激に炭水化物の摂取量が減ると身体が対応しきれなくて
体調が悪くなる人がいるらしいのですがその辺は確信が
持てない情報なので参考まで。
ただ人によっては炭水化物をとっただけで症状が酷くでたり、
色々調べていると、そもそも、エネルギーの元になるブドウ糖は
タンパク質等からも作る事ができるので炭水化物を食べなくても大丈夫
という人もいたり…結局は自分の食事と症状のでかたをよく見ながら
糖質制限をしていくことなんでしょう。

今回言いたかったことは糖質制限とは炭水化物を全くとらない
ということではない!ということと、大切なのは食べ方を工夫して
血糖値の安定をはかることなんだということでした。

2011/04/27

治療記録 2ヶ月目

検査結果が出てからの治療記録を1ヶ月ごとに書いています。
それ以前の私の症状はこちらからどうぞ→私の症状
※個人の治療記録です。参考までにお読みください。 

症状
種類はそれほど変わりませんが、頻度は減ってきたように思います。
やはり活動量が多かったりすると症状が出てくる感じです。
(めまい、疲労、倦怠感、腰回りの重さ、目の霞、動悸、胸部痛、むくみ、軽い頭痛、身体のほてり発汗、体温の上下など)
後半は生理もあったせいか、目に見えてひどい症状がでました。
寝込む程の生理痛と酷い貧血。激しい頭痛。痛みや不快感をともなう倦怠感がずっとつづきました。これまで嘔吐を含む激しい頭痛は1日に集中して起きていたのですが、今回は3日くらい寝込み、その前後も具合が悪く、目眩、倦怠感などで何も出来ませんでした。
お腹は常にゆるく、下痢もしばしば。サプリの影響か胃腸の違和感や重さも感じるように。


治療薬/サプリ
吐き気の原因が医療処方の鉄剤にあるかもしれないとのことで、
サプリの鉄に切り替えました。(鉄の種類が違うそうです)
症状も思ったより改善しないため、鉄以外にも当初から勧められていた
サプリを全て服用することに。前回からのタンパク質(プロテイン)、
ビタミンBに加え鉄、カルシウム・マグネシウムをとることに。
合わせて、前回から飲んでいるビタミン剤2種と
下痢が続くため整腸剤を1種。正直摂取量の多さに不安が募りました。
いくら栄養剤とはいえ大丈夫なのかと…。
この頃同時に耳鼻科に掛かっていたため、合わせて大量の薬を
飲む事に抵抗がありました。
また先月摂取量を間違っていたこともあり、プロテインの量が増え、そのためか
膨満感やもたれる感じ胃が疲れている印象を受け、
サプリの効果にまだまだ不安がありました。

運動
前回と変わらず。ラジオ体操をしていました。少しずつではありますが、
ウォーキングの回数が増えてきました。


食事 
前の月の症状の出方から食事を徹底する気になりました。
とりあえず病院で指導されたことははじめてみることに。
まずご飯を玄米入りに。本当は消化の関係もあり胚芽米と指導されていたのですが違いを理解していなかったのと、やはり少し食事療法の意味を理解しきれていなかったので白米と半々にしてたべていました。
砂糖の摂取をやめること、カフェインの摂取をやめることなどを徹底していましたが外食はGI値の低いパスタなどを食べたりとまだ徹底までは言っていません。
(後に病院に聞いたところによれば、GI値だけにとらわれてパスタを食べるよりは副菜が多い定食でバランスよく食べご飯を半分残す方がよいといわれました。)

振り返ってみて
前の月に、徐々に自分の症状が食前や体力の消耗時に関わっていることを
なんとなく実感したことや、サプリでは急激な回復が見れなかった事から
この月から実際にサプリ、食事ともに治療を徹底しはじめます。
まず、仕事がないため自分でも平気だと思って週に2,3回は入れていた予定
(人とあったり、外出をしたりという体力を使うもの)を
週1回に。指導のとおり、夜は遊ばない、遠出はしない。
1日に予定を詰め込みすぎない。
食事の徹底(砂糖をとらない、カフェイン、アルコールは飲まない)等です。
自分で多少平気だろうと思う事は平気じゃないことにして
なるべく無理をしないようにしました。
そうするとやはり、どんな時に症状が出やすいかが見えてきました。

最初は3ヶ月ほど休んで薬とサプリを飲めばすぐ復活できると思っていました。
しかし緩やかにしか回復をみせず、そうかと思えば重度の症状がでたり
復帰のために何か勉強したり準備をしなくてはと気持ちだけがあせるのに
全然行動に移せず、全くやる気も出ませんでした。
自分でも復帰のめどが断たないことに少し焦りを感じていました。

冷静に症状だけをみつめると、抑えられているのですが、
(あくまで抑えられている感覚、治った感覚とは違ったので)
あまり元気な感じはしていません。まだこのころは体力がありません。
これを表現するとしたら、パワーが半減したというよりも
毎日200%の力で生きなければいけない感覚です。
分かりづらいかもしれないけれど、だからなんだか疲れがずっととれない感じ。
さらに少しずつ症状が安定する日に家にいたりすると
なぜ今まで仕事をしているときにもっと自分を顧みなかったんだろうと
言う気がしてきたり。ものすごく後悔の念に襲われそうになったり。
心に余裕ができた分、ここ数年の色んなことが見えてきてしまって…
そういう意味ではひどい症状の中で働いていた頃よりも一番しんどかったです。
(今振り返るとですが)

そんな事もあり、むやみに復帰を意識しないことや、
何もしないことに罪悪感を感じないこと、回復が遅くても焦らないように、
など、休養の仕方にも少しずつ変化が現れました。
親友には、自分の状況をきちんと話し、これから頻繁に会えない事や
制限が色々ある事を理解してもらう事もできました。

さすがに今回の生理はかなりつらく、ひどい貧血や生理痛、
薬の効かない激しい頭痛、長引く吐き気嘔吐の症状に
精神的にも参ってしまいましたが、生理以外の症状が
少し減ってきたことで、この辺はやはり低血糖症より
婦人科の領域かな…と思ったりしていました。
そして生理が終わった後、ふいにこのブログを書いてみようと思い始めたことで
回復の兆しがほんの少し見えたように思えました。
何しろ、この頃は体力がもたないので、
やらなければならない事以外やりたくなかったですから。

2011/03/19

Pray for Japan.

お久しぶりです。
地震から一週間、私の住む地域も大きな揺れを感じましたが
とくに目立った被害もなくこれまで通りの生活を送れています。

東北岩手は母の実家があり叔母が住んでいます。
岩手と宮城には思い出の場所が沢山あり、
今回の地震で被害にあった場所のいくつかもかつて訪れたことがあります。
幸い身内は無事でしたが、毎日テレビで被災地の状況を
目にするたびに、言葉にできない感情がうずまきます。

被災された皆様に心よりお見舞い申しあげます。
そして一人でも多くの方が助かることを祈っています。

持病を持つ方、体調が優れない方にとって
避難所での生活は本当に大変なことだと思います。
健康でいられることがどれだけありがたく素晴らしいことか
今回また思い知らされました。
少しずつまた更新をして行く予定です。

ブログには毎日全国から多くの方が訪れてくれるようになりましたが
その中には被害の大きかった地域の方もいらっしゃいました。
少しでも皆様が健康を取り戻すためのお役にたてるよう頑張ります。

Pray for Japan

2011/03/09

治療記録 1ヶ月目

検査結果が出てからの治療記録を1ヶ月ごとに書いています。
それ以前の私の症状はこちらからどうぞ→私の症状
※個人の治療記録です。参考までにお読みください。 

症状
検査の結果は無反応性低血糖症。検査基準にギリギリ引っかかる感じです。
血液検査では基準値を下回るものがちらほら。
めまい、疲労、倦怠感、腰回りの重さ、目の霞、動悸、胸部痛、むくみ、軽い頭痛、身体のほてり発汗、体温の上下などは相変わらず日常的に出たり治まったりを繰り返しました。
生理の症状は全身の倦怠感と吐き気、頭痛が期間中ずっと続くというものに変わってきました。重度のものが一日に集中するというよりも、それより軽いけれど辛さを伴うものが1〜2週間続く感じです。全身が気持ち悪いという感じ。
一時体調が安定していたように思えたのですが、
その頃にしたリンパマッサージで、目の霞や酷いめまいが
出るようになりそこからまた体調がくずれていきました。
その後は出かけた次の日は何も出来ない状態や寝込んでしまったり、
外出先でひどいめまいと動悸に見舞われたりして、
返って以前より症状を自覚するようになります。
また夏バテも手伝ってか下痢もしていました。


治療薬/サプリ
サプリは検査時に勧められていた2種に加えて、計4種類すすめられましたが
まだ栄養治療に対して少し不安があったので、その中でも重要とされる
2種のみを摂取しました。簡単にいうとタンパク質とビタミンBです。
残りは保険薬で鉄剤とビタミン剤を処方されました。
これといって症状は改善せず、むしろ吐き気が増したような気もしました。
1ヶ月後に気づいた事ですが指導された量をきちんと飲めていませんでした。
だいたい半分くらいの量です。計量ミスでした…。そうとは気が付かず、
それでもなかなかの量でサプリを飲みきるのがしんどかったです。

運動
ラジオ体操は一応続けられていました。
日光を浴びたいとの思いで、午前中に少しウォーキングをしたり
していましたが、やはり習慣と言えるほどではなく、月に数える程度でした。

食事
先月に引き続き、ある程度バランスを考えて自炊した物を食べている程度です。
加えて、多少指導された食品をとるようにしたり。
間食は、3時間ごとに、この時期ナッツ類をよく食べていました。
ただ胃腸虚弱の私には結構負担がかかっている印象がありました。
あとは豆乳をのんだり。出先では思うように間食もとれませんでした。
確実に一日の摂取量は増えています。
ただ徹底してはいないので気になりながらも出先ではコーヒーを飲んだり、
所かまわず、外食をしたり。やはり食事の持つ意味にまだ気づけていないのと
一緒にいるひとを巻き込んでまで、徹底できないという思いがありました。
かといって徹底しようともまだ思えていない時期で、
普通にアイスも食べていましたし、
出先で友人と一緒にデザートを食べたりもしていました。
頻繁に食べなければ大丈夫なんだろうと根拠もなく思っていたので…。
どこかでサプリが薬のように一番効果を出すと思っていたのかもしれません。

振り返ってみて
いよいよ、検査結果がでました。どうせ違うと半ばあきらめモードで
病院に向かっていたのですが、実際に低血糖症だと言われると、
思っていた以上にほっとしている自分がいました。
もう我慢しなくてよいという思いからか、それとも猛暑の厳しい夏だったからか
休んでいる割に元気にならないそんな感覚がありました。それどころか
前よりも症状を自覚したり、頻度が増したようにも感じていました。

ただ休みというゆったりとした流れの中で、症状が出たり出なかったりを
繰り返すことで、自分の些細な体調の変化に気づけるようになります。
こうして症状と向き合う事で、どういうときに症状がでやすいかということに
少しずつ気づけるようになったのです。

一日中遊んだあと、PCを長時間使用したあと、
興奮しておしゃべりをしすぎたあと、運動をしすぎたあと、
遠くまで出かけたあと、運転したあと、長湯のあと、夜遊びしたあと 等
通常より気力体力を使った日に症状がでること、逆に
全く何もしないことではじめて症状を抑えられていることに気づきました。
加えて、空腹が続いたとき、コーヒーを飲んだ日、アイスを食べた日 等
なんとなく、食事に関係して悪化しているような気がしてきたり。
もちろんこれとは関係なく元気だったり、具合が悪くなったりもするのですが
体力の温存の仕方や食事の取り方が思ったよりも大切なのではと
以前よりも自分の生活スタイルに絡めて感じられるようになったのです。
そこで、自分では大丈夫だと思った日でも、医師の指導のとおり、
夜は遊ばず早く寝ること、頻繁に予定を入れない事、糖質制限、
カフェインやアルコール制限を徹底する事にきめました。

振り返ってみるとこの頃は、いままで毎日仕事をしていたのだから
無理をしない程度に気分転換したり、リフレッシュしたりすることは
むしろ大切だと思っていたので割と予定もいれていました。
月の前半は病院の後、帰りに映画を見たりしていますし、思った程
規則正しい生活をしていません。もちろん身体は鉛のように重く、
非常に疲れ、めまいを伴っているのですが、
それが無理したせいだとは思っていない時期です。
エネルギーの消耗が血糖値に影響を与えていると分かっていない時期です。
この頃の行動を振り返るとまだまだ上手く休養できていなかったように思います。

病院で栄養士の方に、仕事をしている時などは身体が興奮状態にあるため、
休日にどっと症状がでると言われたときはとても納得しました。
免疫学の本にも過労死のメカニズムとして同じようなことが書いてありました。
人間は目の前にやらなくてはならない重要なことがあるときは
身体が不調に気づけないないような状態にするそうです。
休む前の私は馬車馬のように朝から晩まで時には休日まで働いて、
その合間に予定を詰め込んで…。
そんな生活から一転、休んだことと、昨年の猛暑も手伝ってか、
この頃の体調の悪化を招いたのでしょう。

本当に一度しっかり休むということが必要な状態だったのです。
仕事をするかしないかは本人次第、私は今でも仕事を続けながら
治療ができていたらどんなによかっただろうと思う事もありますし、
その段階で気づける事が一番だと思っています。
そんなわけで、治療を徹底しはじめた私の記録は次回になります。

2011/02/23

治療記録 検査結果がでるまで

治療記録として検査直前から治療開始以降のことを
1ヶ月ごとに書いていこうと思います。
それ以前の私の症状はこちらからどうぞ→私の症状
※個人の治療記録です。参考までにお読みください。


検査の数ヶ月前から自分なりに生活を見直してみたところ、
少し回復したように思えていましたが、
慢性的な症状はむしろ増え、日常生活に支障を来たすことも多かったため
自宅療養を決意し、休養と治療に専念することにしました。
月に数回寝込むほどの症状もまだ出ていました。


症状
月に1度〜数回やってくる寝込む程の頭痛、眼球の奥をつぶされるような痛み
吐き気、嘔吐の症状に加え、慢性的な症状としてめまい、疲労、倦怠感、腰回りの重さ、目の霞、動悸、胸部痛、むくみ、軽い頭痛、身体のほてり発汗、体温の上下などがでていました。
生理痛、月経前緊張症もありました。

頻度は数日症状が出たり、一日置きだったり、
一日の中で出たり消えたりその時によって色々です。
仕事を辞めてすぐ予定が立て込んだせいか、
体調不良になってからの数年間の中でも一番大きな頭痛(眼球痛も)と
嘔吐の症状がでました。あまりの酷さと、経験したことのない痛みに
救急車を呼んでほしいと思った程でした。
ただ症状を自覚しない日もあったり、
休んだことで多少よくなった気はするのですが、
スッキリとしない感覚がつづくというのが日々の状態でしょうか。
しかし検査で久しぶりに身体を追い込んだことで、また不調に逆戻り…。
また旅行など一日中予定があったりすると、必ず症状がでました。

治療薬/サプリ
検査の日に早速サプリを勧められました。
まだ結果をまっている段階のため、治療薬は保険の範囲で出してもらいました。
ビタミン剤が複数だったと思います。
これまで、色んな検査をしても異常がなかったので
どこかでどうせまた違うのだろうという気持ちでいました。
この薬が効いているという感覚はあまりありません。

運動
運動をしなければいけないことは頭では分かっていましたが、
なかなかできず、そこで私が始めたのがラジオ体操です。
学生の頃割と徹底して教えられたので、身体が自然に動きました。
時間も1回あたり3分だったので、これだけは毎日続けられました。
大体セットで第二体操まで行っていました。
ウォーキングや軽いジョギングはやる気が出たときや体調がいい時には、
はりきってやっていましたが、週に1回出来るかできないか
といったところでした。他にもダイエット用のエクササイズを
やる気のあるときは2週間程つづけてみたり。
体調に波があるため、出来たりできなかったりを繰り返し、
また運動で症状が悪化したりして、体調や体力が追いついていない状態でした。

食事
きちんと自炊したものを食べる。
それくらいしか意識せず、多少バランスに気をつけながら
普通に食べたいものをたべ、飲み暮らしていました。
検査の結果も出ていないし、食事療法の持つ意味も
それがもたらす効果もサプリ同様理解しきれていなかったため
甘いものもこれまで通り食べていました。
お酒もこの頃飲む機会があったのですが、少量でもやはり体調がすぐれず、
鼻血がでてしまったためその後の飲みは全てソフトドリンクとなりました。
結果を待つ間に書いた日記では『食事を気をつけるだけで、
本当に変わるのかな』と書いているくらいまだこの頃は半信半疑でした。



症状は寝込む日以外は割と耐えることができました。
楽観的にとらえ、何もでていないと元気になったような気がしていました。
この頃は家でじっとしていると返って自分の症状を自覚してしまうため
気を紛らわす意味でも外に出たり予定を入れようと思っていました。
症状がないのに、家で何もしないことのほうが私にはいけないことに感じたのです。

ただ誰かとの予定を入れた時に症状が出ては困るとの思いから
心のどこかで約束することが恐怖でした。虚弱体質の人生を歩んできたため
いつのまにか元気に振る舞う癖が無意識に出るようになっていました。
どんなに辛くても目の前に誰かがいる限り相手に気づかれないよう
無意識に元気ぶってしまうその行為にも疲れていたのでしょう。
ずっと原因がわからず、病気でないという思いがそうさせていたのかも。

今(治療7ヶ月)振り返ると思考回路はまるで停止していました。
頭の中でしなければならないことやした方がいいこと(趣味なども含め)は
分かっているのですが、身体がまったくついていかず、
何もしないことに罪悪感を感じる体力すら残っていませんでした。
義務以外のことはもう手につかないといった感じです。
自分の行動全てを無意識に義務にすることでやっと動けていたので、
楽しいはずの事もやらなければならないことになっていました。
もっとも数年の間に慢性的に症状が蓄積されたことで、
当時はそのことにも、ことの重大さにも気づいていなかったのですが、
本音は全て休みたい、休ませてほしいという感覚だったと今なら分かります。

当時は自分の状態に気づく体力もなかったので、
周りの人には軽いのりで、不調でちょっと休むけど平気〜
程度にしか言っていませんでした。
周りも夏でバテている程度の認識だったと思います。
これまでどれだけの症状がでていて、仕事を続けられない程
悪化していることを説明できませんでした。
自分が一番この状況を認めたくなかったし、
弱音を吐いたら立ち直れない気もしていたし、単純に
真正面から辛さを受け止めそれについて語れるほど強くなかったのです。