女陰の海食洞を抜けると子宮岩(西濱神社ひげその穴) | 次世代に遺したい自然や史跡

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毎年WEB初公開となる無名伝承地や史跡、マイナーな景勝・奇勝を発表。戦争遺跡や鉄道関連、坂本龍馬等の偉人のマイナー伝承地も。学芸員資格を持つ元高知新聞主管講座講師が解説。

<海食洞を抜ける胎内くぐり>

以前、女陰似の洞穴として淡路島の岩樟神社を紹介したが、同島の淡路市明神崎に鎮座する西濱神社の崖下にも、女陰似の隧道型海食洞「ひげその穴」があり、ここを潜り抜けて、子宮と見做される磐座のような岩陰に参る、変わった胎内くぐりがある。

明神崎は藩政時代前期までは離れ小島だったが、西濱神社は仁和4年(888)に創建された古社で、祭神である伊弉諾尊・伊弉冉尊の国土修理固成へ民族の御祖神としての御業を称して、古来より天地大明神と尊称されてきた。

 

 

ここの胎内くぐりは、女陰から子宮へと向かうことから、死と再生を意味しているのかも知れない。天照大神の天岩戸神話も同様である。伊弉諾尊・伊弉冉尊の国生み神話も関係しているものと思われる。

そのひげその穴は海面に近い場所にあることから、満潮寄りの時間帯は洞内に海水が流れ込んでいる可能性がある。

また、この近辺の海は美しく、南には「明神海水浴場」もあり、境内の一部はかつてキャンプ場だった。しかし、明神崎や西濱神社の案内板は一切ない。それでも目印になるものはある。

 

 

当方は前回紹介した「日洋堂のエッフェル塔」を見学後、県道46号を北西に進み、ミニ明石海峡大橋である「門口池大橋」に移動後、県道31号を北上したが、四国側から向かう際もほぼ同じルートで、淡路島中央スマートICを降りて、同様に県道46号を北西に進む。神戸側からの場合は、北淡ICで降りて、県道31号を南下した方が分かり易い。

県道46号経由で向かう場合は、「智禅寺1キロ」の標識が出ている三差路を左折し、その先の突き当りの三差路も左折すると、参拝客の車を誘導する道標が現れる。しかし大きい車両はその道標から直角に曲がるのがし辛いかも知れない。

県道31号を南下する場合は、「草香明神」バス停西方のY字路を右折して道なりに進めば、前述の道標が現れる。

ひげその穴への道標もないが、社殿への石段の西側を迂回する道を上って行くと三差路が現れるので、そこを左折する。道は海崖沿いにあり、地面の岩の割れ目等には、石橋や木橋が架けられている。

すぐ前方に1本の白骨樹が見えてくるが、その先に穴はある。因みにその木の上方には、インスタ映えしそうな白い木枠の展望台が設置されているが、そこへは、この海崖沿いの道を周回してから上られたい。

ひげその穴の入口を見ると、なるほどと思わせる女陰似。中に入って行ってもやはりその形だが、後ろを振り返ると、穴の形状や海蝕具合等が、以前紹介した南予地域のエンジェルロードの島の海食洞に似ている。

出口からは岩場をへつるように歩くが、よくこんな所に参拝道を造ったものだと感心させられる。すぐ右手に階段が現れるが、そこを上り切った所の岩の窪みが子宮を表す所で、供え物がある。ここに参拝すれば、子宝に恵まれるのであろう。

参拝道に戻ると波止に上がるが、そこには「荒波大神」と刻字された石柱と浮き彫りされた不動のような石仏がある。この石仏が荒波大神なのか、さきほどの子宮の岩がそうなのかは分からない。母なる子宮が海の荒波を静めてくれるのであろうか。

波止からは樹林帯に入るが、すぐ西濱神社の境内に戻るので、石段を上って参拝し、その後、裏手にある前述の展望台に向かう。ここにも一切道標はない。

 

岩場の上に白い木枠で作られた小さな展望台があり、海原を望見できる。ここはひげその穴の真上にあたる。

この下は海水浴場ではないものの、海はエメラルドグリーンで美しい。

 

この次は人工の隧道へと移動したが、その記事はまた。

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