辛辣なマスコミを見返してきた過去 | 次世代に遺したい自然や史跡

次世代に遺したい自然や史跡

毎年WEB初公開となる無名伝承地や史跡、マイナーな景勝・奇勝を発表。戦争遺跡や鉄道関連、坂本龍馬等の偉人のマイナー伝承地も。学芸員資格を持つ元高知新聞主管講座講師が解説。

<信念を貫き通せば伝わる>

先日、「自分はいつ死んでも可笑しくない」旨の記事を投稿したので、どうしても自分の経験から、伝えておきたいことを述べたい。尚、本記事は自慢を綴っているのではなく、世のため人のためになる、と思うことを信じて貫き通せば、その苦労は報われる、ということを言いたいのである。

 

当方とマスコミとの繋がりは’96年からだが、その自営業時代の’90年代は、マスコミとの関係は良好だった。’96年、高知のタウン誌「efje」に、誌上トレッキング講座とエッセイコーナーを月替わりで1年間連載。’98年には東京の出版社発行の「国際グラフ」にて、俳優、江藤潤氏と誌上対談を行った。これも自営業がらみである。

が、自営業をやめて「経営者」の肩書がなくなると、マスコミの対応は一変する。’99年、高知新聞企業(高知新聞社のグループ企業)出版部に「土佐のマイナー山PART1(後に『土佐の静寂峰』に改題)」の原案企画書『「高知県のマイナー山岳ガイドPART1」の企画出版提案書』を持参した際のこと。

 

 

電話で面談の約束をしていたにも拘わらず、先方は2回続けて当日ドタキャンをした挙句、別の社員が対応した。そこで言われたのは「著名な山岳会にも加入していない無名の者が書いた本を、誰が買いますか?」ということだった。つまり、本の内容以前の問題である。

が、翌年、別の出版社から「共同出版」という形で「土佐のマイナー山PART1」を出版すると、登山の全国誌4誌に掲載され、’03年には当方の活動が高知新聞に掲載された。

 

 

するとその記事を読んだ高知新聞企業主管の高知新聞文化教室のセンター長から連絡があり、登山講師を依頼された。4年かけて高知新聞企業を見返した訳だが、これは当方に「信念」があったからである。

高知新聞企業などは毎回、同じメジャー峰ばかり掲載された登山ガイドブックを出版しているが、それでは人気の山に登山者が偏り、登山過多となり、踏圧により、山の自然後退が起こる。

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それを防ぐ手段として、誰からも見向きもされなかったマイナー峰にスポットを当て、登山者の分散を図ると共に、消えかけていたマイナー峰の登山道を復活させる狙いがあった。この揺るぎない信念があったからこそ、新聞や登山雑誌で報道・掲載されたのである。

複数のテレビ局からも辛辣な言葉を吐かれたことがある。テレビ局関係者の何割かは、「全てのマスコミの中で一番権威のあるのはテレビ局である」という妄想を抱いている者がおり、高知県内のテレビ局関係者の中には、高知で一番歴史があり、最も多くの情報を有する高知新聞すら読まない者が多数いる。

 

 

 

 

 

そのため’00年代、当方のことを知る者もあまりいなかったのだが、’03年頃、当方が高知放送に対して、ある花の群落を発見し、それを撮影したビデオを活用して貰いたい旨、連絡すると「自治体や公的機関の関係者でもない一般人の言うことは信用できない」旨、言われた。かつての高知新聞企業と全く同じ対応である。

が、’07年、「四国の戦争遺跡ハイキング」と「四国の鉄道廃線ハイキング」を出版した際、前者時は高知放送の記者から取材依頼があり、後者時は、出版した旨をその記者に伝えると、やはり取材依頼があった。こちらも4年かけて高知放送を見返した。

この二種のガイドブックについても、市販本としては初公開となる、戦跡や廃線跡をいくつも紹介している。

 

 

最も辛辣な言葉を吐いたのは、以前も説明した’09年時のNHK高知放送局の品田公明副局長である。当時、「四国龍馬街道写真展・大豊町編」の後援を高知新聞や県内の各テレビ局に依頼していたのだが、唯一、断ってきたのがNHKだった。

その理由を関係部署の最高責任者に聞きたかったため、品田副局長と電話で話すと、耳を疑う言葉を吐かれた。「NHKを利用して、他のマスコミから後援を取るつもりだろう」と。

 

当時、既に当方は各自著の関連業界誌、四つの県の新聞に自著が取り上げられたり、報道されていた他、県庁でパネル展も開催していたため、一般のマスコミからは信用があり、NHKを利用するメリットはどこにもなかった。

当時、なぜNHKの副局長たる立場の者が、視聴者でもある者にこれほど下劣な態度を取ることができるのか、疑問に思っていたが、その後、NHKの幹部だからこそ、下劣な態度を取ったことを知る。

 

品田副局長は年齢的にNHKの海老沢勝二会長が権力を持っていた頃、役職を歴任していたことが推察されるが、海老沢勝二氏が会長だった頃、NHKの不祥事が噴出する。

海老沢会長の威光を背景に、’03年までは、警察とNHKの間で、互いに在職者から犯罪者が出ても公表しない、という密約的暗黙の了解があった。が、’04年、週刊誌がNHKの不祥事を暴露したことにより、密約は自然消滅する。以後、NHK関係者による過去の犯罪行為が次々に明らかになった。横領、窃盗、痴漢、レイプ、暴行、麻薬・覚醒剤使用等々。この犯罪件数は民放局を遥に上回っていたかも知れない。

 

 

あまり公にならなかった違法行為では、裏金の私的利用が挙げられる。NHKでは、領収証が貰えない取材対象等について、裏金を用意していたのだが、それを幹部らが私的に利用し、遊興やギャンブル、愛人等につぎ込んでいたのである。

品田副局長はそういう時代の幹部職員だったのである。視聴者等に対する企業人としてのマナーや常識が欠損しているのは当然と言える。彼自身、犯罪行為を行っていたか否かは、叩いた埃を見てないから分からない。

 

 

そんな県内の社会情勢等にも疎いNHKだったが、’10年、「四国龍馬街道写真展・東みよし町編」開催時、NHK徳島放送局から電話取材があった。東みよし町編は、形式的に主催は開催会場の企業であったから、当方は一切、マスコミに後援依頼はしていなかった。純粋にNHK徳島局が写真展の意義を認めた、ということである。

更に2019年、遂に品田元副局長を見返す時が来た。当方が企画・監修して全ての写真を提供した、龍馬の生まれたまち記念館でのコーナー展(ミニ企画展)が、NHK高知局の夕方のニュースで取り上げられたのである。しかも当方の名がテロップで出て、読み上げられた。

 

 

以上のように、たとえ不遇の時代があったとしても、世のため人のためになることを成し遂げようとする信念を持っていれば、必ず報われる。だから、皆さんも初志貫徹して戴きたい。

また、マスコミは常に謙虚な態度と心を持ち、地元県に取って大切なこととは何か、ということを考えて戴きたい。

自分も初心を貫きたい、という方は下のバナーを是非。

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