<「本当の」清少納言最期の地>
以前「関西・中四国のスゴイ天橋立風景色4選」の記事の中で、香川県さぬき市の亀鶴公園の堤を「桜の橋立」として紹介したが、東かがわ市にもご当地天橋立風景観の地がある。それがこの前紹介した「安戸(あど)城」が畔に建つ安戸池の堤防「安戸橋立」(仮称)である。
この池は湾が砂州によって外海から隔てられた潟湖だが、藩政期の絵図では河口のような状態で外海とは隔てられていない。現在、外海と池の間に水門が二ヶ所設置されている。
昭和3年、世界初、ハマチの養殖に成功し、以来、池は観光地となり、現在でもハマチの餌やり体験や釣り堀、レストラン、宿泊施設等があり、香川県民には親しまれている。
空撮写真では、外海と池を隔てる堤防が「安戸橋立」と呼ぶべき景観になっている。桜の橋立よりも距離は長い。堤防は北側が石積みで雰囲気があるが、3分の1ほどの南側はアスファルト舗装道路になっている。
池や外海で釣りをする者は南側の道路終点にある広場に駐車していると思うが、当方は安戸城南西の道路のカーブ部路肩に駐車し、そこから往復した。
堤防の上はいつでも通行できるが、堤防下の池側(ベンチが置かれている側)は、釣り人がいる時は立ち入らないよう、注意を促す看板がある。過去、釣り竿や釣り針が通行人に当たるアクシデントでもあったのであろうか。
橋立の北袂から海の磯を少し歩くと、超小さい海食洞門がある。写真(上の)手前の岩に開く二つの穴が繋がっているのである。
余談だが、安戸城の敷地の水路を挟んだ東側には「安戸清少納言宮」がある。清少納言は宮中で仕えていた中宮定子が亡くなると父、清原元輔と縁のある地、徳島県鳴門市里浦に向かった。
しかしそこで地元の漁師に金品を奪われた挙句、辱めを受け、海に身を投げてしまう。その後、里浦に墓所が設けられるが、安戸に伝わる伝説では、身を投げた後、気を失い、仮死状態のまま、東かがわ市引田の榿(はりのき)に流れ着き、地元民に助けられた、とされる。
里人の手厚い看病で一旦、気を取り戻した清少納言だったが、「あゝ、安堵した。」という言葉を最後に、息を引き取ってしまう。この清少納言の本当の墓所こそ、安戸清少納言宮である。最期の言葉「安堵」が転訛して「安戸」になったという。
悲しき運命の清少納言に心を馳せ、安戸橋立の景観を楽しんで戴きたい。
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