<市街地の海や大池に鳥居が>
以前、景観のいい地の海上(海中)にある愛媛県と広島県の鳥居を3ヶ所ずつ紹介したが、県庁のある市や工場や民家が密集している市の沖、住宅地や交通量の多い幹線道路に囲まれた大池の池上(水中)にも鳥居はあり、それらはまた違った雰囲気を醸している。
(1) 龍神社(愛媛県今治市)
前述の記事で、今治市大西町にある景観のいい方の龍神社の鳥居を紹介したが、今回は波止浜にある龍神社。こちらの方は神社の規模が大きい。
当社は塩田開発のための埋立てを神の加護をもって完遂せんと、天和3年(1683)、近江国から水の神、八大龍王を勧請した。現在の社名に改称されたのは明治6年である。
海上の鳥居はいつからあるのか不明。正確には海上ではなく、昭和34年まで操業していた塩田を取り囲んでいた堀の河口部だが。
堤防のすぐ側に建っているので、対岸から見ればいい。満潮時が適している。
駐車場は神社の無料駐車場を。但し、祭礼時を除く。
(2) 弁天社(山口市)
拙著「長州・龍馬脱藩道」や当ブログでも過去、取り上げたが、慶安4年(1651)、小郡の代官によって築造された周囲6キロに及ぶ溜池、長沢池には石造の弁天社、一の鳥居が建ち、点景となっている。
この鳥居、元々は池の西方にあった住吉神社のもの。明治42年、住吉神社が黒山八幡宮に合祀された時、弁天社の木造鳥居と取り替えられた。
尚、背後の対岸に見える朱塗りの鳥居は多分、長澤稲荷神社のものだったのではないかと思う(うろ覚え)。
駐車場所は覚えていないが、国道ではない方の岸等を探して戴きたい。
(3)御島神社(福岡市)
この海上鳥居は福岡市東区の博多湾内にありながらも、九州の海上鳥居の中ではマイナーな方。が、湾内の磯のような箇所に石造鳥居と石灯籠だけが建つこの神社は、日本書紀にも登場する歴史を有する。
西暦200年、神功皇后が三韓征伐に出陣するにあたり、この島で髪を海水に浸ける神事を行い、男の髪型であるミヅラを結い、群臣に出陣の決意を示したという。
これによって皇后は半分男になったことから、付近の海岸をかつて片男佐海岸と呼んでいた。
余談だが、神社の北方に架かる全長430mの「あいたか橋」は、海上の人道橋としては日本一の長さを誇る。
福岡という都市故、周辺に無料駐車場はない。当方はすぐ目の前のイオンモール香椎浜に、客の少ない時間帯、駐車し、後で1万円以上の買い物をした。
今後も各地の「海上」及び「天空」の鳥居記事を期待する、という方は下のバナーを是非。