戦艦大和の生残り兵基地・由良崎衛所の未探訪戦跡等 | 次世代に遺したい自然や史跡

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毎年WEB初公開となる無名伝承地や史跡、マイナーな景勝・奇勝を発表。戦争遺跡や鉄道関連、坂本龍馬等の偉人のマイナー伝承地も。学芸員資格を持つ元高知新聞主管講座講師が解説。

<貯水池施設にもGHQの爆破跡>

拙著の戦跡本等で取り上げた四国最大の海軍防備衛所(海防基地)、愛媛県愛南町由良岬(ゆらのはな)の由良崎防備衛所だが、以前も説明したように、’00年代の探訪当時、NHKや民放のビデオクラブに所属していたせいで、写真よりビデオを優先しており、横穴壕格納型砲台跡の写真は一枚も撮っていなかった。

それにより、砲台跡の記憶はほぼなくなっており、また、発電室から下方の貯水池関連施設跡も探訪することを忘れていたため、ずっと心残りだった。そこで今年春、15年ぶりに訪れた。が、登山口(下図)までの車でのアプローチの時間を見誤ったせいで、じっくり各戦争遺跡を観察する時間はなかった。やはり前夜泊すべきだった。

 

拙著やブログで説明したように、この基地には戦艦大和の生き残り兵の何割かが送り込まれていた。大和の撃沈は海軍のトップシークレットだったため、陸地からなら、到達するのに2時間半ほどもかかるこの基地なら、基地関係者以外の者に会うことはなく、もし米軍の艦隊が襲来すると、確実に玉砕する故、好都合だった。

各戦争遺跡の場所は愛南町史にコースマップ入りで記載されているが、最初に現われる砲台跡の位置は誤って記載されている。灯台手前の砲台跡は道の西側ではなく、東側である。

この探訪コースで最初に現われる目ぼしい戦争遺跡は、このマップには記載されていない機銃陣地(上の画像)。兵舎群のある三差路(踏み跡程度)のやや手前の山中(目線より下)だったと思うが、直径3mほどの擂鉢状の窪みがあり、北側に、横に少し掘った跡がある(画像上部)。この北側の箇所が銃弾置き場である。同様のものは過去、室戸の電探基地を紹介した記事でも取り上げた。

三差路から灯台までの道の東側には、記憶がやや曖昧だが、二基の横穴壕格納型砲台跡があったように思う。どちらも塹壕の奥に横穴壕がある。内、一基は塹壕の南側にコンクリートの防護壁が設置されてあった(上の画像)ように思う。二基共、終戦時、GHQが進駐してくる前に秘匿のため爆破しており、壕内に入ることはできない。

三差路西の道の北側には拙著で説明した大型兵舎跡の基礎、食糧庫、防空壕等がある。こちらの防空壕は奥まで入ることができる(下の画像)。

道の南側には外壁に迷彩色が残る兵舎と防護壁がある。こちらの兵舎は東側がGHQによって爆破されている。何か機械を設置していたのかも知れない。

そこから支尾根(山襞)を回り込んだ所の右手に、爆破されていない砲台跡の横穴壕(弾薬壕)がある。内部には木材が散乱しているが、これは落盤防止の木材を剥がしたものなのか。それとも大砲の台座関連のものか。

町史のマップにはここよりやや高い位置にも砲台跡が記されているが、トゲのある藪により、探訪は断念した。上着が破れることは必至。

この次の谷の下方に拙著で解説した、GHQによる爆破跡が残る発電室(下の画像)や揚水ポンプ室があるが、そこに下る道は谷を過ぎた後に現われる。入口にはマーキングテープが巻かれていたと思う。

涸れ沢の右岸(西岸)にまたマーキングテープがあり、この踏み跡を辿ると未探訪だった貯水池に到るが、自然の涸れ沢を更に深く掘った地にはかつて、揚水パイプが通っていた。

貯水池の手前の右手にまたGHQによって爆破された揚水ポンプ室程度の大きさのコンクリート構造物がある。ポンプだけならGHQは爆破しないので、ここには何らかの機械設備があったものと思われる。

貯水池は崖の端に堤防を造る形で建設され、西上にはコンクリート造りのポンプ室がある。

横道に戻ると道の終点にある聴音所へと向かう。防備衛所最大の施設で、地上部と半地下部があり、道は聴音所側面の地上部の入り口に繋がり、内部を通って直角に左折し、階段を下りて聴音所の正面の外側に出ることができる。

ここもGHQによって爆破されており、海側の部分は上部が庇のようになって残っている。’90年代に訪れた時は、この庇部分に腰掛けて弁当を食べた。眼前には豊後水道の絶景が広がっている。

この上方には、自然の石を外壁に張り付けて擬装した見張り所がある。ここより上部は、’90年代や’00年代半ばに訪れた時は踏み跡もなく、山の中腹まで、膝の箇所辺りまでの藪だったが、今は薄いものの、コースサインテープが付けられた踏み跡があるため、誰でも一等三角点の由良山(249.1m)に登ることができる。

由良山は四国の標高300m以下の山の中では、最も登頂に時間を要す山だが、直登するコースは、往路の由良神社手前の峠から尾根を上がるもの。ここに’00年代あった手製の道標はなくなっていた。

今まで何度か触れた、このコース随一の展望は三角点の東方にあるが、地形図で見るより、実際は遠く感じる。

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