裏見の滝の岩屋が崩落して普通の滝に(愛媛県・赤滝) | 次世代に遺したい自然や史跡

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毎年WEB初公開となる無名伝承地や史跡、マイナーな景勝・奇勝を発表。戦争遺跡や鉄道関連、坂本龍馬等の偉人のマイナー伝承地も。学芸員資格を持つ元高知新聞主管講座講師が解説。

<裏見でなくなっても見応えあり>

以前、四国の裏見の滝の探索を再開した旨、述べたが、それは新たに四つの裏見の滝を机上で見つけたため。内、二つの滝は当ブログで公開済で、先日、三番目の滝を探しに行ったのだが、驚くことに裏見の滝ではなくなっていたのである。恐らく、2018年7月の「あれ」による影響だろう。

 

その滝は愛媛県久万高原町柳井川鉢にある赤滝で別名を「裏見の滝」という。そのような滝など知らぬ、と言われるかも知れないが、平成13年度の自治体の広報紙に掲載されている。落差は30mほどで、写真を見ると滝の裏側が長い岩屋になっている。

自治体で教えられた、そこへ行くルートの起点は、鉢の松原集落の道路終点。終点のすぐ上で小径が三方向に分かれている(下の図)のだが、東に滝の上流の沢に向けて下る道がルートだと聞いた。因みにそのルートで沢まで下った場合、そのすぐ上流に無名の滝が懸かっている。

 

しかしこのルートが大きな間違いで、そのルート(沢の左岸を下る)は途中で道がなくなり、急勾配の植林帯の斜面を、腰で滑り落ちながら下って行った。

沢は下るに連れ、細くなり、自然の石で護岸されている。とても落差30mの滝があるとは思えない。

 

しばらく下ると木の間越しに下方が明るくなっているのが見えて来たので、てっきり水田でも広がっているものと思っていたら、そこは「空」だった。つまり、高さが何十メートルもの断崖絶壁になっていたのである。

 

写真では瀑布の迫力が伝わらないと思うが、その天辺には勇壮な二段になって落下する赤滝が懸っていた。しかし広報紙の写真とはまるで違う。裏見部の岩屋がないのである。

が、広報紙には、旧柳谷村の滝は無名の滝まで全て掲載されていたから、この沢に広報紙に未掲載の滝がある訳がない。そこで特徴的な二段目の滝が懸かる岩盤をよく観察すると、独特な雷状の筋が広報紙の写真と一致する。まぎれもなく、これは赤滝である。

 

この謎はすぐ解けた。一段目の滝が落下している地面には、上面が平らな巨大な岩が「剥がれ落ちている」かのようにあり、更に下流にも何十トンもの「落下した」と思われる岩石があり、周囲には倒木群を巻き込んだ土石流の跡があった。

その倒木群にあまり古さを感じないことから、これは恐らく2018年7月の西日本豪雨によるものだろう。元々、滝の懸る岩盤は剥離を起こし易い地質であったことから、岩屋全体が豪雨によって剥がれ落ちたのであろう。

 

一段目の滝は二条に分かれて落下しており、その間の落下地点に行くことができる。裏見はできないものの、自分の両側に落下する滝の水飛沫は、夏場(9月上旬も)は心地良い。

一段目の滝壺はなく、二段目もなかったか、あっても猫の額より狭かった記憶がある。

 

この滝の横辺りはかすかに踏み跡があったため、少し下って行くと明瞭になった。が、尾根の幅が広がった箇所ではまた不明瞭になり、また尾根幅が狭まるとルートは尾根上を下っているように見えた。

 

この滝の正しい探訪ルートは、国道33号の柳谷洞門と洞門大師との間から沢の左岸の尾根を登って行くものではあるまいか。

帰路はもう左岸の急勾配斜面をよじ登るのはご免こうむりたいため、他のルートを探していると、滝のすぐ上流で右岸に徒渉する飛び石を見つけた(下の写真)。

これを辿ると尾根に乗ったが、これもかなりの急傾斜。その内、明瞭な踏み跡に変わったが、上方でまた不明瞭になったので、適当に斜面を北西に上がって行き、往路起点の下方の私道へ出た。

 

位置関係からすると、下って赤滝を探訪する場合、往路の沢に到るまでの区間で、沢の右岸寄りの斜面(下方で明瞭な尾根になる)に下るルートがあるのではないかと思う。その正規ルートを下った場合、滝までは20数分ほどで行けるのではあるまいか。

滝のある地点は高度計高度で370m前後だから、下って探訪する利点はあまりない。帰路のことを考えると、国道から上って探訪した方がはるかに楽である。

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