しまなみ海道・八幡山の絶景は、今は昔 | 次世代に遺したい自然や史跡

次世代に遺したい自然や史跡

毎年WEB初公開となる無名伝承地や史跡、マイナーな景勝・奇勝を発表。戦争遺跡や鉄道関連、坂本龍馬等の偉人のマイナー伝承地も。学芸員資格を持つ元高知新聞主管講座講師が解説。

<登山道は踏み跡として残存しているが>

コロナ時代、登山界は当方が20年以上前に提唱したマイナー峰時代が到来しつつあるかも知れない。自然後退が進むメジャー峰を登るより、入山者が殆どいないマイナー峰に登れば、踏圧による自然後退も起こり難いし、消えかけていた踏み跡も復活し、地域活性にも一役買う、ということである。当然マイナー峰なら「密」とは無縁。

 

そんなマイナー峰の中には、昭和期はメジャー峰だったにも拘らず、平成以降、マイナー峰となり、入山者が消えた山も少なくない。その一つが、愛媛県今治市のしまなみ海道が通る大島にある八幡山(215m)である。

この山は昭和19年11月7日に名勝指定を受けた。それは当時、山頂や南のピーク等から大パノラマを望むことができ、燧灘、伊予灘、斎灘から中国本土、伯耆大山等を一望にできる絶景を誇っていたからである。

 

しかしそれも今は昔、この山は「日本遺産・村上海賊」の公式サイトには取り上げられているものの、実際には完全に忘れ去られ、役場に登山コースを照会しても「今は道がなく、登れない」と言われるそうである。

確かに一般観光客が登れるようなコースはない。しかしかつての主要コースが踏み跡として現存しており、ヤブもないため、登山やハイキング経験者なら労することなく、短時間で登頂することができる。

 

登山口は藤崎古墳(上の写真)上り口でもある。伯方警察署八幡駐在所の南方に大きな古墳の案内板が建っている。当方は駐在所向かいの今治市役所吉海支所の駐車場に駐車した。

案内板の建つ小径を東進し、南北に走る車道に出ると一旦北に折れた後、すぐ右手に現れる標べ石からコンクリート歩道を登る。このコースは大島の地四国(ミニ四国霊場)の参拝道でもある。

 

67番・紫雲庵の背後にある丘が直径30mの円墳、藤崎古墳である。羨道口は開口しているものの、小さく柵もある。ここからの景色が本コース一番の展望であるが、標高は僅か20m超。

 

このすぐ上でまた南北に走る車道に出るが、一旦南に折れた後、すぐ東に延びる農道に入る。ここの三差路の南には66番・供養堂がある。

 

途中の分岐は無視して、この農道を真っ直ぐ行った終点が本当の八幡山登山口(上の図)である。ここまで軽四なら来ることができるが、対向車が来ると進退窮まるから徒歩で登った方が良い。

一見すると踏み跡はないように思えるが、最初の内はコースサインテープが付けられている。段になったような所に上がると、北側に明瞭な踏み跡があるが、それは本来のコースではない。最短ルートは直進する。すると本来の踏み跡が現れる。

 

この踏み跡はかなり大きくジグザグを繰り返し、山頂の西側から北東に伸びる尾根に出る。

山頂は往路に於いては比定し辛いが、左手側に回り込みように稜線に登った、その辺りではあるまいか。山頂たる風情も展望も皆無。

稜線を南西のピークまで進むと、そこは広場のようになっており、四等三角点に似た基準点若しくは境界標が設置されている。ここは山頂よりも頭上一面が開けているため明るく、マイナー峰の山頂たる風情がある。当然展望はなし。

 

稜線には所々ヤマツツジかオンツツジが咲いているから、登るなら4月下旬から5月上旬がいいかも知れない。

この日、本来、館山に登るはずだったが、曇天だったため、マイナー峰の八幡山に当日、変更した。

山屋ではなくなり、体型的にも登山に不適となった当方は現在、積極的にマイナー峰を開拓することは殆どないが、時代がマイナー峰を求めるのであれば、また新規開拓を行うかも知れない。

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