《早明浦ダムによって役目を終えた旧県道6号》
以前、「伊予の青の洞門」を取り上げたが、本家の青の洞門は、旅行マニアなら全員周知の大分県にある耶馬渓の核心部「本耶馬溪」エリアの岩盤を貫通する手掘りの隧道群。
享保20年(1735年)から掘り進め、全長144mの隧道群と全長342mの道の内、第1期工事分を寛延3年(1750)に竣工させた。日本初の有料道でもある。
その後明治末に大部分の道と隧道の拡張工事が行われ、車も通れるようになった。
それでも山国川を挟んだ対岸から望むと、競秀峰裾野の岩盤を刳り貫いた隧道群は、圧倒的な存在感がある。
青の洞門(下の写真)や伊予の青の洞門のように、手掘り隧道が連続している所は稀にしかないが、単独の素掘り隧道の中には、外観が青の洞門に似たものが各地にある。
東光森山や大座礼山に登ったことのある高知県在住登山者なら、大川村の県道6号の大北川を挟んだ対岸に、狭い道路といくつかの素掘り隧道を目にしたことがあるだろう。
それは早明浦ダムが完成する昭和48年まで利用されていた旧県道6号とそのトンネルである。これらの隧道も青の洞門のように、大北川沿いの絶壁上に造成されており、隧道の川側の壁面の厚みがあまりないため、藩政期のようにノミで掘り進めたのではないかと錯覚してしまう。
しかしこれらの隧道は大正期に造られているため、ダイナマイトを使用している。
隧道から延びる旧県道が現行の県道と接続されていない所もあるが、当方は翁の滝の探訪後に寄ったため、時間がなく、黒沼田橋北袂の側にある大北川隧道しか探訪していない。
黒沼田橋の中ほどから大北川隧道の側面を望むと、青の洞門よりも遙かに高さのある岸の絶壁の岩盤を貫通しており、見応えはある。
隧道の東口は普通のやや四角い穴なのだが、通り抜けてから後ろを振り返ると、西口から西の頭上の岩盤が、まるで鍾乳洞のカーテン等の鍾乳石を彷彿させる。川側の壁面も非常に薄く見え、恰も皮一枚で繋がっているかのよう。
西方の旧県道がどのようになっていたのかは記憶が定かではないが、もしかしたら道路が川に入っていっていたかも知れない。いや、それより上にも道があったか・・・?
川沿いにある複数の連続する素掘り隧道と言えば、以前フォートラベルに投稿して紹介した愛媛県西条市の三碧峡側の隧道も趣がある。→投稿記事
余談だが来月以降、九州の廃トンネル内を観光施設にしたある所へ行くかも知れない。
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