巨人の椅子と海に浮かぶ椅子(福岡県豊前市と芦屋町) | 次世代に遺したい自然や史跡

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毎年WEB初公開となる無名伝承地や史跡、マイナーな景勝・奇勝を発表。戦争遺跡や鉄道関連、坂本龍馬等の偉人のマイナー伝承地も。学芸員資格を持つ元高知新聞主管講座講師が解説。

《座れる高さ6mの椅子と座れない海面の椅子》

福岡県豊前市下河内の高台に2017年3月、突如現れた高さ6mもの「巨人の椅子」は地元マスコミにも取り上げられ、人気スポットになっている。

一方、「海に浮かぶ椅子」は、当方が勝手に名付けた呼称で、その光景は芦屋町の二つ連なる陸繋島の一つ、堂山西の千畳敷に満潮寄りの時間帯に現れる。

「巨大な椅子」とも呼称される「巨人の椅子」は、地元のNPO「森の学校」の理事長が地域の各種工事で廃材となった桧を使って2週間かけて製作したもので、幅は3mにも及ぶ。

しかも驚くことにこの椅子、実際に上れて座れるのである。脚の部分に電柱の足掛けのような杭が打たれており、電柱作業員のように上ることができる。それ故、SNSで爆発的人気となった。

当方が訪れた時はアジア系の外人の家族が来ており、妻が上り、夫が下で写真を撮っていた。高台だから展望も良い。

来訪記念に、「森の学校」のロゴが入った木製タグも無人販売所に置かれている。かつて100円で「販売」されていたが、現在、値段表記はなく、任意の額を「寄付」という体裁になっている。

それは「巨人のテーブル」製作資金の足しにするため。しかしこの椅子に見合うテーブルとなると、一体どれだけの大きさになるのか想像もつかない。

 

芦屋町の「海に浮かぶ椅子」が西側にある堂山(下方の画像)は、もう一つの島、洞山と合わせて「洞山」或いは「洞山島」と総称されることから、地図には「洞山」として載っている。

 

堂山西から洞山の北にかけて広大な平たい磯、千畳敷があるのだが、満潮が近づくとその7割位が水没し、薄い水の膜が張ったような景観になる。その中に木製の椅子のようなものが三基あり、海に浮かんでいるように見えるのである。

形状は昭和中期まで小学校等で使用されていた木製椅子の、背もたれ部分が外されたような状態。何に使用されているのか、干潮時はどんな状態になっているのか等は不明。

潮位にもよるが、大体満潮時刻の1~2時間位前か後に行くと、この椅子のような木造物が海に浮かんでいるように見える。但し、その椅子の付近は波が寄せているため、立入禁止ロープが張られており、座ることはできない。それでもフォトジェニックな写真は撮れる。

因みに堂山の先にある洞山は、満潮時以外は堂山と陸続きになるため、渡ることができる。そこには神功皇后が矢で開けた穴が広がったという巨大な海食洞門が開口している。高さ10m、幅12m、奥行30mの規模である。

更に島の突端部の斜面には、昭和10年に建てられた陸軍省の要塞地帯標が残っている。この一帯は下関要塞の「要塞地帯」だったのである。これも立派な戦争遺跡である。

尚、洞門の上部には登らない方が良い。それはその尾根のどこかに平家の武将の墓があるようで、登ると祟りによって転落させられると言われているからである。

 

豊前市は大分県寄り、芦屋町は北九州市の西隣と、やや離れているが、東九州自動車道を利用すれば造作ない。また、それぞれJR列車とバスを乗り継いで訪れることもできる。「巨人の椅子」の最寄りバス停は「合岩中学校入口」、「海に浮かぶ椅子」のバス停は「洞山入口」。

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