大分・熊本・長崎県は龍馬街道の協議会を設置すべき | 次世代に遺したい自然や史跡

次世代に遺したい自然や史跡

毎年WEB初公開となる無名伝承地や史跡、マイナーな景勝・奇勝を発表。戦争遺跡や鉄道関連、坂本龍馬等の偉人のマイナー伝承地も。学芸員資格を持つ元高知新聞主管講座講師が解説。

《関往還、豊後街道他》

再び来年2月、龍馬の生まれたまち記念館で当方の企画によるコーナー展(ミニ企画展)が開催予定なので、坂本龍馬関連記事を投稿したい。

 

もう3ヶ月位前になると思うが、陸軍豊予要塞跡について、これまで愛媛県側の戦争遺跡しか探訪していなかったので、愛媛よりも規模が大きい戦跡がある大分県側の要塞関連施設跡(一部のみ)を巡っていた時のこと。

大分市の佐賀関地区のある施設跡へ徒歩で向かっていた際、目的地(下の写真)のすぐ手前のY字路に手書きの「龍馬街道」という道標が設置されていた。

 

佐賀関で龍馬が歩いた街道と言えば、元治元年(龍馬が脱藩してから2年後)2月、勝海舟が長崎出張の命を受け、龍馬も同行して熊本城下を経て行った際のルートの一部である。大分市内で龍馬や海舟が宿泊した施設等と合わせてこのことは、「海舟日記」にも記載されている。

この時、龍馬らが歩いた街道は、佐賀関から鶴崎までは「関往還」(伊予街道)、鶴崎から熊本城下までは豊後街道(大分県での呼称は「肥後街道」)。長崎県内の街道名も以前、調べていたが、探訪することはないだろうと思っていたこともあり、資料が散逸している。

 

このうち、関往還と大分市内の肥後街道については、地元で近年、「海舟・龍馬思索の道」という別称を付け、三つの地区に分けて現地ガイドが案内する等している。

ただ、残念なことに一般に配布している資料はA3サイズのリーフレットのみで、コース図も記載されていない。これでは一般の者は、個人で歩こうと思っても歩けない。

 

一方、龍馬や海舟とは関係なく、何年か前、豊後街道に関する協議会的ものが設けられ、広報活動を行ってきた。大分と熊本県の全ての関連自治体が参加しているが、高知県の土佐北街道の協議会のように、開店休業状態のようにも見える。

大河の龍馬伝放送時は、旅行関連機関が「坂本龍馬と勝海舟が通った九州横断の旅」と称して、佐賀関から長崎市までの大まかなルート図を載せたパンフレットを作成していた。

 

しかしこれでも当方から言わせると不十分。理想は「龍馬・脱藩ゆかりの道」のような、街道が通る全ての市町村による協議会を発足させ、詳細なコース図や周辺の観光地、アプローチに車を利用した際の回遊コース等を載せた冊子を作成すべき。そこまでしないと一般の者は街道を歩こうとは思わない。

要は、関連自治体、そして担当者がどれだけ「本気」になるか、である。冊子を作り、後は各地区のボランティアに任せていたらいい等という甘い考えでは、絶対成功しない。

 

実際に各自治体の担当者が受け持ちの区間を歩き、探訪者にとって何が必要なのか、ということを肌で感じ取る必要がある。

是非、大分、熊本、長崎県の各自治体は「本気」で、龍馬街道による活性化・振興を目指して貰いたい。

詳細な冊子ができれば街道を旅してみたい、という方は次のバナーを是非。

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