徳島県の新旧エンジェルロード(現行は三ツ島) | 次世代に遺したい自然や史跡

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毎年WEB初公開となる無名伝承地や史跡、マイナーな景勝・奇勝を発表。戦争遺跡や鉄道関連、坂本龍馬等の偉人のマイナー伝承地も。学芸員資格を持つ元高知新聞主管講座講師が解説。

<松ヶ磯は消滅したため、二子島東の三ツ島に>

徳島県は四国で一番エンジェルロード(トンボロ地形の海割れ道)が少ない県で、何年か前までは「四国八十八景」(四国地方整備局が選定)の一つ、牟岐町松ヶ磯エンジェルロードが有名(徳島県下に於いて)だった。磯(外観は小島のよう)の中腹に建つ、沖島神社の鳥居も点景になっていた。

 

しかしこのエンジェルロードの両側からは波が打ち寄せているため、幾度となく襲来する台風によって海底の砂が流出して水深が深くなり、たとえ潮位が0センチであっても、陸続きにならないようになった。ウェーダーを着用して海底を歩こうとしても流される危険性がある。

そこでお勧めなのが、牟岐町に隣接する海陽町那佐湾の最奥にある三ツ島エンジェルロード(上の写真)である。元亀2年(1571)春、那佐湾近隣に在住していた安芸国虎の旧臣らの陰謀により、海部城主、海部越前守宗寿(むねとし)によって殺害された長宗我部元親の末弟、島弥九郎を祭る祠があった二子(ふたご)島のすぐ東にある無名の小島が三ツ島である。

「二子島」の名称は、二つの島が並んでいるように見えることから名付けられたことが推測されるが、「三ツ島」は双子の他に一人合わせた「三つ子」の意味合いがあるものと思われる。

尚、グーグルマップや住宅地図等では、三ツ島の箇所に「二子島」表示がある。

三ツ島エンジェルロードは松ヶ磯エンジェルロード(上の写真とその上の写真及び下の地図)よりやや距離が短いものの、すぐ沖に二子島があることから、景観的には高知市の玉島と衣ヶ島エンジェルロードに似ている。

 

場所は国道55号沿いだから分かり易い。現地に「島弥九郎事件跡」看板も建っており、その側に車二台分位のスペースもある。

看板の近くからも浜に降りられるが、堤防の外側の歩道を少し南に進んだ所からの階段の方が下り易い。

 

水深は衣ヶ島エンジェルロードよりは深いが、先日(9月中旬)、干潮時の潮位が32cmの日、干潮時刻を1時間以上過ぎてもエンジェルロードはまだ出ていた。

ところでエンジェルロード探訪に適した時期があるのをご存知だろうか。それは4~8月。この時期、日中の干潮時の潮位が低くなる。逆に9~3月は夜間の干潮時の潮位が低くなる。

 

故に滅多に陸続きにならない宿毛市咸陽島エンジェルロード等は4~8月でないと渡れない(夜間は危険故)。三ツ島エンジェルロードは秋でも現れると思うが、当該月の潮位表を見て、なるだけ潮位が低い日を選んだ方が無難。

三ツ島は一周するのは厳しいが、南側からなら島の東端へ行くことができ、二子島を望むことができる(上の写真)。

「島弥九郎事件跡」看板の横には、乳ノ崎狼煙(烽火)跡の看板も建っているが、岬の尾根に登るには、堤防の外側の歩道を一部ヤブ漕ぎしながら岬の山際まで行き、少し南に下った後、北東に上がる歩道を進む。

 

谷状地形に達したら、赤いマーキングテープのある所から一旦、東側に上がり、竹藪の倒木の少ない斜面をトラバースする。

二重山稜のような地形の間にある谷状地形になり、少々登ると南の鞍部に上がる踏み跡が現れるからこれを登る。後は尾根上を進むのみ。

当方はこの日、体調が優れなかったことから途中で断念した。近年は夏場、直射日光を浴びるとすぐ日射病的症状が出るようになったからである。

次回投稿予定(予定は未定)の記事は、二ヶ所目の徳島県の裏見の滝か、種崎の龍馬と長宗我部元親関係の史跡回遊コース等。

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