四国唯一の龍馬と高杉晋作滞在所一般公開(呑象楼) | 次世代に遺したい自然や史跡

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毎年WEB初公開となる無名伝承地や史跡、マイナーな景勝・奇勝を発表。戦争遺跡や鉄道関連、坂本龍馬等の偉人のマイナー伝承地も。学芸員資格を持つ元高知新聞主管講座講師が解説。

【去年から有料公開始まる】

拙著(四国龍馬街道の)や当ブログでも’10年、何度も触れた、坂本龍馬高杉晋作が訪れた香川県琴平町の勤王侠客・日柳燕石(くさなぎえんせき)の元居宅、呑象楼(どんぞうろう)が去年初夏より有料で一般公開されている。四国で龍馬と晋作の二人が滞在した(別々の時期)家屋が現存するのは唯一のため貴重。尚、添付写真は内部非公開で修繕されてなかった頃の写真。

 

自治体のサイトでは触れていないが、当建物は天保時代のものとは言え、以前説明したように、昭和29年に現在地へ移築された際、規模が縮小されている。故に昭和14年に指定されていた県の文化財からも除外された。

 

それでも二階のどんでん返し壁や床の間掛け軸裏の抜け穴、階段の隠し板等は残っているので、訪れる価値はある。燕石は讃岐一の勤王侠客だったことから、佐幕の高松藩に狙われることもあり、このような仕掛けが必要不可欠だったのである。

 

呑象楼(下の写真は移築前の場所)を晋作が訪れたことは晋作の手紙から窺い知ることができるが、龍馬が訪れたことは伝承。以前、説明したように、龍馬は文久22月、呑象楼で燕石と美馬君田に出会い、君田に徳島県美馬市鎌村熊太を紹介する紹介状を書いて貰い、熊太から勤王活動資金を得ることができた。

 

また、以前も説明したように、文久22月に龍馬が讃岐に行くことは、山口県防府市三田尻の豪商、岡本三右衛門に関連する書簡から確認することができる(長州・脱藩道の拙著で触れた中谷正亮の書簡とは別)

 

歴史研究家の中には、龍馬が君田らと交流した伝承を唱えるのは当方と熊太子孫だけだと思っている者もいると思うが、以前説明した(と思う)ように、燕石と先祖が同じで、燕石の生家のある地区出身の香川県では有名な歴史研究家・草薙金四郎(明治生まれで昭和期に活躍)氏も龍馬と君田との交流を後世に伝えており、そのことは君田が住職をしていた寺の案内板や日本維新人名辞典にも記されている。

 

龍馬と晋作ファンはこれを見逃すな。尚、拙著や当ブログで触れたように、琴平界隈には龍馬と晋作の伝承地が点在している(の写真は晋作の隠れ場所の一つ、松里庵)

 

<呑象楼>

場所:榎井小学校敷地(立入自由)

見学料:大人 200円、中高生 100円、 小学生 50円

内部公開時間:9時~17時(12月29日~1月3日を除き無休)

問い合わせ:琴平町教育委員会 電話0877-75-6716

 

PS:来月20日頃から、当方の企画・提案による企画展「四国に残る龍馬の伝承と無名史跡」が高知市の龍馬の生まれたまち記念館で開催予定。

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