死んだつつじ山と生きるつつじ山(三原村と大月町) | 次世代に遺したい自然や史跡

次世代に遺したい自然や史跡

毎年WEB初公開となる無名伝承地や史跡、マイナーな景勝・奇勝を発表。戦争遺跡や鉄道関連、坂本龍馬等の偉人のマイナー伝承地も。学芸員資格を持つ元高知新聞主管講座講師が解説。

~助田峰と城山(姫ノ井城跡)の明暗~

高知県の隣接し合う三原村大月町には、それぞれ「つつじ山」と通称されるつつじの名所がある。いや、三原村の方は“つつじ名所としては「かつてあった」という過去形になる。

 

三原村来栖野(地形図名も同じ)に無名峰・助田峰(292.8m)があるが、この中腹から下は「三原自然公園」となっており、3月中下旬にヒメツツジ、4月上旬から下旬にはミツバツツジオンツツジが咲く、各種つつじを纏った山となる。

 

また、このつつじ人気を受けて、遊歩道へ到るコースに於いて2005年、「つつじ祭り」の目玉として54年ぶりに総社祭の「あげ馬」(流鏑馬)も復活し、見物客で賑わった。

 

しかし今から5年ほど前からつつじ祭りもあげ馬も開催されなくなり、つつじや遊歩道の手入れもされなくなり、荒れ放題となった。理由は地域の高齢化。村は財政的に整備を業者に依頼することもできない。

 

しかし逆に人がいなければ思う存分、つつじ鑑賞ができる。手入れされなくなったとは言え、何百株かは咲いているはずである。そこで2週間ほど前に行ってきた。

 

コース入口はあげ馬道の起点で、中央地区クリーンセンター東の橋(宮ノ川川に架かる)を北に渡った所の三差路(上の地図)。西に延びる作業車道のような道がそれ。入口には簡易のフェンス扉があるので、扉が倒れないよう、鉄棒を抜いてまた閉める。

 

少しその道を歩くと、山際を並行して斜めに上がる遊歩道が見えるので、それを登る。茅のヤブ漕ぎになるが、あと数年もすればヤブ漕ぎも困難になるかも知れない。道々にはミツバツツジが次々と現れるが、手入れがされてないことで、あまり花の付き方はよくない。オンツツジはかなり減っているように思われる。

 

道はくねくねと上がっていった後、西向きに変わり、やがて一般車通行禁止の貯水槽管理道路に出る。この道路沿いにミツバツツジやオンツツジは数える位しか咲いていない。

 

この道路は貯水槽前ゲートで行き止まりになるが、そのやや手前から前方右に作業道が分かれている。この路面にはユキモチソウも所々咲いている。

作業道終点から助田峰の尾根に取付く予定だったが、その尾根はシダのヤブの密林で、ヤブ漕ぎは不可。

 

そこで少し引き返し、植林の中の谷状地形を登って行った。上部に来ると踏み跡に出たので右折するとすぐ別の尾根に乗ったが、ここまでのルートは25千図では確認し辛い。5千分の1の縮尺の森林基本図等を見て初めて確認できた。

 

そのきれいな尾根を登るとすぐ稜線に出て、山頂に到るが、稜線にはヤマツツジも咲いていた。一般的なマイナー峰のように展望はない。登頂記念板もMH2氏のものしかなかった。とは言え、短靴で簡単に登れる山だった。

 

復路は車道を麓まで下り、西方の橋を渡って宮ノ川川南岸の小径を駐車地の橋まで帰った。復路の両岸には所々キシツツジが咲いていた。

次は大月町の姫ノ井地区に移動する。こちらは今も地域住民が整備しており、主要道の分岐にはのぼり旗や道標が設置され、迷うことなく駐車場(下の地図)まで行くことができる。

 

こちらのつつじ山は中世の姫ノ井城跡がある城山(190m)。地形図(柏島)には山頂まで車道が描かれているが、これは車が通れる道ではなく、近年までつつじ鑑賞の遊歩道として利用されていた道。

 

現在は高齢者に配慮し、もっと登り易い196mピーク東方からのコースに変更されている。観光客が少ない時は看板のある駐車場ではなく、最初の展望所のすぐ下の駐車場まで係員が案内してくれる。

 

係員がいるとは言え、入山は無料。但し記帳を求められる。オンツツジに包まれたその展望所からは、大堂海岸から沖ノ島、太平洋を一望できる。ここのオンツツジが群生しているのは山頂周辺。

 

そこからは196mピーク直下を過ぎ、鞍部へと下るが、植林帯の鞍部東側にある蛸壺壕のような穴は肥溜め跡で、その向かいの塹壕のようなものは峠道跡。この植林帯一帯は昔畑で、家の肥を桶に入れ、天秤棒で担いでここまで登ってきていたのである。

 

前述の地形図に車道として描かれている道に出るとしばらくして城跡詰の段下に着き、オンツツジが溢れている。山頂周囲に1,000株以上あるが、ヤマザクラも何本かあり、朱色のツツジ群にハラハラと絶え間なく白い花弁が舞っていた。

 

ここのツツジは見頃時期が他の地より早く、4月上中旬。山頂には心地良い潮風が吹いており、南側の天辺に登れば、最初の展望所以上の展望が得られる。視線下に咲くつつじも絵になる。

 

城の石垣はごく一部しか確認できない。詰の段下の周囲を二段位に巡っているのは腰曲輪だろうか。しかし城跡の調査報告書には記載がない。その腰曲輪のような箇所にもつつじが植栽されている。

ここのつつじ山は何とか守って「生き続けて」貰いたいもの。

 

PS:この翌週、愛媛で三ヶ所目となるエンジェルロードを探訪したが、通り抜けられる海食洞もあった。GWには四ヶ所目を探訪予定。

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