巨大トーチカの如き海食洞門・梶谷洞門(伊方町梶谷鼻) | 次世代に遺したい自然や史跡

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毎年WEB初公開となる無名伝承地や史跡、マイナーな景勝・奇勝を発表。戦争遺跡や鉄道関連、坂本龍馬等の偉人のマイナー伝承地も。学芸員資格を持つ元高知新聞主管講座講師が解説。

【愛媛県屈指の海食洞門と岩塔】

愛媛県内で有名な海食洞門と言えば、松山市北条鹿島の石門が挙げられるが、去年夏の西日本豪雨で崩壊してしまった。しかしそれとは比べ物にならない位の巨大海食洞門が伊方町にある。それが日本に数ヶ所しかないという、海岸に石灰岩が露出している梶谷鼻にある梶谷洞門(仮称)である。

 

この洞門は陸から若干沖にある岩の島を覆う形で存在しているが、その特徴は片側(海側)が旧日本陸軍のトーチカに似ている点。銃眼部に当たる所に洞門が開いているのである。

 

このように四角く穴が開くのは、地質が剥離性のある片状石灰岩のため。つまり、海食だけで穴が貫通したのではなく、ある程度海食された後、岩が剥離して穴が貫通したもの。風食作用があったことも想像できる。

 

もう一つの特徴は、洞門の海側と陸側では穴周囲の外観が全く異なっている点。陸側は普通の海食作用による洞門のような景観。但し、これは飽くまで離れた所(岬の尾根)からの見た目であり、双眼鏡等で拡大して見ると縞状節理が横に走っているのが分かる。

 

その陸地と洞門の岩島との間はV字の水路のようになっており、Vの下部の海面はエメラルドグリーンとなっていて美しい。海底の白砂が影響しているものと思われるが、残念ながらV字下部の浜へは一定の長さのザイルがないと下りられない。

 

梶谷鼻の突端付近には高さ20m近くありそうな岩塔がそそり立っており、洞門と併せて奇勝を形成している。

太公望が訪れそうな場所だが、先日は一人もいなかった。干潮時以外は何割かが海没するためかも知れない。

 

訪れたのは大潮の干潮時。この時を選んだのには理由がある。梶谷洞門のベストショットを狙うには、岩島向かいの傾斜のある磯の海面近くに立つ必要があるからである。大潮の干潮時以外であれば、洞門岩の左側が視界から切れてしまうため、全景を捉えることができない。

 

岩塔横の磯から洞門を撮ることもできるが、その角度だと洞門の中に空が映らない。映るのは遠方の山の斜面であり、その暗さから洞門が開いていることが写真からは分かり難い。それに全景を捉えることもできない。故に大潮の干潮時でないとだめなのである。

 

梶谷鼻は自治体が発行したマップにも記載されてはいる(洞門の記述も)ものの、岬名が記された道標は一ヶ所しかない。アプローチはまず、佐田岬半島の名取の名取口バス停があるY字路を右折する。そして名取トンネル南の「三崎ドライブイン」跡の三差路を左折。ほどなく現れるY字路は「上り」の道路に右折。すぐまた現れるY字路も道なりに右(「真っ直ぐ」と言うべきか)

 

X字路に下りると前方左の道へ。ほどなく現れる左急カーブの三差路は右折。この道路が最も南に振った所の右カーブ部路肩に駐車する。但し、「作業場」とスプレー書きしている所は避けるように。

 

そこから岬に向けてコンクリート車道(私道)が下りている。この終点まで行くとみかんの収穫ケースが積まれた所の左から下る踏み跡を辿る。ウバメガシの中、一本道が続く。

 

洞門の陸側が見える地点まで来ると、路面がザレて滑り易くなるので要注意。

左手の岩を抜けた地点で一見、踏み跡が消えたように思えるかも知れないが、更に薄い踏み跡が左手のザレ場斜面を下っている。

 

岬尾根の踏み跡は石積み台座の祠跡のような所まで続いているが、その細長くなった尾根の起点部から左下のザレ場を下れば、撮影スポットへの近道になる。しかしできればまず岩塔を探訪して、磯伝いに歩いてスポットに行った方が安全。

 

洞門岩島側面の向かいまで来ると、下は切り立っており、足がすくむ。しかし南の海側は岩が平たくなっているから安心。それでも撮影時は足場をよく見て撮るように。特に風が強い日は要注意。

 

この後移動し、超ミニエンジェルロードを探訪後、陸地にある小さな海食洞門を発見した。以前紹介した今治市と西条市との境界、大崎ヶ鼻にある洞門より小さいが、しゃがんで潜り抜けることができる。

 

その後は11年ぶりに権現山へと移動して展望台(添付写真)や山頂から写真を撮った。

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