嗚呼、徳島海軍航空隊・番外編 | 次世代に遺したい自然や史跡

次世代に遺したい自然や史跡

毎年WEB初公開となる無名伝承地や史跡、マイナーな景勝・奇勝を発表。戦争遺跡や鉄道関連、坂本龍馬等の偉人のマイナー伝承地も。学芸員資格を持つ元高知新聞主管講座講師が解説。

[他にもあった士官や将校の宿舎]

過去、拙著や「嗚呼、徳島海軍航空隊・中編」で、徳島海軍航空隊が展開していた徳島海軍航空基地関連の営外下士官宿舎を一棟紹介したが、外壁等が改修されているものの、他にも複数棟残っていることが分かった。

 

拙著でも触れたように、書籍製作時、徳島県鳴門市(ドイツ人俘虜関連のものを含む)と松茂町の戦争遺跡を一泊二日で調査すること自体、無理があり、抜かっているものが多々あったのである。

 

抜かっていた他の宿舎も以前拙著やブログで紹介した宿舎近辺に点在している。

アプローチを再度紹介すると、まず、ニトリ徳島北店西方の松茂町広島交差点(同名の交差点が二つあると思うが、西の方)の一つ西の三差路を北に折れる。不動院がある通りである。

東西に走る道路に突き当たると西に折れる。ほどなく左手に現れる一本の大木がある広場(下の地図)に駐車する。但し、ここは私有地か共有地かは不明。

 

そこから西方の十字路を南に折れると過去に紹介した宿舎が現れるが、その手前、さきほどの十字路から左手に二軒目の建物も宿舎だった。外壁がトタンになっていたから見過ごしており、町教委もこれを「戦争遺跡」とは見做していなかった。その奥の建物も宿舎のようだが、私有地の路地に立ち入るのは躊躇う。

 

その道路を挟んだ南西向かいのトタン小屋のような建物も宿舎。他にも隣近所に宿舎があったように思うが、写真の整理と記憶の整理ができない。

次は拙著とブログで紹介した宿舎の南方の十字路(公道部は三差路)を西に折れる。そして一つ目の三差路を南に折れる。

 

左手に二軒目の敷地がヤブ化して廃墟になりつつある建物も宿舎のようである。

三差路に戻ると西進を再開するが、すぐ現れる三差路も西の舗装小径へと進む。

広い道路に出ると南に折れ、右手に三軒過ぎた先のT字路もまた西に折れる。

 

そして一つ目の三差路を南に折れるが、その手前から荒地(田の跡か)の南方に複数、横に連なる建物が見える。一番東のトタン張りの建物が、第11海軍航空廠徳島工場の技術系将校宿舎関連の建物である。宿舎なのか、付随の施設だったのかは不明。

 

帰り道、徳島海軍航空基地跡にある海上自衛隊徳島航空基地から飛び立った二基のヘリコプターが頭上を飛んで行った。基地内にある徳島海軍航空隊関連の記念館を常時一般公開(申請なしで)してほしいものである。

他の四国の海軍航空隊基地も紹介してほしい、という方は次のバナーをプリーズクリック。


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