[戦後、半地下施設で何が・・・]
岬の遊歩道の左手にはいくつもの小径やミニ階段が現れるが、これらを上がった先に第一砲台施設がある。ここでも半地下式の砲台観測所が見応えがある。若干の左カーブ部にあるミニ石段を上がった先に現れる。
入口は第二砲台の観測所とは形が異なるが、全体の外観は第二砲台のものを一回り小さくしたような形状。入口からは地下へと10段の階段を下りる。
内部は四部屋に分かれており、突き当たりの銃眼のような観測窓がある部屋には、根本から折られた測遠機の直径80cmの台座基礎がある。折ったのは終戦時、地元民が住居として利用していたため。
その部屋の右の部屋は休憩用の部屋。観測は交代制で行われていた。こちらの観測所も砲座とは少し離れているため、各種伝達は専用電話を使って行っていた。
ところでこの日、岬の探訪を終えて駐車場に戻った際、地元民からこの観測所(地元ではトーチカと呼ばれている)で戦後、男性が首吊り自殺をしたことを聞いた。しかしその時は観測所内に紐を掛ける場所等ないように思われた。
それから数年後、第一砲台をある旅行のクチコミサイトに投稿するため、何枚かの画像を選んで微調整加工をして保存しようとしたところ、どうしても一枚の画像(下の写真)だけ保存できなかった。何度行ってもダメだったのである。
その時ふと、前述の自殺者のことを思い出した。そしてその画像をよく見てみると、「それ」があったのである。首吊り紐を掛ける木材が。入口から階段を降りたすぐ先の上部に頑丈な木材が横に掛けられていたのである。しかし現地を訪れた時、何の霊障もなかったのに、何年も経ってこういう形で現れるとは意外だった。まだ成仏できていないのか。
岬の尾根はヤブに覆われており、現在、豊後水道は望むことができない。故に一つの施設の探訪を終えるとまた遊歩道に戻り、再び別の箇所から小径を上がって別の施設へ登らなくてはならない。
各砲座・砲床は第二砲台より一回り以上小さく、コンクリートで固められた所も殆どなく、隧道も造られていない。ここには七年式15センチ・カノン砲が据えられていた。
砲身の全長は第二砲台の榴弾砲より長いが、重量は半分以下。最大射程距離は1kmほど短い。
昭和19年10月、ここのカノン砲4門は撤去され、鹿児島県志布志湾口の高崎砲台へ移された。
PS:前回、今回の記事で地下弾薬庫について記述する旨、記したが、次回に回したい。
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