2015年2月9日月曜日

『図録 植民地朝鮮に生きる』を読む。


2012年発行の『図録 植民地朝鮮に生きる』を読みました。


左巻きの著者の恣意的なキャプションや説明文はあるものの、当時の貴重な資料に見られる朝鮮統治の健全性や内地と同様戦局に応じて各種動員がされて行く様子が実際の書類、写真で見て取ることができます。

Amazonのレビューには恫喝的な民衆支配とありますが、警察機関が国内に配備され
犯罪取締り、衛生管理など、積極的に生活環境改善を目指した様子がありありと描写されています。
当時の民衆がどのように受け取ったかはわかりませんが、少なくとも朝鮮の近代化に信念を持って取り組んだご先祖様達の真心が浮かび上がってきました。

創氏改名の案内文書も大邱地方法院の実際の募集要項が載っていますが、もちろん強制するものでなく、任意であること、朝鮮の民意を受けた形で行なわれたものだと資料から客観的に判断することができます。

徴兵に関しても、公務員試験を受験するつもりの李さんが、なし崩し的に陸軍に志願することになった悲劇がクローズアップされていますが、地方行政機関の勇み足でなされたものであり、必ずしも朝鮮人兵が騙されていたわけではないことがよく分かります。
※当時の官吏についても日本人と朝鮮人の割合が記載されており、下級官吏の多く(65%)が朝鮮人で占められています。

近代化のためのダム、干拓を始めとした開拓や農村振興策、教育の普及なども具体的な事例を見ることができます。

日本人が韓国併合で成し遂げたことを冷静に振り返り、隣国との友好関係をいかに樹立するかを考えるべきだと痛感させられる貴重な資料を確認できる本です。

2015年2月2日月曜日

『大空のサムライ』を観る。

1976年製作の坂井三郎氏の自伝的映画
『大空のサムライ』を観ました。
大観プロダクションというネズミ講絡みの制作会社との
ことですが、映画の内容自体はいたってまともなものでした。


藤岡弘主演で志垣太郎、丹波哲郎や地井武男など有名どころの
役者さんが出演されており、結構見応えがありました。


太平洋戦争前半の優勢な時期を描いていることもあり
(本編でもあるように坂井氏がガダルカナル戦での負傷により
ラバウルから本土に戻っている)
神風特攻隊などの悲劇的な場面は少ないですが、地井武男演じる
陸攻部隊の切り捨てられ方などは、戦場における非情さを
感じさせる内容でした。


ラバウルに飲み屋があったり、病院があったりするのは
新鮮な驚きでした。
ラバウルについても、もっと調べてみようと思います。


2015年2月1日日曜日

熱田神宮と宮きしめん

厄年があけ、熱田神宮へお札を戻してきました。


熱田神宮はいつ行っても素晴らしい空間ですね。

心身ともに浄化されます。

お参りしたあとは宮きしめんをいただきます。

参道からたまらない香りが流れてきて
煩悩を刺激します。

毎回旨すぎてヤバいです。

自分と息子は白海老かき揚げきしめん。
下の娘は宮きしめん、妻は白だしきしめん(写真忘れた)
上の娘は天ぷらきしめんを毎回頼みます。


はっきり言って白海老かき揚げきしめんが最強に美味しいです。
屋根は一応ありますが、ほとんど屋外(しかも最高のパワースポット)で
いただくきしめんはこの世のものとは思われないほど美味しく
優しさと、あたたかさに包まれます。


熱田神宮さん
ありがとうございました。

2015年1月31日土曜日

ディスカウント名古屋大学の罠

名古屋大学(名大)の女子学生が
77歳の女性を惨殺する事件が発生し、世間を騒がしている。


この事件の裏に潜んでいそうな闇について記しておこうと思う。
2014年は名古屋大学にとって輝かしい年であった。
赤崎教授、天野教授がノーベル物理学賞を受賞したのは
記憶に新しいことと思う。


両氏がノーベル賞授賞の栄誉をうけるその頃、同じく名古屋大学に
関わる女子学生が重大な事件を引き起こしていたのである。


女子学生がツイッターで『ついにやった』と
つぶやいたのは12/7のこと、赤崎教授がノーベル賞授賞式参加の
ためストックホルムへ出発したのは12/6のことである。

http://www.asahi.com/articles/ASGD55VSLGD5ULBJ01C.html
今年のノーベル物理学賞を受賞する、赤崎勇・名城大学教授(85)が6日未明、授賞式に出席するため、羽田空港からストックホルムへ出発した。


名古屋大学は、ここ最近ノーベル賞をはじめとして
先端研究や各種分野で著しい成果をあげている。
そのことに対して、面白く思わない一大勢力があるのは
当然のことだろう。


赤崎教授らがノーベル賞に確定した際のオオウチ女子の
ツイートは以下である。

オオウチ (@thallium123)さんが2014年10月08日 - 9:24pmにツイート:
夜空を見るたび思い出すがいい by酒鬼薔薇 (https://twitter.com/thallium123/status/519825536869101569?s=17)



ノーベル賞発表記事(10/8)
http://mainichi.jp/feature/news/20141008k0000m040028000c.html

スウェーデン王立科学アカデミーは7日、2014年のノーベル物理学賞を名城大(名古屋市)の赤崎勇終身教授(85)、名古屋大の天野浩教授(54)、米カリフォルニア大サンタバーバラ校の中村修二教授(60)=米国籍=の3氏に贈ると発表した。


つまり、名古屋大学の大躍進を妬む何らかの勢力が
工作員たる大内万里亜をして、その名声を貶めるべく
粛々と事件を起こし、一大センセーションを巻き起こすことで
Google検索では、異常な殺人が人々の記憶に残るのである。


今回の事件では特定宗教や東北地方なども関わっていることも
問題の根が深いことを示唆している。


信じるか信じないかはあなた次第…


2015年1月30日金曜日

東日本大震災とアメリカ(マッカーサー)の闇

ここ最近、太平洋戦争やマッカーサーのことを
色々と調べている中で奇妙な一致に気がついた。


まずは、下記を見てみよう。


下記は宝島社が東日本大震災の年の2011年9月2日に
各新聞社に一面広告を出したものである。


宝島社の建前上の公式見解は下記である。

敗戦や災害など、これまで幾度となく苦境に直面してきた日本。
日本人はそのつど、不屈の精神と協調性を武器に国を建て直してきた歴史があります。
世界のどこを見ても、これほどしぶとく、強い生命力を秘めた国民は存在しないのではないか。
そんな気さえするのです。
「いい国つくろう、何度でも。」
この投げかけを通じて、
日本人が本来持っている力を呼び覚ましてみたいと考えました。



宝島社はここ数年の出版不況にあって、特亜に過激な言説を
唱えて発行部数を伸ばしている稀有な出版社である。
また、様々な裏側や陰謀論などに関する出版物も発行し
世界中の玉石混交な情報が集まってくることは想像にかたくない。


おそらく、マッカーサーと東日本大震災の関係に気づいて
1945年の日本が降伏文書に調印した9月2日に合わせて
米国への強烈な風刺を以って、行われた意見広告だったのだろう。


以下に私の想像する内容を示したい。

【マッカーサーのフィリピン撤退】
時代は1942年まで遡る。日本時間1941年12月8日に開戦した太平洋戦争で
日本はシーレーンの重要拠点フィリピン攻略を進める。
そして翌年3月11日にフィリピン防衛軍総司令官のマッカーサーが
家族と共にオーストラリアへ逃避するのである。

この際に、アメリカで有名な『I shall return.』へと、つながるわけであるが
その後、フィリピン攻防戦は日本軍により攻略され
5月7日に、米軍史上初の降伏をもたらすのである。
アメリカ人にとって、この屈辱は耐え難きものであることは
火を見るより明らかである。

タイムズアトラス『第二次世界大戦歴史地図 ジョン・キーガン著』より

引用『これは史上初の戦場における米軍降伏の事例であった


事実、マッカーサーは日本攻略の戦略を曲げてまでも
フィリピン奪還に執念を燃やしたし、バターン戦の責任将校を
東京裁判で裁き、復讐を果たしている。
しかし、やはり彼らの中で復讐の炎はくすぶり続けていたのであろう。


【もう一つの原発事故】
1997年3月11日に茨城県東海村で原子力発電施設の事故が発生した。
いわゆる動燃東海事業所火災爆発事故である。
レベル3の事故であるが、爆発に至るまでの真因は不明である。
この年は第二次橋本龍太郎内閣が政権を担っており、米国債売却騒動など
保護者であるアメリカの怒りを買う出来事が色々とあった年である。
マッカーサーの恥辱から55年後の同日である。


【そして東日本大震災】
2011年3月11日に発生した東日本大震災は、津波による
大規模地震災害、そして福島第一原子力発電所事故が発生した…


これらの事故は果たして偶然なのだろうか?
アメリカは自らに少しでも危害が加わると本性を表す。
先の北朝鮮のパロディ映画上映を巡って起こったサイバーテロ事件でもそうである。
今まで日本がいくら要請しても北朝鮮など
眼中になかったものが、ひとたびコケにされると全力で行くのである。


アメリカは日にちにこだわるのである。
例えば東京裁判も良い例である。
1946年4月29日(昭和天皇誕生日)に起訴状が提出され
1948年12月23日(今上天皇誕生日)にいわゆるA級戦犯の死刑が執行されるのである。
これは、日本国民並びに天皇陛下への挑戦状である。


パールハーバーと並んで、フィリピン戦での米軍降伏は
彼らの黒歴史なのである。


ちなみに高速増殖炉もんじゅのナトリウム漏洩事故が発生したのは
1995年12月8日である。


信じるか信じないかはあなた次第…