賤ヶ岳の戦い その7
『信長の百ヵ日法要』
9月12日、秀吉は信長の4男で、しかも秀吉の養子となっていた幼少の御次丸(羽柴秀勝)
を喪主として、京都の大徳寺で、亡君信長の百ヵ日法要をしたが、一方の柴田勝家も、この前
日の11日に、その室・お市の方に命じ、京都の妙心寺で信長の百ヵ日法要を催した。
大徳寺
この月の18日、秀吉は丹波長秀と洛外の吉田で会見し、20日にもまた、洛中で面会して、
何事か相談しているが、両者の間には十分な密談が成立したとみえて、翌21日、長秀は坂本
に帰城し、秀吉は大徳寺で信長の葬儀を行う打ち合わせをしている。
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いつもありがとうございます。
<参考文献:日本の合戦(新人物往来社)>
9月12日、秀吉は信長の4男で、しかも秀吉の養子となっていた幼少の御次丸(羽柴秀勝)
を喪主として、京都の大徳寺で、亡君信長の百ヵ日法要をしたが、一方の柴田勝家も、この前
日の11日に、その室・お市の方に命じ、京都の妙心寺で信長の百ヵ日法要を催した。
大徳寺
この月の18日、秀吉は丹波長秀と洛外の吉田で会見し、20日にもまた、洛中で面会して、
何事か相談しているが、両者の間には十分な密談が成立したとみえて、翌21日、長秀は坂本
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