もちろんそれは正解ではありません。大日本帝国憲法によって示された立憲君主制は、皇室をいただく我が国の伝統的な政治文化と、西洋を起源とする国家の基本法である憲法を中心とする政治体制とを調和させただけなのです。
第72回歴史講座でも述べたとおり、神話の時代をさかのぼれば2680年も前から我が国にご存在され続けておられる歴代の天皇の皆様におかれましては、古代にこそ政治の実権をお持ちになられた方もおられましたが、時代が下るにつれ、幕府の誕生などによって天皇お自らが権力を行使されることはなくなり、時の権力者をして天皇の権威によって政治を行わせしめる手法が定着しました。
すなわち、我が国では「天皇は政治的責任を持たない」という形式が伝統であったところへ、西洋の政治体制の根幹をなす基本法として成文化されたのが大日本帝国憲法であり、これは我が国が得意とする「他の文化を我が国に根差した伝統と融合させ、独自の新たな文化をつくりだす」という流れに沿ったものでした。
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