終章-2
織部は一言一言を噛み締めるように言った。
「それが、こうしてあなたとお会いしていると感じられるんです」
「…………」
「とても―――深く」
「とても………深く………?」
祥希もまた、瞬き一つせず織部と眼を合わせ続けた。
「そう。とても………限りなく深く、あなたをお慕いしていたような、そんなもどかしい気持ちが、心にかかる霧の向こうにある」
「―――っ!」
見つめ合う二人の間を隔て分けるように、一陣の冷たい風が吹き抜けていった。
束の間の逡巡を振り切って、
「織部さん」
祥希は涙を堪えて微笑んだ。
「私もあなたをお慕いしていました」
「中原………さん……」
「心の底から―――とても、限りなく、深く」
織部は苦しそうに眉をしかめて首を振る。
「思い出したい。あなたのことを、すべて」
「いつの日にか」
祥希は軽く眼を伏せて言った。
その声はあまりにか細くて、織部の耳には届かなかった。
「もしかしたら次に生まれ変わった後かもしれないけれど、またあなたと巡り会う日が来るのだと、私は信じています」
「………よし……き………」
織部の口唇がその名を紡ぎかけた時、
「パパ!」
駐車場の向こうから、織部と祥希に手を振りながら赤いワンピースを着た真央が駆け寄ってくる。
「ママが車の用意ができたからパパを呼んで来てって!!」
「そ……か………」
織部の意識が逸れた瞬間に、浮かび上がろうとしていた記憶の欠片がまた白い霧の底に沈んでいった。
「パパ、祥希のこと、思い出したの!?」
近くまで来て、真央は織部と祥希の顔を見比べて訊いた。
「思い出したいんだけど、今は難しいみたいだ」
織部は切ない眼差しで祥希を見やった。
「パパと祥希はずっと仲良しだったんだから、ちゃんと思い出さないとダメだよ」
真央は織部に向けて人差し指を振る。
祥希は織部を庇うように言った。
「真央ちゃん、パパはまだ病み上がりなんだから、そんな無茶を言ったらダメだよ」
「ダメじゃないもーん」
祥希に諭されてもどこ吹く風とばかり、真央は満面の笑みを浮かべて織部と祥希の間に入り二人と手を繋いだ。
「さあ行きましょう!ママは待たせるとうるさいんだから」
「そうだな」
織部も笑って頷いた。
*** *** *** *** ***
(封印された記憶は、そう簡単に甦ってこないってことか………)
仲睦まじい親子のように並んで歩み去る三人を貴大が眼で追っていたら、背後からそっと声をかけられた。
「佐野さん、こんなところに隠れていたんですね」
「当麻!」
振り返ると、貴大が愛してやまない男が立っていた。
「探したんですよ」
これまた白いTシャツとパーカーにジーンズと言うカジュアルな装いが、爽やかに整った容貌を際立たせている美青年だ。
「なかなか戻ってこないから、心配になって迎えに来ちゃいました」
当麻はそう耳元に囁いて、貴大の細い腰を両腕でギュッと抱き締めた。
「最後に、中原と織部をどうしても会わせてやりたかったんだ」
貴大は、当麻が浴びせてくるキスの合間にそう言った。
「中原さんも織部さんも、これからきっとそれぞれの幸せを見つけていきますよ」
「そうだな」
「行きましょう。彼が待ちくたびれてうるさいんです」
当麻が辟易とした口調で言うと、
「あいつの世話は、中原に任せるとしよう」
「まさに適任ですね」
苦笑を含んだ眼線を交わしてから、二人は木の傍を離れて当麻が車を停めている駐車場の一角に足を向けた。
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