新潮社こんなバカだった?

皇紀2678年(平成30年)9月23日

新潮社の本を棚から撤去 和歌山の書店、新潮45に抗議:朝日新聞デジタル

 自民党の杉田水脈(みお)衆院議員が同性カップルを念頭に「生産性がない」などと月刊誌「新潮45」で主張した問題に関連し、和歌山市万町の書店「本屋プラグ」は20日、新潮社の新刊本の販売を当面取りやめる方…

(朝日新聞デジタル)

 七月二十二日記事でこの問題を取り上げ、以降何度か言及してきましたが、杉田水脈衆議院議員が予算編成に於ける「生産性」を語った論文を指して同性愛・両性愛(全性愛)・性同一性障害・性愛不定者への強烈な差別意識を煽ったのは、むしろ杉田代議士を非難した報道権力と権利闘争家たちです。

 論文を掲載した新潮社の「新潮45」では、その非難に対して一家言ある人びとを集めて新たに十月号で記事を組んだわけですが、二十一日に出された佐藤隆信社長の談話は、「言論の自由、表現の自由、意見の多様性、編集権の独立の重要性などを十分に認識し、尊重してまいりました」のであれば発表すべきではありませんでした。お詫びの言葉がなかったのが唯一の救いです。

 私は、決して「LGBTも私のような伝統保守主義者から言わせれば充分ふざけた概念」などとは思いませんし、むしろわが国の国柄を保守する者であれば、同性愛・両性愛(全性愛)・性同一性障害・性愛不定者をわざわざ指差すようなことをすべきでない、と重ねて申しておきます。わが国は、同性愛者らを捜し出しては死刑に処したような欧米の宗教原理主義国ではありません。祖先からの生命の継承に感謝する祭祀の国です。

 「反共」だけが合言葉になって以来、わが国の保守派が単に米共和党的になってしまい、もともと多様性をもって国柄に適合させてきた先人たちの苦労に思いを寄せることもなく、今になって「多様性」という言葉に苦しめられているさまは、まさに彼らが「伝統」と称するもののいかがわしさ、ご都合を露呈して対日ヘイトスピーチ(反日)一派に主導権を握られたようにさえ見えます。

 しかし、私たち国民が国柄を保守していれば、欧米から輸入してきた「多様性」など陳腐な言葉遊びとしてはねのけ、対日ヘイトにつけ入る隙を与えなかったはずです。権利闘争に利用される同性愛者たちの今日の受難もなかったでしょう。わが国こそが世界のモデルケースになり得たのです。

 これまで述べてきたことを繰り返すのはこれ以上避けますが、同性愛者たちが自らの存在を呪いたくなるような国であってはなりません。自分の存在が祖先からの壮大な生命の継承の結果であり、自分が子孫を残せなかったとしても、例えばさまざまな事情で生みの親を失い、育ての親がいない子を引き取って育てることはできるのだ、と。また、そのようなことへの偏見があってはなりません。保守主義の研究に於いても、「保守主義者ほど偏見が強い」という考えこそ偏見だとはっきり分かります。

 兎にも角にも十月号の特集が杉田代議士の問題提起からかけ離れ始めたことに憂慮し、改めて権利闘争に降伏してしまうような予算編成に警鐘を鳴らした杉田代議士には、初志貫徹していただき、私たち国民は、この和歌山市内の一書店がとったような自由と多様性への敵対行為(※注)に対し、少なくとも眉をひそめたい。

 そして、このような談話を出してしまった新潮社と、意見の多様性を認めない(※注)一書店を拡大して嬉嬉とする朝日新聞社の莫迦さ加減を見逃してはならないのです。

(※注=二十五日記事に部分撤回に関する追記)

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『新潮社こんなバカだった?』に4件のコメント

  1. きよしこ:

    もうこの問題に首を突っ込むつもりはありません。杉田議員を擁護するためなら滅茶苦茶な理屈を持ち出して却って彼女に迷惑をかける者と、杉田議員を貶めるためなら言論の自由や表現の多様性を破壊しても構わないという連中とで、どうか大多数の「どうでもいいと思っている人々」を巻き込まない形で潰し合ってくれればいいと思います。ついでに、その発言が自らの首を絞めることさえ理解できない新潮社も潰れていただいて結構。幼稚なヒロイズムに浸って不当な圧力に阿る出版社など誰が必要とするものですか。

  2. 心配性@我は蛮夷なり:

    杉田議員の真意は知りませんが、目下国内外で目の敵にされているにもかかわらず、脇が甘く、危機管理能力に欠けるという気はします。

    >わが国は、同性愛者らを捜し出しては死刑に処したような欧米の宗教原理主義国ではありません。

    その通りです。

    今回の「新潮騒動」を、‶当事者”であるLGBTの人々がどう見ているのか気になって、ツイッターなどをチェックしていましたが、例えば「LGBTデモ」等に対して不満を抱く人は少なくないようです。

    ゲイの人々のパレードに、なぜか、過激な反差別団体や、左翼活動家の人々が参加し、「天皇制反対」だとか「打倒安倍内閣」だとか、そういった主旨の、LGBTとは無関係なプラカードを掲げて、罵詈雑言を吐き散らすことに対する「違和感」を覚えているようです。
    そして、できれば「私たちの邪魔をしないで欲しい」と考えている人が一定数いることを知りました。

    大部分のLGBTの人々は、過激な「闘争」など望んでおらず、穏やかに暮らしたいと考えているのではないでしょうか。

  3. せい:

     新潮45の小川榮太郎氏の論文が批判されているが、全文読めば何が問題なのか分からない。
    ネットでも大きく取り上げられ、杉田議員の論文を知らない人も、小川氏の痴漢のくだりを切り取ったネットニュースを引用し嫌悪ともいえる反応を示している。日本人はこれほど文章を読めなくなったのかと呆れるばかりだ。前頭葉がどっかいったのかと心配になるほど、劣化している。これも長年オールドメディアに毒された結果なのかと暗澹たる気持ちになる。
     そして、左翼メディア、知識人による言論弾圧には激しい憤りを覚える。言論の自由を声高に訴えながら、意見の違う人の意見は抹殺する。ファシズムとしかいいようがない。彼らは、LGBTにさして関心など持っていない。ただ、杉田議員を社会的に抹殺したかっただけだ。
     小川氏は徹底的に闘ってほしい。この歪んだ同調圧力に屈しないでほしい。

  4. やす:

    誰も同性愛者を差別なんかしていないのに、火の無い所に無理やり火を起こして無駄な議論をさせるような風潮を作り、それにのっかる莫迦な人間が理性全開で周りを巻き込み、どんどん火を大きくしているだけのことなんだと私は思っています
    一つのテーマについて争点を見つけて議論をぶつけるのは西洋的なやり方で、本能とはかけ離れたやり方を繰り返していくうちにどんどん理性が肥大化し、知らない間に差別意識が作られて同性愛者がど~のこ~のと本質を見失い、杉田代議士の簡単な正論も理解できないほど退化していくという悪循環に嵌って、しまいに日本の伝統文化を否定し、最後に天皇陛下はいらないという流れに発展して売国に落ちていくんではないでしょうかね
    問題の根本は同性愛者がど~のではなくて本能の退化ではないでしょうか
    結局同性愛者を利用した差別問題や売国やらグローバルやら、今の日本が抱える問題の根本の根は同じであると私は考えています
    ですから何度も言っている教育問題から見直していかないといつまでも西洋的価値観の毒を抜くことはできないと断言します
    理性は作られた幻想であり、悪魔はその理性に働きかけ洗脳して騙そうとしてきます
    騙されないためにこそ本能に根ざした教育が必要であり、そうすれば悪魔に騙されることはなくなるはずです