鳴かぬなら 他をあたろう ほととぎす

妖怪・伝説好き。現実と幻想の間をさまよう魂の遍歴の日々をつづります

里見vs北条の激戦の地にて異形の怪樹と遭遇す

は「賀恵渕のシイ(スダジイ)」。千葉県君津市

関東屈指の秘境線にして全国屈指の不採算路線として知られるJR久留里線のエリアにある巨木です。最寄り駅はそのJR久留里線小櫃駅(おびつ)。

一応八坂神社の境内にあります。「一応」というのは神社そのものがもともとこの樹を祀ることを前提に創建されたと考えられるから。説明板には「樹冠は境内の大半を覆っている」と書かれていますが、この樹木に合わせて境内が確保されている、といった方が適切に思えます。

現地の説明板

なんと言ってもその異形な姿に圧倒されます。写真でも十分にその異形さが伝わるのではないでしょうか?成長をはじめたかなり早い段階で斜め...というか横に傾いてしまい、しかもその姿勢を押し通して成長を続けてきた、みたいな。

パッと見は樹木ではなく動物系、それも化け物/怪物のように見えます。いまにも動き出しそう😲

あちこちに見られるこぶが目のように見えますし、横倒しに傾いて伸びている幹を支えている根が地表に露出しているような部分は手足が体を支えているようにしか見えません。四つん這いの怪物が今にも獲物に飛びかかろうとするように身構えているような。

しかも見る位置によって印象がかなり変わってくるうえに、どの位置から見てもやっぱり異形の姿をしています。

などは中央やや下に見える枝が切られてできた空洞が口に見えてなにやら雄叫びを上げているようにも見えるのですがいかがでしょうか?

はくぼみに入れられていたもの。これは...ぱっと見たところ金精さま(男根の姿で表される)に見えました。この樹の旺盛な生命力にあやかって、かな?

境内の隅っこにある社殿。これからして主役が巨樹なのが一目瞭然って感じ。

↑元禄期の庚申塔

は腕が生えて立ち入りを制限している柵の外に手を伸ばしているようにも見えます。そのすぐ左には切られた枝の切り株が見えますが、10年くらい前まではこれも腕のように伸びていたかなりインパクトがあったようです。

しかも樹勢もまだまだ旺盛、放っておけばさらに枝(手足?)をあちこちに伸ばしそうな印象。じつに頼もしい。

この巨樹のすぐ近くを駅名の由来になっている小櫃川(おびつがわ)が流れています。↓

こちらは上流側を見たもの

こちらは下流

この小櫃川は房総半島の南東部を水源として半島を北西に向かって斜めに横切る形で流れて最終的に東京湾に流れ込んでいます。長さ約88km、千葉県内では利根川についで長い川となっております。

この賀恵渕のシイの木が生えているエリアは戦国時代に里見氏と北条氏との間に激しい争奪戦が繰り広げられており、この川を小櫃を背負った兵士たちが船で頻繁に行き来していたことから「小櫃川」と呼ばれるようになった...との由来が伝わっています。

この巨樹から数キロほど小櫃川を遡ると里見氏と北条氏、さらに真里谷武田氏も絡んだ争奪戦が繰り広げられた久留里城(JRの路線名の由来でもある)がありますから、この地名由来もあながち伝説では片付けられない真実性を備えているように思えます。

のマップもご参照ください

久留里城からさらに上流へとさかのぼると現在では紅葉の名所としても知られる小櫃川を堰き止めて作られたダム湖亀山湖もあります。

JR久留里線そのものが小櫃川に寄り添うように走っている面もあるので「小櫃線」の方がふさわしい気もしますが。インパクトが弱すぎるかな?

里見氏は現代人の視点から見ると圧倒的有利に見える北条氏の攻勢に対してしぶとく抵抗を続けた大名、とのイメージが強いですが、それが可能だったのも東京湾制海権をかなり把握していた「海の大名」の面を持ち合わせていたからと言われています。

過去に何度かネタにしているので「しつこいよ!」とお叱りを受けそうですが、東京湾を挟んだ房総半島西部と三浦半島東部との間には古墳時代から交流・交易が活発に行われていた痕跡が見られます。

その点について少し触れた投稿を書いたことがあります↓ご一読いただければ幸いです。

aizenmaiden.hatenablog.com

なお、小櫃川の由来に関してはヤマトタケルノミコト(ここでも登場!)がらみの伝説によるもの、という説もあります。↓は小櫃川Wikiページ。日本住血吸虫症についての歴史もあったりしてなかなかおもしろいです。

ja.wikipedia.org

そう考えると房総半島を斜めに横切る形で、それも久留里城をはじめとした要衝の近くを経由して東京湾へと流れ込むこの小櫃川は人の交通・物流両面において非常に重要な役割を担っていたことが予想されます。(ヤマトタケル、里見vs北条いずれの地名伝説においても海上交通との関わりがうかがえますし)

この川の河口には弥生時代にはすでに人が生活していた痕跡が見られ(菅生遺跡)、現在の状況を見ても河口のすぐ北側に房総と東京・神奈川を結ぶ「東京湾アクアライン(アクアブリッジ)」が架けられ(通され)、すぐ南には自衛隊の駐屯地がある。さらに対岸には羽田空港も!

↓こんな感じで。

こうした現在の地図からもこの川の重要性がうかがうことができそうです。

となると房総半島の覇権をめぐる里見vs北条の戦いにおいてもこの川(の交通権?)をどちらが制するかが大きな意味を持っていたはず。

...そんなことを考えつつ川辺にたたずんでいると今にも視界の向こうから小櫃を背負った兵たちを乗せた船が姿を現すのではないか(またはそのへんの茂みに伏兵や忍者が潜んでいるんじゃないか/)...なんて妄想も脳裏をよぎるのでありました。

ちなみに説明板では樹齢は不明とありますが、500600年くらいという資料も見られます。となると里見vs北条氏の激しい争奪戦が展開していた頃にはこの巨樹はすでにその体を大きく横に傾けつつ争奪戦の様子を見守りながら異形の姿へと成長を続けていたのでしょう。

なお、この小櫃川、かなりクネクネと蛇行しながら房総半島を横切っています。なので多くの「淵」がある。そしてそれほど川幅があるわけでもない。なのでこの河川名はもともと「小渕川(おぶちがわ)」であって、後になってヤマトタケルノミコトの伝説、あるいは里見vs北条の歴史と結びついて「小櫃川(おびつがわ)」に変わったのかもしれない...という説もちょっと考えてみたい。(「小櫃」の字を見たときに「おびつ」と「こびつ」のどちらをまず思い浮かべますか?)

そしてこの賀恵渕のシイよりもさらに南、上記にリンクを貼った投稿で触れた海蝕洞窟~古墳時代に首長の墓所として使用された痕跡がある~が見られるエリアよりもやや北には三浦半島と房総半島を結ぶ東京湾フェリーも運行されています。

この地域の交通の要衝は少なくとも1700年くらいの間あまり変わっていないのかもしれません。

...と言いたいところなんですが、では交通・物流の動脈として重要な役割を担っていたと見られる小櫃川に沿って運行されている久留里線が全国屈指の不採算路線になってしまっているのか?

自動車社会はこうした形においてもわれわれ現代人と歴史との関係を分断しようとしているのでしょうか。

あと南関東在住の方ならご存知かもしれませんが、このJR久留里線の始点/終点となる駅は「日本三大タヌキ伝説」で名高い證誠寺の狸囃子の舞台でもある木更津駅(木更津は港町でもある)。駅のホームで流れる発車メロディの曲も證誠寺の狸囃子、という筋金入りの「たぬきタウン」となっております。