先週は「 WBC( ワールドベースボールクラシック )」で、日本が見事に優勝を果たしました。
選手、関係者の皆さん、おめでとうございます!
初戦から最終まで、仲間にも相手にも「 リスペクト( 敬意 )」が際立ったように思います。
それで優勝した日は、日本の大部分が祝福ムードでした。
その一方、国際指名手配中の元議員が所属していた政党( 現在は別名 )の元党首と、この元議員を訴えたオリンピック汚職で贈収賄をした会社の元社長( 現在は取締役 )の対談が、ネットで緊急に行われました。
生放送時に、約5万人視聴( アーカイブ視聴で現在100万回再生越え )の盛り上がりでしたが、内容に関しては物議をかもしており、ここでは多くを語りませんがほとんどの人は元党首に軍配を上げたようです。
ここのブログでは、前回書いたように「 勝敗 」のジャッジではなく、公平な見( 観 )方で進めたいと思います。
まず最初に目についたのが、元党首が周囲や相手に気を使っているのに対して、元社長は相手にはケンカ腰で周囲には関心無しのような雰囲気でした。
そして次に、いきなり元社長が自分で作成してきたスライドを使って、話を進めることになりました。
元党首は、初耳でしたが相手を立てて気を使いながら了承しました。
元党首は対談が得意で、元社長は対談が不得意との噂もあったので、ハンデとして捉えてもいいのですが、主催者も事前に確認と了承を相手に取っておくのが礼儀だったと思います。
そんなこんなで始まった訳ですが、途中から元党首もエキサイトして口が悪くなり、元社長も怒鳴ったりとカオス( 混沌 )な状態でした。
途中から、「 子供のケンカみたい 」とコメントがあふれ、最後はお互いが勝利宣言して約二時間半という長時間で終了しました。
エンタメとしては面白いという評価や、ディベート( 議論 )としては破綻しているという評価など、いろいろありました。
見ていない人は、ユーチューブのアーカイブが残っていますので見てほしいのですが、嫌悪感を示すかもしれません。
そんな人は、「 論破王 」との称号もある元社長の友人が、同時に中継していた動画も見ると、ちょっとほのぼのして楽しめると思います。
ただ、ちょっといい加減だったり、少し友人寄りではありますが(^^;
それで、ここまで書いてきた流れでしたが、元社長が最初から「 心の余裕 」がなく、また相手を「 ぎゃふん 」と言わせて非を認めさせようという意気込みが、ものすごく出ていました。
そのせいか、いまいち空回りっぽくなり自分の主張を上手く伝えることが出来ていませんでした。
また元党首は、どちらかというと冷静に進める中、いろいろな思惑を計算しながらやっているのが判りました。
元社長は、じっくり感情的な一般論を軸に話をしたいという感じに対して、元党首はテンポよく客観的で具体例を出して判りやすく話がしたいという感じでした。
結局、お互いの価値観やテンポが合わず邪魔しあうような議論の連続になって、ぐちゃぐちゃになってしまいました(^^;
これらから「 本質 」を観ると、お互いに自分自身を見( 観 )つめ直す点はあると思いますが、割合の差は大きいような気がします。
まず元党首はその後、「 口喧嘩では負けない 」とか「 面白かったでしょ 」など、エンタメとしての要素を意識した発言もありますが、暴言が過ぎたと反省していました。
そして元社長もその後、他人からの意見や評価のコメントなどを、客観的に見たからだと思いますが、ツイッターで負けを認めてある部分では反省をしていました。
お互いに、反省から自分を見( 観 )つめ直せれるなら、よかったのではないかと思います。
ただ元社長がその後に、文章で自分が主張したかったことなどのまとめを出したのですが、私個人が読む限りでは、まだまだ似たような事を繰り返すだろうなという印象です。
ほとんどの人は、自分の価値観の正しさで相手を屈服させることにより、自分を肯定させようとします。
このような場合、相手の意見をまず受け入れることはありません。
なぜなら受け入れてしまうと、自分を否定してしまうことになるからです。
また自分が相手に指摘していることを、自分がしているということもなかなか気づけません。
自分は間違わないという「 おごり 」があるからです。
これも自分を否定しないためのものになります。
つまりは、普段から自己を否定されないように抵抗している状態を、必死に固持しているということです。
このような出来事に勝ち負けはさほど重要ではなく、自分の価値観を壊し「 本質 」に近づくための機会を与えてくれるチャンスだと思います。
それが大きい小さいはありますが、お互いに必要なことなのです。
それを活かせるかどうかのほうが、重要な事だと思います。
それは、それを見た人やコメントを書いた人などにも当てはまります。
そして日本代表がトップになったり、暴露をすることで世の中の闇が露わになったり、自分の価値観に合った人が勝ったりなどで、確かにいろいろなものを与えてくれます。
と同時に、自分が肯定されたような気分も与えてくれてると思います。
しかしどこかのだれかに、自分を肯定させてくれる「 救世主 」を見い出しても、真の救いはやってきません。
真の「 救世主 」は、自分自身です。
真の救いは、自分の奥に初めから備わっていますよ。
0 件のコメント:
コメントを投稿