ココからのブログ

昭和生まれの50代ココです。

つきまとうあの頃。豊かになることへの罪悪感。



幼い頃はあまり豊かでないほうがいいこともあると思う。
数日前に我が家は引っ越しをした。
結婚してから10回目の引っ越しだった。
転勤が伴わないで引っ越す時もあったので趣味だろうと言われたこともある。


今の前の物件は立地条件を優先しかなり古かった。
20年くらい時代が遡っているような部屋。
電気の契約は20アンペアでトイレも風呂も凍える寒さに5年暮らした。
昭和を感じる部屋から引っ越しをした現在の住居はリフォーム済みで年数は古いが設備は新しい。
娘は便座が温かい事や風呂がスイッチ一つで湧くことにいちいち感動している。
感動のハードルが異様に低い。
一回不便を経験しておくのはどんなことも喜びになるのでいいものだと今回つくづく思った。

昭和の本物の貧乏。



昔は毎日風呂を沸かさなかった。
母は寝る前は必ずヤカンにお湯を沸かしてくれた。洗面器に入れた熱湯を水で薄め手と足とお股を洗うのが儀式のようになっていた。寝る前の歯磨きに関しても厳しかった。何回もきちんと磨けているか確認された。


何日も着ている重ねた股引とズボン、シャツとセーターをきちんと畳んで明日の朝温かいのを着るためにこたつに入れておいた。いい感じにくたっとなじんでいてするっと履ける。
今のように一回着ただけでは洗わなかった。

母は私の髪をいつも梳かしてくれた。昔理容師だったので本当に器用で色々なスタイルに髪を編んでくれた。

生まれた時から住む家は父の仕事柄、常に線香の匂いがしていた。
近くにいくと線香のにおいがして気持ち悪いと言われることもあった。
でもそれは仕方ない事だった。

風呂は入ってなくても精一杯母なりに娘の私の清潔を心がけていてくれていたのが今なら分かる。



昭和のあの頃はそんな子は何人もいた。
風呂はあったが今と違って沸かすのに手間がかかるからか銭湯に行くこともあった。
そこは家に風呂がなくて来ている近くの団地の子達やお母さん達でいつも賑わっていた。

子供同士で遊ぶときの、駄菓子屋でのお金の使い方にも親の経済事情は現れていた。
今なら皆ある程度のものは同じように持っていてそんなに差はないが、昔はハッキリ貧富の差が見えていた。お金をたくさん持っているリアルスネ夫が色々なものを買うのを隣で見ているという光景は普通にあった。


袖がぬぐった鼻水でガビガビになった服やひざにつぎあてをしたジャージの子もけっこういた。
その頃はむしろたくさんの貧乏な子供とすこしの裕福な子供というバランスだったと思う。



幼い頃に不便な暮らしで育ったおかげで、今の私は案外どんな事でも平気なほうだ。
あの頃に比べたらどんな暮らしも天国でバランス釜の風呂も冷たい便座も狭いキッチンもどうってことはない。なんかレトロなものが懐かしく楽しいとさえ思って暮らすことができる。
確実にそこは強みだと思う。


ヤカンのお湯で毎晩足やお股を洗う儀式に比べたら、どんなアパートの風呂だって天国のような快適さだ。

生まれた時から満たされ暮らした人にはきっとどう頑張ってもわからないこの感覚。

昔は他人が羨ましかった。




同じように親の顔色をみて育った強みもある。
自分の希望が通らない、常に親の顔色を伺って育ってきたからこそ他人の心の動きに敏感だ。
良くも悪くも、細かな事によく気が付く人なのだ。気が付きすぎて自分ながらうざい事も多々ある。
自分の心に痛みや傷があるからこそ、人に優しくありたいと思う。
それは今まで生きてきた上で決して無駄ではなかった。


若い頃は恵まれた環境で育った人を羨ましいと思って生きていた。
裕福だったり恵まれている人は皆いい人で無邪気で本物の優しさがある。
人の顔色を伺って生きてこなかった人の素直さや正直さになんとなくコンプレックスや違和感を感じていた。眩しかったのだろう。


50歳を過ぎた頃から少し変わった気がする。


人生後半にもなると、今からできることと無理なことがはっきり見えてくる。
足るを知るのだ。



どんな不便な暮らしであれ、昔の貧乏を懐かしんで笑って暮らしを楽しめるのは、きっと笑い合える人がいてくれるからなのだろう。上を見ればキリがない。人と比べてもしょうがない。そんな考えになってきたのは他人に多くを求めない夫の影響も大きいだろう。

乗り越えられない気持ち。



私には夫にも明かせない心の片隅にある本心と罪悪感が常にある。


自分だけ幸せになってはいけないという気持ち。
あの頃賑わった銭湯にいた風呂なしの団地に住んでいたよそのお母さん達。
きっと皆とっくに貧乏から卒業して温かい最新のお風呂にはいっているのだろうか。
なぜ私の母だけが人生後半である今、幸せな老後をつかめなかったんだろう。



ヤカンのお湯をいれてくれた母
髪を編んでくれた母

この母だけは人も羨む素敵な家に住まわせて 、残り少ない人生であっても最後に笑って暮らして欲しかった。

それを見届けたなら心からほっとして今度は自分自身の幸せと快適を求めてもいいような気がする。
その時ようやくスタート地点にたてるのに。
人も羨む何かを求めてはいけないと抑える自分の気持ち。


無駄に敏感で生きずらい自分が常に思っている本音が心の中にある。






ココ