伊豆の中心で、思いをさけぶ

興味のあることは、歴史、教育、スポーツ、ニュース・メディア、鉄道、農業、ICTなど。

視力が悪くなった。
特に最近、近いところ、小さい文字が見にくくなってきた。
これは、老眼?

新しい眼鏡を作った。
老眼のことも考えて、ストレスフリー遠近。
手元も遠くも見えやすいようなレンズ。
見やすくはなったものの、年を取ったことを改めて実感。

コンタクトの検診に行き、眼科医に診てもらった。
視力的には異常なし。
今までと同じ度数のコンタクトで問題はない。
でも、昔よりも見え方は悪くなっている。
コンタクトはそんなに度数を上げられないらしい。

目は大事。
ホント、気を付けたい。
年を取ると、白内障や緑内障になったりする。
眼にいいルティンのサプリは、毎日とるようにしている。

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人はそれぞれ見た目が違うのはもちろん、考え方や信条も違う。
育ってきた環境も異なる。
違って当たり前。
自分の思いが通じることもある。
しかし、思いが通じないこともある。
それは、親子であれ、兄弟であれそうだ。
血がつながっているからきっと分かってくれるというわけではない。

まずは、人それぞれが違う。
違う考えを持っているのが当たり前。
だからこそ、自分とは違う考えにも柔軟に対応できることが大切。
違う考えを受け入れろというわけではない。
柔軟さが大切。

では、柔軟さとは何か?
それは、相手を不快にせず、自分の思いも大切にする方法。
相手の考えに納得できないこともある。
だからといって感情的になるのは下策。
相手の考えは、あくまで相手の考え。
自分が納得できない場合は、その通りにはできない。
できないものは仕方ないが、それをそのまま言葉にするのも下策。
話は聞く。
自分ができることはする。
でも、できないことはできない。

そして、同じことは相手にもいえる。
相手に求めようとも、自分の考えに納得できないこともある。
だからといって感情的になるのは下策。
自分の考えは、あくまで自分の考え。
相手が納得できない場合は、その通りにはできない。
相手が納得できるように努力する必要はあるけれど。

つまり、自分も相手もお互い様。
想いが通じることもある。
しかし、思いが通じないこともある。
それは、仕方がないことだ。

自分自身も完璧な人間ではない。
相手も完璧な人間ではない。
それを分かり合うことが大事だと思う。
人は互いに認めてもらいたいと思っている。
まずは、認めてあげること。
感謝しあうこと。
相手に対して謙虚であること。
それは、老若男女問わない。
子どもに対しても、一人の人間として謙虚に向き合うこと。
そして、期待を持ちすぎないことも大切だろう。

そうなれば、相手に自分の思いが伝わる。
相手が気持ちが変化し、新たな行動に結びつくだろう。
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10年後には18歳人口が100万人を切り、その4年後には大卒年齢人口、つまり新卒対象年齢人口が100万人を切ってくる。この頃には猛烈な採用難になることは確実だ。企業は新卒を中心に採用していく今のスタイルを維持できなくなるのは明らかだ。さらに、その先は毎年、人口が大幅に減り、対象人口が75万人にまで減ることが確定している。
ロボットや人工知能などで人手不足を補えるという見方もあるが、そのためには会社の仕組みから働き方まで社会構造を大きく変えなければならないだろう。そうした社会体制の変革ができるのかどうかが焦点になる。

将来の人口については、今の出生数からほぼ確実な数が割り出せる。
将来の人手不足は確実なので、今からその対策をすべきだと思う。
前年度踏襲はもう無理。
新卒採用も厳しくなっていく。
今も既に様々な職種で人手不足が叫ばれている。
会社の仕組みはもちろんのこと、日本人の働き方、そして社会構造も変える必要がある。
長期的な視野、未来のことも踏まえて日本全体を変えていかなくてはならない。

しかし、政治は昔のまま。
既得権益を手放そうとはしない。
今のままでは確実に積んでしまう。
今の日本で一番大事なのは高齢者ではない。
しっかりと税金を納めている勤労者。
人数の少ない勤労者に税金や社会保険料を高くかけるのは残酷。
高齢者福祉にかけるお金は減らされていかざるをえないだろう。
そして、氷河期世代の我々は、年老いてもずっと働かざるをえなくなる。
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無自覚のうちに「ネガティブなところを示すとショックを受けて立ち直れないだろう」「この子にはそんなパワーはないだろう」と子どもの力を低く見積もっているからこそ、子どもがショックを受けるような情報を誤魔化したり加工したりするのです。
こうした「現実の加工」を子どもへの「優しさ」と考えるのは、周囲の大人が抱えている「子どもを信じることができない弱さ」への言い訳です。


「褒めて伸ばす」以前に教育の最も大事なこと。
子育ての究極の目的は自立するということ。
そのためには、親が自律をしなくてはいけないということ。

同じ「じりつ」だけど、意味が違う。
自立→自分だけで物事を行うこと
自律→自分でコントロールすること

ネガティブなことがあっても子ども自身が乗り越えていかなくてはいけない。
親は、子どもを信じてあげなくてはいけない。

親は子どもに自分が体験したような苦労を味あわせたくないと思う。
でも、それが行き過ぎてしまうと、「修学旅行がつまらない」というようなクレームになる。
そんなことを言っていて自立した大人になるのだろうか?
自分が嫌なことは親に言い、環境だけを変えさせるような人間になる。
嫌なことからは逃げ、人と上手に関わることができなくなる。

最終的には社会の中で人とうまくやっていける人になってほしい。
そのためには、全てが自分の思い通りになるという考えは早々に捨てるようにすべき。
社会で通用するように、しなやかに生きていけるよう時には失敗し、悩み、考える中からその子どもならではの解決方法を見つけだすようにすべきだと思う。

親は、変な先回りをしない。
もっと、子どもの自己解決能力を信じるべき。
そして、悩みに乗ってあげる。
親の今までの人生の経験を踏まえ、どのようにすればよいか助言をする。
助言はするが、どのようにするのかは子どもに決定させる。
自立した人づくりを目指して。
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 あの鳥山明先生が、子供の頃から本当にたくさんの楽しみと喜びを与えてくれた鳥山明先生がもうこの世にいないことを、信じたくはありません。冥福を祈ると書いてしまえば、先生の死を認めることになる。筆者ごときが認めようが認めまいが、現実に何の変化もないことは理解しています。それでも、認めたくなかったのです。

自分も子どものころから…
Drスランプ、ドラゴンボール、そして、ドラゴンクエスト。
信じたくない。
子ども時代からの大切なものが失われてしまった気持ちが強い。
まだまだ若いのに。


テレビアニメ「ちびまる子ちゃん」でまる子(さくらももこ)の声を担当してきた声優のTARAKOさんが、3月4日に亡くなったことを、番組を放送するフジテレビと制作の日本アニメーション株式会社が発表、TARAKOさんと仕事を共にしてきた声優陣とスタッフ一同が追悼コメントを寄せた。

作者のさくらももこさんが亡くなった時もショックだった。
鳥山先生の訃報のすぐあとだったで、大きな衝撃を受けた。
まるちゃんといえば、TARAKOさん。
まだ、若いのに…

この二つの訃報を受けて、自分の子ども時代がより一層遠くに行ってしまったと思った。
子ども時代の記憶が、だんだんと薄らいでいくような感じがして悲しい。
でも、それだけ昔から力を尽くし、頑張ってきた人たちだったのだなぁ。
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toriyamatarako
 

一日一日、みんながんばって生活している。
楽しいこと、うれしいことももちろんある。
辛いこと、苦しいことだってある。
そんな中でみんな一生懸命に生きている。

ご苦労様。
お疲れさまでした。
よく頑張りました。

そんな自分をまずは、認めよう。
自分の頑張りを一番よく知るのは自分。
良い結果が出なくても、そこまで頑張った自分の頑張りを認めるべき。
褒めなくていい。
認めること。
いろいろな人がいても、自分の一番の味方は自分。
その自分を自分で悪く言うのはやめよう。

そして、自分の周りには自分のことをわかってくれる人がいる。
そういう人を大切にしよう。
でも、自分のことをわかってくれる人は、自分もその人のことをわかっている人。
自分が相手のことをわかっていないのに、相手に自分のことをわかってもらおうなんて無理。
基本、世の中はお互い様。
人から認められたいなら、人を認めよう。

人は誰でも人から認められたいのだと思う。
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「福岡は今や全国でも珍しい県立王国。生徒をいかにそのレベルにあった県立校に進学させるかが、つねに中学教員の念頭にあって、細かく調整を図ったうえで受験させています。
その結果、調査書だけでなく、願書も中学側が高校に提出するという習慣がずっと続いているんです」
「他県では願書をネット受付しているご時世にもかかわらず、頑ななんです。福岡では、私立高さえ中学からまとめて願書を受け付けます。受験生個人の出願のみ受け付けるのは、全国的な進学校の久留米大附設だけです」

一番大事にしなくてはいけないのは、受験生。
受験生のための仕組みになっているか考えることが必要。
もちろん、願書出し忘れはいけない。
でも、何か救済策がなかったのだろうか?

そして、個人の出願を受け付けないのがよくわからない。
受験生の意思で受けているのだから、受験生が直接出願できるようにすればよいのでは?
高校は、中学校でまとめてくれれば楽だと思っているのだろうか?

生徒がどこを受験するのかは、その生徒の意思。
中学教員の配慮も必要なのだろうか?
もう、自分たちで考えられる時期だと思うけれども。

受験は受験生ファーストであるべきだと思う。
しかし、実際はそうではないのかなと思わせる出来事だった。
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